なゆた
建物の最上階に、一番偉いであろう「その男」が居たのは少し意外だった。
というのも、必ずしも上層が良い部屋になるとは限らないという話を聞いたことがあったからだ。
水道やらエレベーターやらはこの街には無さそうだったから、建物の「上の階」はそれなりに不便になるはずなんだ。それに最上階だと、飛び降りて逃げることすらできないだろう。だから、せいぜい二階にいると思っていたんだけれど、そいつは三階に引きこもっていた。
俺とティ、ニアの三人で最上階の部屋の、その扉を開いた。
「わ、私は【勇者】の件とは無関係だ!!」
部屋の奥のメガネの男が、開口一番、悲鳴をあげた。
襲撃したのは妖精達だったのに真っ先に俺への謝罪(?)が飛び出したのは、ニアの姿を見たからだろう。
俺と、大人姿のティで、左右からニアをぶらーんと持って入室した。どこかの国の特殊機関の男二人組が真ん中に宇宙人とかの珍しい生き物をつかまえている時の、あのポーズだ......抵抗しないニアも付き合いが良い。
余談だが、ティはここに来る前、大人姿に変身した直後、それを「維持するためのキス」を俺に要求してきやがった。
大人姿で微笑みながら迫ってきた姿にゾクリとしたけれど、きっと彼女には「魅了」と「悪戯」の常時発動スキルでも備わっているのだろう。
とはいえ、先ほどの「襲撃の礼」も含めて彼女と彼女の仲間達には俺は本気で感謝をしていたんだ。そんな思いを込めて俺はわりと真剣に、逃さず、念入りに、ティの「ご要望」にすぐさまガッツリ応じた。
ニアが「ふおぉ...」とキラキラした目で俺達を見つめて、ティが「...うぅぅ...あほー!」と一定時間、語彙力が低下した状態で俺の頬を引っ張ってきたので、三階に登るのが少し遅れてしまったんだ......俺、恥ずかしいけど頑張ったつもりだったんだよ、良かれと思って!
...さておき、今は目の前のニアの飼い主。「俺の命を狙っていた」ことを自白してくれたこの男だ。
一応、俺は【徘徊する逢魔】としての登場なので、もう一度、恥ずかしいのを耐えて頑張って、それっぽい感じで宣言してみた。
「...この後に及んで無関係を主張しようとは大したものだ。
だが、お前がどこまで関わっていようがいまいが、【勇者】に伝えた『【徘徊する逢魔】に関わればもう許さない』という伝言が正しく伝わっていようがいまいが、それこそ俺には関係ない!
俺は、お前に、慰謝料を要求する!」
彼が商人で、俺がお金の話をしたからだろう。
自信があるのか、メガネの男は俺の話に簡単に乗ってきた。
「...ふん、良かろう。ならばいくら必要なのか、言ってみたまえ!」
俺なんかよりもよっぽど堂に入った態度と台詞で返してきたのは、きっとこういう状況に慣れているのだろう。
ましてや【徘徊する逢魔】が人族に対して金銭を要求したところで、奴はその金をそのまま誰かに請求するだけの話だろうから、奴の懐は一切傷まないのだろう。
俺が「その金額」の書いた紙を取り出すと、ティが無言で俺の手からそれを取った。
ティがその紙を、男に投げる。
それは紙飛行機でも投げたかのように、スーッときれいに真っ直ぐに飛んでいった......風魔法かな? それ、便利そうだね?
まるでそういう生き物のように、きれいに手に収まったその紙を、男は読み上げた。
「ふむ。15320000000......
...これは一体、なんの冗談だね?」
「端数切捨てだ、感謝しろ」
道具屋のおばあちゃんに教わった、この世界の総資産だ。
細かい数字は俺も面倒くさかったのと、そういう重要そうな情報の正確な数字を流布させるのは嫌だったので、「端数を切捨て」してゼロで埋めておいたんだ。それでも十分にイカレた数字だってことは、この世界について全く知らない俺にだって察しがつく。
そして俺よりはこの世界の経済に詳しいはずのその男は、徐々にその数字の意味を理解したらしい。青ざめながら声を震わせた。
「な、何を馬鹿げたことをっ...!?」
「それを3年以内の分割払いで支払うか、この刺客と彼女に付随する全てを俺に差し出した上で二度と関わらぬと誓うか、好きな方を選べ」
「...な、なん、だと?」
「その金額の分割ならば3年でも35年でも三千年でも誤差だろうが!
刺客を切り捨てて無かったことにしたいなら、そいつの人質やら資産やらも全て放棄しなければ、お前が手放したことにはならないだろうがっ!
いちいち聞き返さずに、どちらを選ぶか、さっさと決断しろ!」
そんな俺の言葉の後に、さらにティが続いた。
「分割払いを望むのであれば、わらわの眷族達が毎日徴収しに行くことを約束しよう。
先ほどお前達と遊んでやった羽っ子達ではないぞ? 姿なきもの、影なきもの達が、毎朝毎晩、お前達のもとに集金しにいくから待っておれ。フフフ...」
...ティ、普通は分割払いって日割りじゃなくて月割りだからね? ...まぁ、それが嫌ならニアをよこせという話なわけだけど。
ティさんの、美人がやると恐怖3割増な邪悪な笑顔に対して、メガネの男は悲鳴を上げた。
「...おまえっ、まさか......妖精女王ティターニア!? なぜここに!!」
ティが大人姿だったから、ようやく遅れて正体に気が付いたようだ。
なんにせよもう、こちらの条件は伝え終わった。
「...そういう訳で、俺の用事は以上だ。徴収は明日からだ。では、さようなら」
「ま、ま、待て!! それなら、後者だ! 条件を飲む! じゅ、準備するから、しばらく、待て!」
あっさりとニアを手放すことを認めた男に対して、ニアがすぐさま返答した。
「それなら、いま喚ぶ」
...うん? いまよぶ?
「――来たれ、逢魔刻」
あれ? ...どこかで見たことのある光景だ......霧? ...まさか?
ニアが呼び出したらしき霧が、あっという間に室内を白く包み込んでしまった。
部屋が広いと言ってもここは屋内だ。霧を出したところで四方は壁。
壁のはずなのだが......人の気配が周囲に増えていく?
一人、二人、三...おいおい、ニアは一体なにを喚んだんだ!?
謎の霧によってすっかり拡張されてしまった白い空間の向こうから、歩いてきて俺達を取り囲むように立ったのは、ニアと同じネコ耳と尻尾を持つ人々......年齢も身長も様々な、老若男女の猫族達だった。およそ20弱......16人か?
そして、彼ら全員に首輪。以前にニアやティが付けていた『隷属の首輪』と同じやつだ。
「さぁ、自由にして」
驚愕するメガネの男に対して、ニアが開放を要求した。
俺がびっくりしている一方で、ニアに呼ばれた猫族達は冷静だった。
突然呼びつけられたというよりも、まるで事態を把握しているかのような様子なのは召喚魔法(?)にありがちな仕様なのだろうか? それともニアの「逢魔時」という魔法(?)の効果なのだろうか......どこかで聞いたことある名前の【スキル】だね?
俺は収納魔法から、以前奪った『隷属の杖』を取り出した。
これで彼らの『隷属の首輪』を解呪できるのか分からないが、とりあえず俺は杖をニアに手渡した。
メガネの男が何かを言おうとする前に、ティが先に釘を刺す。
「つまらぬことは考えぬことじゃ。彼らに余計な命令を与える前に、おぬしの首がねじ切れるぞ?」
...そのねじ切る係って、俺じゃないよね? ...誰がやるか、じゃんけんで決めておく?
目の前の男は息を飲んで、メガネをクイッと上げた後、慎重に言葉を選びながら、時間稼ぎをしてきたようだ。
「...も、もちろん、分かっているとも。
...鍵言葉、もちろん教える、が......それを、一つ一つ...
...それを、誰が知っているのかを調べるのも含めて、
......彼らの安全を図りつつ確認するのは、
...とても、大いに時間がかかる」
その男の言葉に......ニアが感情を露わにして怒った。初めてみる顔、殺気立った鋭い目だ。
そんなニアの様子に余裕の男が、むしろ愉悦めいた表情さえ浮かべるのは、きっと「いつも」こういうやりとりを繰り返しているのだろう...
...だけど、うん、彼はどうしてそんなに余裕なのかな?
俺とティがここにいることが、分かっているのだろうか?
俺が「異世界の普通のサラリーマン」だったのならば彼の言い分も分からないでも無いのだけれど、残念ながら今の俺は【徘徊する逢魔】な訳で、彼の事情など一切、斟酌する気など無いんだ。
ニアがここに人質を呼び集めた時点で、もう全員を俺が奪い去ってしまうつもりだし、メガネの彼すらも連行してしまおうと思っているんだ。
彼が何をどこまで知っているのか洗い浚い全て白状するのが先か、スライムさんが彼をじわじわ溶かし切るのが先か、どっちが早いか競争させてしまえば良いとさえ俺は考えているんだ。
つまり、彼はいま、絶体絶命のはずなんだが...?
そんな真っ黒なことを考える俺の方を見て大人姿のティさんも「さて、どうするのじゃ?」とばかりに肩をすくめた。彼女も俺と同様に冷静なのは、俺と同じか、俺以上にひどい解決策を腹の中に秘めているからなのだろう。
だけど......俺は、ニアに興味半分で聞いてみた。
「...ニア、首輪の解呪の魔法は、作れるか?」
ニアの持つ【魔導】は、魔法を創造するスキルだったはずだ。
「...ううん、難しい」
「それなら、鍵言葉を『入力する』魔法は?」
「...できる。でも正しい鍵言葉は分からない」
そう、4日前に同じような台詞を俺は妖精達から聞いていた。あの時は俺も鍵言葉なんて分からなかったから...
「俺はティを解呪した時に、一から順番に、片っ端から試していったんだ」
「......」
俺は「前世の知識」にもとづいて、強引に鍵言葉を突破した。
だけどそれは普通、人力とか手動とかでやるような作業じゃない。プログラミングとかツールとか、もっと便利なものでやるはずの作業なんだ。
「順番に0、1、2と、解呪できるまで全部試せば良いんじゃないか?」
「......?」
そして、ここには【魔導】という名の便利なツールがあるようだ。
「ニアの【魔導】ならもっと、俺よりも早く、全員に、全てを入力できるんじゃないのかな?」
「...!!」
何より...そういうコンピュータとかに詳しい人達のことを『魔術師』って呼ぶんだぜ? いるでしょ、ここにとっておきの魔術師が。
俺がそう思った時には、【魔導】は既に、それを唱えていた。
「――我は問う。一から那由他まで」
次々に首輪が爆発していく...!? ...わぉ、秒未満で解いちゃったよ!? 俺は二時間かかったのにね!
そして...
「目がっ、目がぁぁぁ!!」
あれ!? ネガネの男が転げまわっているのは、どうして!?
...あぁ。『隷属の杖』の代わりがその『メガネ』なのか。それで首輪とセットで、一緒に爆発した訳だ。
...待て、爆発?
「く、首がぁ!」
「ぎゃあぁ〜!」
「...ぐ、ぐえぇ...」
首輪つけていたニアの仲間達、全滅じゃない!?
ダメじゃん!? ちょっと、地獄絵図ですよ、ニアさん!?
「...魔力、込め過ぎた」
「言ってないで、早く助けてあげて!? ティも手伝って、早く!!」
一時はどうなることかと思ったけれど、結局、解呪は「成功」していたようだった。
爆発したのは風船が破裂するようなのと同じ程度のもので、みんな首が赤くなるくらいで済んだらしい。それでも破裂しちゃったら痛そうだし、部位も部位だけにすぐに全員の無事の確認と治療に急いだわけだけど。16人は俺達の手が回るギリギリの人数だった......
メガネ(が爆発した)男の治療は最後だった。
うん、嫌がらせではなく、本当に手が回らなくて大変だったんだ......なんか、ゴメン。
(那由他はゼロが60個くらいある桁数、ものすごく大きな数です)




