めめら
「ダメだ、やっぱり暑い」
相変わらずの陽射しと熱風に包まれた十一階層。
今回は俺はニアの二人だけでここに来た。ティは建築チームに、サキとユキはその手伝いと監視のために【白昼夢】の方に残ったからだ。
そして、暑い。
暑い地域だとむしろ、長袖を着て陽射しとか水分蒸発とかを防ぐなんて聞いたこともあるけれど、この地域ではどうなのだろうか? ...なんて考えて周囲を見回してみても、俺とニア以外にはただ、荒野が広がっているだけ。いつも通り、人口密度の低い迷宮であった。
人目もないし、右の子と左の子がいないのだからと、暑さに参った俺はいっそ、上半身は脱いでみることにした。ほぼ無意識で、暑さにやられてうっかり脱いでしまったと言うべきかもしれない。
ニアも真似して、ヌギヌギし始めてしまった。
「...こらこら、ニアさんや。いくら子供でも、男の子の前で服を脱ぐなんて、はしたな...ぁぁあ!?」
あれ、おかしいな? 子供......というには、体型が...あれ?
「子供じゃない。私の方が、ちょっと年上」
年上だとむしろ、脱いだらダメなんじゃないかなっ!?
それに俺、年齢不詳の十代だよ? なんで年上って断言できたのかな!?
「匂いで分かる」
...なん、だとっ?
加齢臭だとっ!? 俺はまだ、推定十代のつもりでいたのに、再びの加齢臭疑惑!
俺は、「見た目は子供、頭脳は大人、歩く姿は百合の花」のつもりでいたのに、ここに「ほんのりカレー臭」も追加されてしまうのか!? 【職業】欄にガラムマサラが追加されてしまうのか!? スパイシーだな!
狼狽する俺に、ニアが優しく声をかけてくれた。
「...大丈夫、わたしはその匂いが、好き」
あぁ、惜しい! 60点! 合格っ!
慰めはうれしいけれど(100点)、その少し困ったような微笑み(減点20)と、わたし「は」という限定(減点20)が、むしろ辛いっ! カレー臭だけに辛い、世知辛いっ!
あと、たぶんユキも匂い嗅ぐのは好きだからね、この変態仲間め!
「...ゴホン。ちなみに、ニアは何歳なの?」
俺、自分の年齢だって分かってないのに。ニアは分かるのかな?
「...女の子に年齢聞いちゃ、ダメ」
はい、スミマセン。
ひとまず、俺は暑さを我慢して服を着なおして、ニアにも着るように説得しようとしたのだけれど......
「ニア、その背中...?」
「...? っ!?」
それは刺青だった。
ニアの小さな背中には、薄っすら残る古傷か痣のような、遠目には気付かないかもしれない肌に近い色で彫られた、無数の円形の刺青。
言葉を失った俺に対してニアが、
「...気持ち悪い?」
「......見せてもらっても良い?」
無言でうなずくニアに近づいて、背中を見せてもらった。
気持ち悪くないと言えば嘘になる。得体が知れなくて警戒せざるをえない、が正直な感想だ。
どうやら円の一つ一つは魔法陣らしい。転移門で見たものとは異なる式だが、なんとなくそんな「高度な」魔法を連想させるものだった。
その円が、一つ一つ歯車のように他の円と隣り合って連動しているようだ。
いくつかの円は同じ式......たぶん魔法の実行速度の安定、か? 組み合わさった歯車が暴走しないように、加速や遅延に歯止めをかける安全装置の魔法式。
転移門の時と同じように、【まほう】スキルのおかげなのか、書けそうにはないけれどなんとなく読むことはできた...
「...すごいな」
思わずつぶやいた俺に、ニアは悲しそうに言う。
「すごい?」
「いや、こんなもの俺には絶対に書けないよ、ニアは魔法の天才なんだな...」
「...私じゃない。【魔導】の力」
「道具があるのと使いこなすのとは別の話だ。この図案を考えたのとか、それを刺青にする発想とか、ちゃんと説明して正しく誰かに彫ってもらうのとか、それができるなんて、ニアは凄い魔法少女......あっ...」
興奮気味だった俺は、ようやく気がついた。
「...ゴメン。事情があって、彫ったのか」
その刺青を自慢げに見せたのならば賞賛すれば良いけれど、悲しそうに気持ち悪いかと問うくらいだ、あまり好きなものではないのだろう。
そして、刺青の色。肌の色に近いそれは、本来はもっと目立たないように隠したはずのものだったのだろう。
気温で肌が想定外に上気しなければ、あるいは俺に魔法の知識がなければ、気が付かないか気にならない程度のものなのかもしれない。
ニアが俺に説明した。
「魔法陣の組み合わせ。防毒、耐病、抗魔、強心......死なないようにいっぱい描いてもらった。死ぬわけには、いかなかった」
...どれだけ過酷に生きてきたんだ。自分の命か、あるいは猫族の人質達か、彼女は必死に守ってきたのだろう。
だいたい『其処に在る死』なんて二つ名だって、こんな小さな背中に背負い込むのは異常すぎるんだ。
そこに、ニアの衝撃的な言葉が続いた。
「でも、やっと主に会えた」
耳と尻尾がフニャッとして、緊張の解かれたホッとしたような顔でニアが言った。
――もしかして彼女はこの時を、俺を待っていたというのか...!?
ニアは、俺達の神が【スキル】を交換したことを知っていた。それってつまり、俺の存在を彼女は知っていたのか? いつから?
俺は渡り人とやらで最近来たけれど、ニアはいつからこの世界にいて、いつから人質を取られて、魔法陣をいくつも身体に彫って、危険な仕事を負わされて......ずっと、待っていた...!?――
「主、ずっと一緒」
微笑むニアを、俺は抱き寄せた。
「...あぁ、ずっと一緒にいような、ニア」
...この遭遇が遅すぎたのか、想定通りだったのかは分からない......メガミさんを責めれば良いのか感謝すれば良いのか、分からないけれど...ここから先はきっと悪いようにはならないはずだ......しないはずだ。
「...それで、ニア」
「?」
ニアも俺に隠し事の無いように、敢えてその背中を見せてくれたのかもしれない。だけど...
「...そろそろ服を着よう」
俺が抱き寄せたのも、半分は見えないようにっていう気遣いもあるんだよ? 女の子が肌を見せたら危ないんだよ? ビキニアーマーとか用途不明の防具を着なくても良いんだからね?
焦る俺に、自称年上のニアさんは仰った。
「...見てもいいよ?」
おぉぅ、至近距離でニコッと微笑まれると、もう......俺も背中か両頬あたりに「魅了無効化」とか「心拍数安定」とか「ネコ耳万歳」とかの魔法陣を描いてもらった方が良いんじゃないだろうか?
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ニアを説得してどうにか服を着させて、俺達は再び歩き出した。
進む方角の指示は【はいかい】スキルで転移門を見つける確率の高い俺がやったけれど、周囲の警戒は感覚の鋭いニアの方が慣れているようだった。
もともとは【徘徊する逢魔】のスキルなのであろう【白昼夢】、これは【魔導】のスキルを持つニアにも再現ができたのだけど、【はいかい】スキルの持つ強運、遭遇率の調整まではまだ再現できないそうだ。ニアはこれまで転移門の探索や索敵については五感を頼りにしていたらしい。
それでも必要ならば【魔導】の力で、探知や索敵の魔法を作ることはできるそうだ。
二人で会話しながら歩きつつ、試しにその場で索敵の魔法を作ってもらった。前世で言う、潜水艦のアクティブソナーのようなイメージを伝えると、ニアは少し考えた後、見事にそれをやってのけた。
魔力の波を周囲に飛ばして、その反射によって敵の位置を探すという魔法だ。
そして、それは同時に弱点の方も再現されたようだった。どうやら敵の方にもこちらが探していることがバレてしまうらしく、周囲にいたトカゲのような生き物たちが一斉に逃げ出すところが目撃できた。
つまり【魔導】で何かを作るなら、長所短所も含めて理解した上で作らないと、色々と失敗するリスクがあるということだ。
探索や索敵は、俺とニアがいれば今のところは必要ないから、わざわざ【魔導】で新しい魔法をつくるのはやめておいた。
それから、さっきの索敵魔法で逃げていった生き物。
第一階層にいたあの兎のようなかわいらしいモモフ達の姿はなく、代わりにいたのは小さなトカゲ達。燃えるような赤い鱗をもつ「メラ」という名の生き物だった。
ここで問題が発生した。
指で摘める大きさの小さなメラ。
そして、手で「掴む」大きさの、手の平を超える「メメラ」の登場である。
「ねぇ、ニア。このトカゲさんはメラで、あっちの大きいのはメメラって言うらしいよ? ...次はどんな生き物が現れると思う?」
「...メメメラ?」
「...だよねぇ? やっぱり、そう思うよねぇ」
モフ、モモフ、モモモフ......そしてそれは最終的に、山のような大きさになった。メメラの「メ」は、いくつまで増えるのだろうか?
そんなメメラを数匹狩って、持ち帰ることにした。
【鑑定】スキルで見たら「食べられる」ことが分かったからなのだが......ここにモモフがいない以上、チャレンジしてみるしかないだろう。食の道は険しいのだ。




