けんせい
神殿騒動の翌日、俺はニアと二人で、11階層の荒野を歩いていた。
「ねぇねぇ、ニアさん」
「?」
「このまえ、俺に『交換』したって言ったじゃない?」
「(コクリ)」
ニアの【魔導】、俺の【けんせい】。それは俺達の神が(勝手に)交換したスキルだとニアは言っていた。
そう、ニアは俺の知らないそれについて、知っていたんだ。
「もしかして...【けんせい】が何か、君なら知っているのかい?」
......立ち止まるニア。そして彼女は俺に振り返った。
「右手、グー」
...え? グーを握れば良いのかな?
「上」
握った手を上にあげれば良いの?
...あれ? この構え、少し、恥ずかしいな?
「背筋、のばす。顎を引く、少し、上向く」
あ、はいっ。
指示通りのポーズになったところで、ニアはうなずいて、一言。
「わが生涯にいっぺんの悔いなし」
............えっ?
......それ、俺のいた世界だと、
「けんせい」ではなくて、「けんおう」...
...いや違う!! そういう問題じゃない!!
......
【けんせい】は......
俺は、其処を目指さなければ、
ならない、のか......?
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私達の主様が、少し、変だ。
...今まで見た中で、いちばん「少し変」だ。
いつも通りの昼間の迷宮探索に加えて、夜、この霧の世界に戻った後も、熱心に訓練を続けている。
訓練自体はいつも朝晩やっていらっしゃったけれど、ある日を境に突然、おかしくなってしまった。
急に訓練が、訓練以外にもいつもの動作の一つ一つが、鬼気迫る雰囲気になってしまった。
動きはゆっくりに見えるけれど、気配とか息づかいとか、まるで命がけで何かに挑むように魂を込めていて、変だ。
動けば「スゥ...」と、立ちつくせば「ゴゴゴ...」と聞こえてきそうだし、呼吸は「フオォォ」と湯気でも出てきそうな、そしてずっと目が据わったままで......なんだか、怖い...
...あと、なぜかその......迷宮から戻ってきた時にいつも上半身が裸だったりして、その、目のやりばに困りますっ! ニアちゃんもサキちゃんも「ふおぉ!」なんて興奮して見ている場合じゃありません!
と、とにかく、色々おかしいんです!
戦闘の傷跡がスゴイようだし、メメラの成体をたくさん狩って帰ってくるし、ものすごく無口で物憂げで遠くを見つめているようで、やっぱり何だか目が据わっているし!
飛んでくる矢を二本の指で返す技は10回に一回しか成功しないから実用には程遠い...なんて、一体どんな場面を想定した訓練なんですか!?
ちょっと、サキちゃん!! 主様をもう止めてっ!!
「...ユキちゃん......もう、やってみたけど、ダメだった」
「そ、それなら! ティさんかおばあちゃんに頼んで『お酒』をもらってくるから...!」
「もう、ティさんにもらった」
「えっ!?」
「それでも、まったく......主様に手も足も出なかったよ」
サキちゃんが、しゅーんとしている......
主様が私達との訓練の時に手加減をしているのは知っていたけど......酒呑姫が、まったく手も足も出ないなんて...!!?
...ニアちゃんっ、なんとかならないの!?
「ちゃんと矢の先は団栗にしたから、失敗しても大丈夫」
そういう問題じゃないからっ!?
...誰か、どうにかして!?
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そしてサキ、ユキ、ニアの緊急会議が始まった。
二人にニアは説明した。
彼女達の主がおかしくなったのは「【拳聖】の真実(?)」を知ってしまったからである、と。
サキとユキはその真実とは何なのかについて一切の興味は無かったが、とにかく彼女達の主のことが心配だった。
【けんせい】なんてどうでもいい、【徘徊する逢魔】や神の使徒だってどうでもいい、とにかく主が主でいてくれることこそが、大事なのだ......
ニアは、耳を伏せてつぶやいた。
「主、ずっと頑張っている......弓は張り続けると、ダメになる」
「「...どういうことですか?」」
ニアの指摘に、サキとユキは眉をひそめた。
頑張る主様はいつも素敵なのに、ダメになるとはどういうことか?
その疑問に答えたのは、いつの間にか加わっていたティだった。
「素材にもよるが、弓は使わぬ時には弦を緩める、あるいは外す。強く張ったままでは弓が痛み、弦は切れる。休ませねばならぬのじゃ」
サキとユキはきょとんとした。彼女達にとって初めて聞いた知識だった。
彼女達が同族の郷にいた時は、弓はすぐ使えるように張りっぱなしだったし、傷めばそれが寿命だと考えていた。
そしてティは続けた。
「弓と弦は伸び縮みし、良くしなるからこそ遠くへ飛ぶのじゃ。縮んだまま、伸びたままでは矢は飛ばぬ」
ティの言葉に、ニアが続いた。
「主はいつも、一人で頑張ったまま...」
...ニアが最初に出会ったのは人族の駐屯地。敵地のど真ん中に彼は一人で潜入してきた。
二度目に会ったのは路地裏。一人で、ニアと対峙した。
聞けば、【勇者】達すらも一人で倒したという。
9階層では山モモフを前に数日の間ボーッとしていたと聞いたが、それは本当なのだろうか?
ニアならば、同族達と一緒に山モモフの前に座るなんて「気が気でない」。いざという時は同族を命に代えても逃し切らねばならない、とても気が休まる場面などではないはずだ。
ニアの言葉にユキとサキが、眉をひそめてつぶやいた。
「私達が、主様の力になれないから」
「私達の力が足りないから...」
「...果たして、そうかのう?」
二人の言葉にティは疑問を呈した。
血纏姫、酒呑姫の力で足りないというのならば、一体何を足せば十分だというのだ?
おそらく、足した所で「きりが無い」だろう。それでも「足りるまで」頑張るとサキとユキならば言い出しかねないが...
...ティはため息をついて、二人に言った。
「おぬし達、怒っても良いと思うぞ?」
「「...怒る?」」
「そうじゃ。なぜ主様はおぬし達を置いていく? おぬし達がどれほどに頑張った所で、主様にその気がなければ、ずっとこのままじゃ」
「そ、それはあなたが......城を...」
「うむ。わらわがここでやり過ぎぬように見守ってくれておるのだろう?
本当は主様も見守ってくれれば、いたずらは大成功だったのだがの〜...
...わらわはむしろ、やり過ぎたい。
主様を構いたいし、主様に構って欲しいからの。フフフ」
「「......」」
「そう睨むな。
おぬし達も、わらわと一緒に主様と、主様で、悪戯をすれば良い。
それに、おぬし達だって主様と、少し似ておるところがあるぞ?」
「「......」」
「...こらっ、そこは喜ぶでないっ!
頑張り過ぎだと言っておるのだ。
おぬし達の望みは良くしなる弓矢か? それとも硬い漬物石か? どっちなのじゃ?」
「わたしは主の漬物石が良い」
「ニア、おぬしはな。おぬしの望みは主様の上か、主様の影で、じっとしていることなのじゃろう?」
「(コクリ)」
霧の世界の河原の前で、猫の娘と小鬼を前に、いたずら好きの妖精は、両手を広げて問いかけた。
「サキ、ユキ、おぬし達はどうする?
主様ではなく、おぬし達の望みは何じゃ!
もたもたしておると妾が羽ばたいて、主様を掻っ攫ってしまうぞ!? ニヒヒ」
ああ、楽しい、愛しい主とこの子らをどう弄ってくれようか! 口をへの字に曲げた二人の前で、ティは無邪気に笑い羽ばたくのであった。




