さか
渡河した次は、坂だった。
川を渡ってすぐ、目の前には両端を森に挟まれた緩やかな芝生の上り坂が、ずっと先の方まで続いていた。
ここに雪でも降ればスキーコースにでもなるであろう長い坂。そして、先ほどの川のことを踏まえると、いかにも怪しげな上り坂。
鳥の鳴き声。警告の音を空から発したのは、モタさんと一緒にいた青い鳥だった。
そして鳥の飛んで来た坂の方角には......その坂の頂上に、一つの大きな果物が現れた。
川を流れていたものと同様の巨大な果物、それが坂の上に現れたとなれば次にどうなるかは決まっている。
スッテンコロリンと転げ落ちた大きな果物が坂の上から下へとまっしぐら。なかなかの速度で俺達の横をすり抜けて、ザバーンと川へと飛び込むと、そのままドンブラコッコと下流へと退場していった。
...遠くから見ればメルヘンチックな光景だけど、近くで見ればあれは、事故だ。大型果物による衝突事故か轢き逃げか、犠牲者が出てもおかしくない規模のやつだろう。
それに偶然転がって来たというよりも、明らかに狙っている。川の時も違和感があったけれど、位置といいタイミングといい、俺達を阻止するように流れたり転がったりしているようにしか見えない。
きっと顔を引きつらせていたであろう俺の一方で、モタさん達一行は、慣れた様子で「おーっ」と声を上げただけだった。おそらくこの光景を見たのは初めてではないのだろう。むしろ、これも攻略対象の一つのつもりでこの場へと臨んで来たのかもしれない。
「...モタさん達はともかく、君達も、あんまり驚かないんだね?」
ほんのりと戦慄していたのは俺だけだったのかな? 俺と違って仲間達はみんな楽しそうだった。
「転がってくるの、楽しい」
「...そうだねニア。遠くから見る分には、楽しいね。目の前に来たら、泣いちゃうね」
「「主様の敵ではありません」」
「敵だよ!? というより事故だよあれ!? 落石とか落果物(?)とか、そういう類の事故だよね!?」
君達は主様に対して何か過度な期待をし過ぎだ。俺は転がる岩で修行したり必殺技を編み出したりはしない、いや、できないんだ。
...もしもここに「落石注意」みたいな交通標識とか立てるなら、やっぱり転がる果物の絵にでもなるのだろうか? ...それだと、いまいち深刻さが伝わらないな?
「主様ならば、【まほう】でどうにかできるのでは無いのか?」
「...それは確かに、少しだけ考えたけど、転がってくる速度を考えると失敗する可能性が高いから、やりたくない」
俺の【まほう】スキルで転がってくるあれを上手に収納できるかどうかは五分五分といったところだろう。大量の水か土を壁として出して果物の進行を逸らすにしても、何回か練習してからでないと失敗しそうだ。
そんな話をしている俺達のもとに、サンシータさんがやって来た。
「いやぁ、あれがなかなか、手強いんスよね〜」
「もうあの転がってくる果物とは対戦済みだったんですか、サンシータさん?」
「自分のことは呼び捨てで良いっスよ、アニキ!」
え? アニキ?
俺よりもおそらく年上で、背も高くて、憎らしいほどにイケメンなサンシータさんが、なぜ俺をアニキと呼ぶのだろう?
「アニキのおかげで、ついにみんなで川を渡ることに成功したっス! アニキはすごいっス!」
あらためて言われてみれば、誰一匹として欠くこと無く渡れたのは大成功だった。確かに俺達も手伝ったけれど、あれはお二人の「引率」の腕が良かったんだと思いますよ?
「俺はむしろサンシータさんの手際の良さが色々と真似できないというか、スゴイと思っていますよ。さておき、あの坂と果物については、何か攻略の目途はあるんですか?」
「いやぁ、全然ッス。今日のところはもう、みんなで休んで英気を養って、明日みんなで突撃ッスね」
「...うん? ちょ、ちょっと待って下さい? まさか文字通りの意味で突撃......もしかして、もう、やってみたんですか?」
「そうなんスよー。まだ誰も上まで辿り着けていなくって、ハハハ」
おいおい、笑い事ではないぞ...ほぼ無策で突貫した挙句に、玉砕ってことか...!?
「...それ、死傷者とか出てませんよね?」
「あー、怪我人は出てますね。犬や猿たちも、踏みつけられて背中が痛そうでした」
「サンシータ、さん、は?」
「俺も、歯ぁ食いしばらないと、ちょっと辛いっス。ハハ」
痛いとか、辛いとかで済んじゃう程度の話なんだ?
歯を輝かせながら笑うイケメンも、ふわふわした愛らしい犬や猿達も、みんな、見た目以上に頑丈なんだねぇ、ハハハ......
このまま「みんなで突撃」が始まってしまったら、頑丈なみんな(うちの子達含む)は大丈夫でも、俺とモタさんだけはきっと悲しい結末になってしまうだろう。
そうだ、考えてみれば人族は俺達二人だけだった。やっぱり人族って他の種族達よりも身体的に弱い生き物なのかもしれないなぁ。
そういえば、モタさんはこの光景をどう見たのだろうか? そう思って探してみれば、犬と猿達に促されて、川から果物を引っ張り上げる手伝いをしているようだった。
果物をポンポンと叩きながら「詰まっているものが良いね」というやりとりをしているようだが...
「...食べるときは確かに、ぎっしり詰まっているのが良さそうだけど」
「...避けるときはスカスカなくらいが丁度良いッスね」
俺にはあの果物を物理的に「食らう」だけのガッツは無いので、また何か作戦を考えよう。
まだ夕食には少し早いからおやつの時間なのだろう、なにやら食事の準備が始まって、俺達もご一緒させてもらうことになった。
川から汲み上げた果物やら野菜やらをサンシータさんが持参した大刀で次々に切り分けて、まるで盾のように大きな木の皿に盛りつけていっている。その姿はもうモタさんの護衛というよりも、動物達の世話係と言われた方がしっくり来そうだ。きっと大刀と盾も泣いて...喜んでいるに違いない。
モタさんは20階層の転送門で地上から迷宮調査にやって来たのだが、その道中の21階層でモタさんが雇った護衛がサンシータさんとのことだ。
もともとモタさんは一人でここにやって来て、迷宮の手前で少し話を聞く程度で済ませる予定だったらしいのだが、サンシータさんと意気投合してしまい、いつの間にやら23階層まで来てしまったらしい。
...それってもしかして、21階層の例のお店でキレイなおねーちゃん達と楽しくお話して帰るつもりだったのが、いつの間にやら犬、猿、鳥とオークに囲まれて23階層まで引きずり込まれて来たってことじゃないのか? もしそうだとしたら、もう気の毒すぎて、いたたまれない。
俺は少し心配になって、まずい状況なら人族のよしみで20階層の街まで送り返しましょうか? と聞いてみたところ、モタさんは笑いながら、
「ハッハッハ! これも伝承学者としての醍醐味だ! 私は命がけでこのメルヘンを楽しむことにしたのだよ!」
と、俺には真似できそうにない、豪気な学者魂を見せつけた。
そして、そんな命がけのメルヘンに引きずり込んだサンシータさん。
ここまでの道中で一匹の犠牲者も出なかったのは、モタさん曰く、まさに彼の活躍によるものらしい。
ここまで俺が見てきたように、モタさんの護衛からケモノ達の世話まですべて彼一人で取り仕切っているようだ。
実際、先ほどの渡河作戦の最中にも、調子の悪い犬を救助でもしたのか、川へと飛び込むサンシータさんの姿を見た。
それなりの深さと流れのある川で、大きな犬一匹を捕まえて泳ぎ切る技量と体力ははっきりいって尋常じゃない。サンシータさんのあの姿を見たからこそ、俺達で川を凍らせるという暴挙を思い止まったというのもある。
彼はそんな護衛や救命活動以外にも、何でも器用にこなす。
焚き火の火起こしや料理や野営の準備まで、全部一人でこなしてしまうらしい。
うちのメイを思い出すような、縦横無尽の活躍っぷりだった。
なにより俺が彼について驚いたのが......うちの仲間達全員と、普通に会話しているところだった。
うちのかわいいヨメをイケメンが口説いているのならば川に突き落としてやれと俺の中の下心先生(闇)が言っていたけれど、あのイケメンは、川で犬や猿を手伝っているサキやユキをさり気なく支援したり、二人を含めた全員にさりげなく食べ物や飲み物を配って回ったり、二言三言談笑しては去っていく......なんだかイケメンというよりは、親切な世話焼きなおばちゃんみたいな立ち振舞いだった。
そして、ニアにも、おやつをあげたり、変わったカブトムシ(?)を渡したり。
ティにも、状況を説明したり、談笑したり。
もちろんモタさんや、俺にまで気を配っている。
...あの、サキやユキ、そしてニアにも冷たくあしらわれていたオーク達と同族とは思えないほどの馴染み方だった。
そんなサンシータさんだったのだけど、
「俺、オーク族の落ちこぼれなんです」
口にしたのは以外な言葉だった。
「俺はみんなの店では働かせてもらえなくって、あの集落の護衛として退屈していたところを、モタさんに拾ってもらったんスよ」
どうやらサンシータさんの中では、あの店の仕事が花形で、集落の護衛は落ちこぼれという位置づけらしい。
「...いや、それは単に、サンシータさんが護衛向きだっただけでは無いですか? それに護衛の仕事が退屈ってのは、集落にとっては何よりの幸運でしょう」
「いや、俺なんかに敬語はいらないッスよ」
「じゃぁ、サンシータ。こう言っちゃなんだけど、あのお店でうちの子は一言も口を聞かなかったどころか殺......うっかりケンカしてしまったくらいなんだ。
彼女達とちゃんと交流できているサンシータはスゴイと思うし、あなたなら一撃くらいは歯を食いしばって耐えられるような気が、しないでもないこともないくらい、あなたはスゴイと思うんだ」
「そ、そう、なんスか? ...よく分かんないスけど、ありがとうございます。あの人達に勝てたんなら、俺も、悪い気はしないっス」
そんな話をサンシータとしている俺の両隣に現れたのは、サキとユキだった。
二人はジトっとした目をサンシータに向けて、威嚇した。
「「主様は渡しませんよ」」
「...あっ、すみません! 大事な主様を少し長くお借りしすぎてしまいました。すぐに返却するッス!」
そう言いながらサンシータは眩しい笑顔とともに、この場を立ち去っていった。
「...二人共、俺を渡さないって、どういうことだ?」
「...主様がこのままでは、イケメンに食われてしまうぞ、と」
「ティさんが言っていましたので」
どういう意味だ?
「あいつ.......サンシータの爪の垢でも煎じて飲ませてやろうか」
「あ、主様のものならば、爪の垢から血の一滴まで、ありがたく頂きますよ?」
「わ、私はお酒が好きですが、主様も大好きです!」
「違う、そういう意味で言ったんじゃないから...」
誰の部位を食べるとか、そういう話じゃないんだ。それにティなら爪の垢どころか丸ごと全部喰ってしまう、俺の中ではもう妖精はそういう生き物だ。
あと二人共、さり気なく自分達の願望を主張してくるんじゃない! ちなみに俺は食べられるよりも食べるほうが好きなんだ! ...もちろん果物の話だ!




