あっつい
酒場兼宿屋の二階の廊下から強引に【白昼夢】の世界まで歩けてしまったのには、やってみた俺自身でもさすがに驚いてしまった。
「それで、俺達は10階層の宿に寝泊まりすることになりそうなんだけど......本当に留守番で良いの? 別に一緒に来たって良いんだよ、スライムさん?」
俺の問いかけに対して、大きめの水羊羹あらため、溶けた水飴のように地面に貼り付いて留守番を主張するスライムさん。いざとなれば彼の方から【白昼夢】を出てくることはできるのだから、まぁ、良いでしょう、という話をしたのは10階層の宿に泊まった『初日』のできごとだ。
それから一度も俺達は【白昼夢】には戻っていなかった。
そして11階層への旅立ちの道すがらに、
「スライムさんにもティさんを紹介しましょう!」
とサキに言われて、俺が「あっ...」とつぶやき、ユキが俺に生温かい笑顔を向けた。
...べ、別に連日の愉快な宴会でスライムさんのことをすっかり忘れていたわけじゃ......忘れてたけどっ! だけど、もう一つ別の理由で、【白昼夢】に戻るタイミングについては迷っているんだ!
俺は二人に「もう少し後でね」と曖昧な返事をしながら、ティも新たに加えつつ、そのまま11階層へと旅立った。
そして、11階層。
転移門から降りてきた俺が真っ先に発した言葉は、これだった。
「なんだここ......暑っつい!」
常夏とでも言うのだろうか? いや、酷暑というべきかもしれない、とにかく暑い!
そこに広がる光景はこれまでと大きな違いは無いのだけれど、草原だった上層に比べて、草が減り、むき出しの地面や岩場が増えていた。
もしかしたら植生も熱帯のそれに変わっていたのかもしれないが、この世界の草花に詳しくない俺にはそこまでは良く分からなかった。
そして、暑い。
相変わらずの清々しい青空なのに、気温が変わるだけで、こうも憎らしく見えるとは......
「...陽射しが辛い、痛い......君達は大丈夫なの?」
「確かに暑いとは思いますが......それだけ、ですね」
「はい。この程度ならば特に問題ありません」
「わらわは身体が小さいし、魔法で冷やすからのー」
あれ!? 俺だけが、ぜんぜん我慢の無い子だった!? 一人だけわがまま言ってる!?
「いや、主様は頑張っておると思うぞ? 人族には辛い気候じゃろう」
わぁ、ありがとうティさん! わがままなのは俺ではなくて人族だって、ちゃんと責任が転嫁できたよ!
ちなみにティは大人サイズから小人サイズに戻っていて、いまは俺達のすぐ前で停止飛行している......その飛行能力、便利そうだね。ちょっとだけ涼しげに見えるし。
「人族は他の種族に比べて、暑さや寒さ、魔法や刃物に弱くて、狡猾で群れる生き物じゃからな、仕方がないじゃろう」
...ちょっと、ティさん? それって人族の全否定だよね? あと、さり気なく後半に余計な一言ぶっ込んで来たね? わりと首輪の件、恨んでるでしょ? ...うん、もっと気が済むまで蔑んでも良いからね?
「...はい、全てに弱くて狡猾な私めから、ご提案がございます」
「どうした主様、妙に卑屈になって......スマン、言い過ぎたようじゃ」
「いえいえ、女王様......さておき、一旦引き返して、作戦を立てなおさせてくれ。この暑さが下の階層も続くようだと、本当にこの先で『俺が』もたないかもしれない」
それと、俺は自分の影を見つめた。こちらの子にも、準備する時間が必要なのではなかろうか...?
情けないことに、出発直後に再び10階層のあの酒場兼宿屋へと戻ってきた。
そしてテーブルについた俺達は、汗で流れた水分を補給しながら作戦会議を始めた。
俺達の席に「わぁ、おかえりなさい!」と、ちょくちょく妖精達が挨拶に来てくれたのはうれしいが、勇ましく旅立っていった手前、俺はとても恥ずかしかった......ティやサキ、ユキのような「ただいま〜!」と言える素直さが、ちょっぴり羨ましく感じてしまった。
それはさておき、11階層についての対策だ。
サキ、ユキをはじめ、この酒場にいる者達にも下の階層に関する知識は無いようだった。
10階層の住人達も、用があるのは観光地であるこの階層だけで、下の階層にはさほど興味が無いらしい。
ティは、この迷宮全体についての「ふんわりとした知識」はあるそうだが、例の首輪の件でここ数年のことは把握しておらず、それより前の昔と今とでは情報に食い違いがあるといけないから、あまり詳しいことは話したくないそうだ。
...理由はもっともらしいけど、【羽ばたく悪戯】の名を持つティがニヤニヤしながらそれを言うと、どうも説得力に欠けてしまう。おおかた実際のところは、「話さないほうが楽しそう」あたりが本音なのだろう......
「...まぁ、誰もこの下の階層について知らないのは仕方ないとして。さっき現地確認ができたことを踏まえて、作戦を立てなおそう。
道具屋さんで俺やサキ、ユキの服装について相談したいし、11層から先の情報について何か知っているか聞いてみたい」
迷宮に詳しいおばあちゃんなら、何かいい感じの助言をもらえるかもしれない。
俺の服が神様製の特殊服だと言っても、暑さ寒さは普通の服程度に感じることが分かった。気候に合わせた服装も、そろそろ考えなくてはならないだろう。
ティが「道具屋?」と怪訝な顔をしていたが、行けば分かるから特に説明はしなかった。
「俺もみんなも一晩考えなおしてみて、足りないものがあればこの街でも探してみよう。
それに今日の俺達に合わせて、もし人族や【勇者】に動きがあれば、少しだけここの妖精達の力も借りよう」
「「そうですね!」」
「そうじゃな」
そんな俺の結論を待っていたかのように、俺達のテーブルに妖精達が、次々に料理を持ってきた。
ちょっと、ティさん? これって女王の職権乱用なんじゃない? 食べ物だってタダじゃないんだから......え? 頼んでないの? 勝手に持ってくるの?
それならこれ、食べたらダメなのかな? あとで法外な料金を請求されるタイプのお店......え? むしろ好意だから食べてあげて? そうなの? 俺、やさしさで泣いちゃうよ?
あとサキ、君、お酒を飲んだらダメなんじゃなかったっけ? ...わ、分かったから泣くな、少しだけだぞ? うん、飲んでもいいけど、少しだけだぞ? 大事なことだから二度言ったからな、酔う前に。
妖精さーん、木の実とか果実とか、サキに割ったり絞ったりして欲しいものあったら、じゃんじゃん持って来て良いからね?
その日はもう昼間っから、なし崩し的に宴会になってしまった。
なんだか俺、10階層に来てから宴会ばっかりやっている気がするんだけど?
......もう、11階層に行くのやめて、やっぱりここに住もうかな?
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その日の夜。
真夜中に、寝ているところを、襲われた。
俺は反撃して襲い返し......
...おや? 別に俺の上で眠っているだけ、か?
それは黒髪でも緑髪でもなく、紺色。そして猫耳。
...なんだ。知り合いの刺客、か。
寝ぼけてるのかな、と思って頭を撫でてみたら、なんだかゴロゴロ言っている感じだったので、もうそのままにしておいて俺も眠りについた。
今日はもう、色々あって疲れたんだ、特にティとサキ......
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翌朝。
俺の目の前で正座させられている、俺を狙っている刺客のネコ耳さん。
そのネコちゃんの両隣に立つ、剣呑な雰囲気のサキとユキ。
ユキがネコちゃんの首を、サキが尻尾を、片手でガッツリ掴んでいる。
このままネコちゃん、縛られてモモフの餌にでもされそうな雰囲気だけど大丈夫かな? やめてあげてね?
そして、彼女達と俺の間にいるティ。
...あれ? 背が高い大人モードだね? 実は昨夜、俺から勝手に吸い取ったりしてた?
「失礼じゃな。短い時間なら自力でこの姿になれる。二人共、離してやってくれぬか?」
二人が手を離すと、離された尻尾がしおしおペタンとそのまま床に倒れた。抵抗の意思は無さそうだ。
このネコちゃん、これまでに二回対面した時の雰囲気だと強そうに見えたけど、さすがにこの四人に囲まれては諦めたのかもしれない......抵抗が無いのには正直、助かった。
ただ、その一方で、ティの時はすぐに俺の部屋に駆けつけたらしいサキとユキが、昨夜はまったく気付かなかったようだ。二人の目を盗むくらいの実力がネコちゃんにはあるのだろう。
...俺はといえば、実は、ずっと気づいていた。
11階層に降りる前から、俺の影の中(?)に潜んでいたからだ。俺の身体というか、影が、少しだけ重くなっていたんだ。
そこに意識を向けなければ、影に潜るネコ娘に追われていることを覚えていなければ、そのまま見落としていたかもしれない程度の変化ではあったのだけど、影が重いという不思議な感覚は初めての体験だった。
それでも、11階層の探索が始まったら、彼女はどうするのだろうかとは思っていた......さすがに彼女を【白昼夢】の方に連れて行くのは俺達が危険だし、どうしよう...などど考えていたら、昨夜は酒場の宿に泊まることになって、今、こうなっている。
「...ティは、気がついていたのか?」
「わらわが主様に襲われた次の夜に、わらわ自らがその娘を捕獲して、もう話はつけておった」
失敬な!? 襲ってきたのはそっちだぞ! いや、いまはその話じゃなくて......え、捕獲?
するとティは、手をかざして何かをつぶやいた。
そして、ネコちゃんの目の前の床から......げっ! 何それ!?
草か、触手? なんかウネウネした奴が光と共に現れた!
「ネコネコ草じゃ」
ネコ草かな? それともマタタビ的なやつ? 海藻かイソギンチャクみたいにウネウネ動いているけど、それ、危なかったりエロかったりするやつじゃないよね?
床から召喚されて、特に自己紹介もせずにただウネウネしている草を、ネコちゃんがテシテシと叩き始めた。 ...え? そういうふうに使う草なの、それ?
「これを部屋中に召喚して、その娘を『絡め取って』、捕まえた」
やっぱり物理かよ! 味とか匂いとかで捕まえるんじゃねーのかよっ!
ネコネコ草とか言ってるけど、ネコ以外にも「なんでも」捕まえるやつだろ、それ!? この前の蔦といい、そういうのばっかりだな!?
「いきなり仕留めるよりは、捕まえた方が良かったじゃろ?」
...いや、確かにその通りだけどさ。
ふつうは宿への侵入者に対して、捕獲なんて生ぬるいことをやる余裕は無いだろう。
こっちが無事で相手も無事なんて、最善手としか言いようがない。刺客相手にそれを成し遂げたティの実力は大したものだ。
「...その通りだ。助かった、ティ」
「フフフ。それに今回は、少々事情があってな......サキ、ユキ、少し席を外してもらえぬか?」
事情?
ティとネコちゃんと、俺の三人で? 何だろう?
「「...それは」」
「主様は、何があっても必ず、わらわが守りきる」
「「...わかりました」」
あれっ、サキとユキが簡単に引くとは思わなかった!? いつの間に三人でそんなに仲良くなったのかな......でも、良かったね!
部屋の外に二人が出て行った後、ティと俺、ネコちゃんはしばらく黙っていた。
とはいえ、俺にはこの三人に共通する話題は思い浮かばない。
ここに至って敢えてサキとユキという戦力を遠ざけて、人払いまでして確認しておきたいようなことなんて、少なくとも俺の方には無かった。
そのまま黙っていても仕方がないので、口火を切ったのは俺だった。
「...あー。改めまして、はじめまして。俺の名前はコージ。職業は......さておき、君のお名前は?」
「ニア」
ふむふむ。ニアさん、ね。
......
......
......ちょっと待て! それで終わりなのか!?
説明無いのか? 何か事情があるんじゃ無かったのか!?
おい、ティ! お前、もう少しちゃんとこの場を「仕切れ」よ! ここまでやっておいて、俺に投げっぱなしで終わるんじゃないっ!




