ようせいのうたげ
後半でやや残酷な表現があるので、苦手な方はご注意ください。
容赦しない妖精のお話です。
既にそこにはケモノ達の躯はもう残ってはいなかった。
まだ夜明けには遠い迷宮23階層の空の下。
闇夜のゆるい坂の下をうろうろしていたの2つの影は一体の骸骨の戦士と、その戦士よりも大きな図体の緑の半球体、蔦の魔物であった。
あの犬、猿、鳥達がこの迷宮の「魔物」であれば、そのまま躯を放置しておけば迷宮へとドロッと溶けて吸い込まれていっただろう。普通の生き物たちのように腐乱したり虫や菌に分解されたりを待つまでもない。
それでも心情的な理由から、ひとまずは埋葬することとなった。
骸骨戦士と蔦オバケが嫌な顔一つせずに――どちらも表情など無いのだが――粛々と躯を丁寧に拾い集めては、川辺りに定めた仮の墓地へと埋葬していくのであった。
そんな骸骨と蔦オバケの作業をぼんやりと眺めていたのは、二体の召喚主である妖精女王ティターニア。
生き物の死は数えきれないほどに見てきたのだが、何度見てもこの光景は物悲しい。
...つい先日までは自分もあれに加わるつもりで、ああなろうと覚悟を決めていたつもりであったのに......命が遠くへと去って行くその姿には、言い知れぬ寂さを感じていた――
――もう、全てに飽きていた。
奪い奪われ奪い返して数百年。
このままではうっかり千年の大台まで届いてしまう。
すべてをやり尽くした訳ではない。
これでも薄くなった良心とやらに線を引いて、外道側には行かないように気を配っていたつもりなのだ。
周りは女王などと持ち上げるが、それは単に最年長だったからそうなったというだけのこと。
なるようになるし、ならないものはならない。
そんな不真面目な性格だったからこそ、同胞達が次々に風へと還る中で自分だけが、こうもおめおめと生き長らえてしまったのだろう。
だが、もう、充分だろう。
全てを投げ棄てて、あとは風へと還るのを待つばかりだった......はずなのに――
「――...おい、俺に、『ありがとう』は?」
...あり、がとう?
まぶしい光の向こうでこちらを覗きこむのは、ホッとしたような顔で微笑む人族の少年。
長き時の中で、生まれて初めて、その時、生まれたかのような......思えばあれこそが初めての――
「――さま......ティターニア様?」
「...んんん、もー! なんじゃ! せっかく甘酸っぱい思い出に浸っておったところなのにっ!」
「えっ!? それは申し訳ございません!? ...その、埋葬の方が終わりましたので。何か墓標のようなものもご用意いたしますか?」
「ふむ、そこまでせずともよかろう。仕上げはわらわが後ほどやる、おぬしはもう休んで良いぞ」
「承知しました」
「...仮契約後の最初の仕事が埋葬とは、おぬしにも苦労をかけてしまったのう」
「いえ、滅相もございません。このままお呼びがかからないかと思っておりましたので、お役に立てたのならばなによりです」
「フフ。わらわの眷族達は皆、そういうものじゃ。許せ」
この元魔王の四天王であった骸骨戦士は、つい最近ティと眷族としての仮契約を交わしていた。仮契約しておけばいつでも召還できて便利だろう、と。
今後、何かのきっかけで再び彼ら四天王が「魔王」に仕えることになるかもしれないから、その時に備えて四人の内の一人くらいとつなぎを付けておこうかという話し合いがティと彼ら元四天王の間でなされた時に、それならば、既に死んでいて鍛錬も必要無いであろうこの骸骨戦士に白羽の矢が立ち、残りの三人は修行の旅へと出たのであった。
なお、ティの「別に修行とか要らないと思うんじゃがのー」という思いは四天王は届かずに、そこにいなかった彼の「俺、魔王じゃないんですけどー」という思いはティには届かないのであった。
そんな仮契約のことをティはふと思い出して、なんとなく「元気でやってるかなー?」くらいの軽い気持ちで骸骨戦士を呼んでみた。
すると、どういう流れでこうなってしまったのか、同じく召喚されていた蔦オバケこと「深緑の主」に負けないほどに一生懸命に働いてくれるものだから、ティとしては少々申し訳なく思っていたのであった。
ちなみに骸骨戦士も蔦オバケも種族的に睡眠や食事が必要ないわけで、単に暇だから一生懸命頑張っていたというのもあったのはティもなんとなく察していたが、骸骨戦士と蔦オバケが互いに密かにライバル心を燃やし合っていた所まではティは察することができなかった。
そんなティの横で毛皮にくるまって眠っていたサキとユキの二人。
ティ達の話し声に目を覚まし、のっそりと起き上がり、目をしょぼしょぼとこすった後に、ぼんやりと目の前の光景を見つめて、声を上げた。
「「ひゃぁっ!」」
「わっ!」
サキとユキの反応は当然のものだった。
慣れない野宿からの目覚めと共に目の前に骸骨がいたのだから、気の小さい者ならばそのまま気絶して二度寝していたことだろう。
骸骨戦士の方も、一応は初対面ではないつもりでいた二人の突然の悲鳴にびっくりしてしまった。見た目はかわいらしい小鬼娘二人であったが、その片方は他でもない骸骨戦士を縦真っ二つに叩き割った小鬼なのだ。
そして双方が相手を正しく認識した所で、今度は互いに謝罪合戦が始まってしまった。
小鬼と骸骨達がお互いに、「その節は申し訳ございませんでした」「いやいや、こちらこそ」「いやいやいや、こちらこそ」――
その状況にティは頭を押さえて天を仰いだ。
蔦オバケの時のように二人が起きている時に召喚して、ちゃんと話を通せばこうはならなかったはずだ。完全にティの失態であった...
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それからティとサキ、ユキの三人は、たわいのないおしゃべりをしながら夜明けを待った。
骸骨戦士と蔦オバケは川の近くにいた。たまに流れてくる果物に手を伸ばしては、落水しそうになる骸骨をオバケが引き戻すという微笑ましい(?)光景を繰り返していた。
ティが二人に話しかけた。
「...二人には、わらわの方に付き合わせてしまって申し訳なかったの」
「...いいえ、ティさん。気にしないで下さい」
「ティさんが必要だと思って、こちらに呼んでくれたんですよね?」
この小鬼の二人とも、すっかり仲良くなってしまったものだ...ティは心の中でしみじみとつぶやいた。
「...うむ。前にも話した通り、あの地面に刺さった剣は魔法の剣。これを追って後ろから続きが来るのはほぼ確定じゃろう」
「迎え撃つ必要がありますね」
「主様の後は追わせません!」
「個ならば主様が、群ならばニアが必勝じゃろう。いざとなればニアならば、主様を連れて【白昼夢】の中へと戻れるじゃろうし――」
正直、ティは迷っていた。
下層から追走してくるであろう軍勢をティが止めるのは確定として、なぜサキやユキまでもここに残したのか。
いざとなればニアならば容赦なく敵を殺れる。だがそこに、主だけでなくサキとユキまでいたならば? 優しい小鬼二人をここに引き止めた方が、彼女も主も存分に暴れることができるのではなかろうか...というのがティの中での建前だった。
だけど、それだけではない。
ケモノ達の躯を見た時、ティの中に怒りが吹き荒れた。
だがそれと同時に感じたのは隣に並び立つ者達の悲痛な心の叫び。サキ、ユキ、ニア、年端も行かぬ若い娘達のそれはティの心を大いに引き裂いた。
自分の怒りや若き主のそれでもない、思わぬ経緯で得た眷族ではない『仲間』のそれに感情が大きく揺さぶられようとは、ティにとっては予想外の出来事だった。
(わらわが二人を預かる? 否、わらわが一人でいるのが寂しかっただけじゃろう?)
建前はともかく、きっと本音は「今は一人でいたくなかった」のだ。
眷族達を召喚しても、その心の隙間が埋まることはない。
この心優しい娘達の温かさに、つい、甘えてしまいたくなったのだろう。
まるでティの心を読んだかのごときタイミングで、宙を浮遊するティを左右から挟みこむようにサキとユキがそっと寄り添った。
「大丈夫ですよ、ティさん」
「私達が、守ります」
その言葉にティは目をぱちぱちとさせた。
そして、そのままサキの肩に腰をおろしながら、ユキの方へ向かってうっとりと微笑んだ。
「ンフフフフ、これは温いのー、主様も骨抜きにされてしまうというものじゃ」
ティのつぶやきにサキが「します!」と元気に宣誓すると、ティもユキも思わず笑ってしまうのだった。
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――そんな自分を救ったなどというお節介な人族の若者に、お礼がてら、ちょいと悪戯をしてやろうと忍び寄ってみれば...
...よりにもよってその男は【徘徊する逢魔】。
先代には、ちょっとした心の傷になるような『手紙』を叩きつけてもらった因縁深き神の使徒。
にわかに巻き起こる八つ当たりの衝動と共に、全力で悪戯に及んでみれば......まさかの返り撃ち!? 一晩かけてそれはもう、じっくりと煮こまれてしまったのだった――
...そんな夜の些事はさておき。滅び行く小鬼を嫁に迎えたり、凋落する妖精の女王を救い出したり、相変わらず甘々で大忙しな【徘徊する逢魔】。
かと思えば、絶り...想像を絶するケダモ...実力を備えた若き人族は、渡り人で、【けんせい】? そして【魔導】も無いのに隷属の首輪をこじ開けるという、見れば見るほど意味の分からない破天荒な、甘い甘い蜜のような男。
これはいけない【魅了】が相殺できない――いや彼は【魅了】なんて持っていないのに!......ほほう、なるほど、これがひと目惚れというやつか!?
ズルい! こんなに楽しそうなものを三人だけでお楽しみとは!
すっかり目の覚めた妖精の女王はもう、その輪の中へと飛び込まずにはいられなかったのだった――
「――だが...そろそろ楽しい時間も一旦、中断のようじゃ」
サキの肩から離陸して、その妖精は鼻歌交じりに宙を舞う。
まだ夜の明けぬ空の下、緩やかな坂の麓の緑の舞台で、円を描くように光を引いて羽ばたいた......
そして振り返りながら、妖精女王は二人の小鬼に警告する。
「...一度はわらわ達の戦いというものを見ておくのも良いかと思うが、二人共、怖ければ目をつむり耳を塞いで待っておるのじゃ」
きょとんと目を丸める二人の小鬼を前に、妖精の女王は一瞬だけ眉をひそめ、フンと鼻を鳴らした。
まったく、この甘く甘く楽しい時間を邪魔しようとする愚か者達がまだ居ようとは、と......
「...賢しき眷族達が言うには、わらわの戦い方は少々目の毒、とのことでの...」
(...別に【妖精王】が悪いというわけでは断じて無いっ!
ひとたび神の使徒が暴れたならば、勝ち負けなどは関係なく、もう、滅茶苦茶になるものじゃ!
むしろ最近の若手達が大人しいだけなのじゃろうに...)
「...もしも目にするならば気をしっかりと持ち、正気を食われぬように気をつけよ」
ティは心の中で、誰にともなく言い訳をした。
...そもそも神の使徒に限った話ではない、生ある物、知恵ある生き物、皆全てがそうだ。
知恵なき虫や鳥達でさえ、空高くから小石を落とせば、大事になるものなのだ。
そう、虫や鳥の多くでさえも、自重しているというのに――
「――わらわは手加減とか自重とか、そういうものは、大嫌いじゃ!」
【羽ばたく悪戯】の羽がふわっと広がる。
その羽の舞い踊る足下の、緑の園に、光が満ちて、溢れていく――
――わらわは主様に嫌われたくない一心で、こう見えて普段は精一杯、自重しているつもりなのじゃ!
そしてその愛しい主は、いま、この場にはいない。
ゆえに誰もここには――
二人の小鬼達が、普段は見せないその妖精の幻想的な雰囲気に呑まれて、目をぱちくりさせていた。
その無垢な瞳に、彼女の『賢しき眷族達』の「もっと自重して下さい」の言葉を再び思い出してしまうが...
「――...ここは同じ主を囲む妻同士、秘密を共有して親睦を深めようということで......見逃しておくれ。ニヒヒ」
目を丸くする二人の小鬼に、自重しない妖精が苦笑した。
――そして、今、
誰も、
ここに、
【妖精王】の宴を止めるものは存在しなくなった――
――その異常事態にまったく理解が追いつかない人族達の兵団目がけて坂の下から駆け上がるのは、蠢く深緑の絨毯、大地を埋め尽くしながら這い寄る、悍ましき大波だった。
「心臓の数は百にも満たぬぞ! さぁ、早いもの勝ちじゃ!」
【妖精王】の激励に、小さな眷族達が一斉にピキーという甲高い返事を闇夜に木霊させ、ゾワゾワという低く蠢く足音を轟かせながら押し寄せる。
その倍率は数百か、数千倍か数万か。その熾烈な競争を勝ち抜いたモノだけが、蛹となり、羽ばたく蝶へと成れるのだ。
一瞬たりともその脚を、顎を、止める猶予など無い、早いもの勝ちだ、急ぐんだっ――
――夜明けの光が登りきるのを待たずして、その人族達の後続部隊は、髪の毛一本すらも残すこと無く、行方不明となったのだった。
「――つまらぬ」
ようやく昇り始めた日の光の中を、きらきらと舞い踊る無数の青い蝶達を背景に、口を尖らせる可愛らしくも妖しい、小さな羽の女王。
そんな彼女が主催した一連の、夢と悪夢をごちゃまぜにした宴を後に、二人の小鬼はただ口を開けたまま、ポカーンとしていた。
その妖精が夜明けに向かって吠えた。
「やはり、つまらぬ。物足りぬ...
こんなものより、主様のほっぺたを引っ張っておった方が、よほど...んんん......
...つまらーーーーんっ!!」
光り輝く朝日の中で音もなく羽ばたく蝶の群れ、そして、不満をぶちまける妖精女王の叫びだけが、そこに静かに飛び交うのだった。




