におい
青い空、そして白い雲。
澄み渡った青空に輝く太陽......らしきもの。
そして白い雲......は、無い。快晴だった。
そう言えば、この迷宮の空には雲がない......
薄っすらと白く霞がかってくることはあっても、積乱雲のようなやつはまだ、見たことがない。
そして、雨が振らない。
雨は振らなくとも、川や草があるのはなぜか......いや、どうでも良い。
いまは空だ。空だけをただ、見続けていたい気分なんだ......
俺の両腕を取って、ユッサユッサと揺らしてくるのは......
「...キ?」
「「頭文字を省略しないで下さい!」」
...サキとユキだ。
昨日、勇者と不愉快な仲間達を、なりゆきで地面に埋めてしまってからというものの、俺はすっかり無気力になっていた。
自分でも少し不思議なほどに、燃え尽きていた。
なんであんなに大暴れしちゃったのかという自己嫌悪とか、もっと上手いやり方は無かったのかという自己嫌悪とか、なんで人族の代表みたいに落ち込んでるんだろうという自己嫌悪とか、あの瞬間は紛うことなき殺人鬼だった自己嫌悪とか、全人族を敵に回しちゃってるという自己嫌悪とか......あれ、どうして自己嫌悪しかしていないんだろ?
俺、そんなに自分嫌いっ子だったっけ? ......ハァ〜ーーー...
...口を半開きにしたまま、ただ空を眺めてぼーっとしながら、足だけはどうにか前に進めている俺を、二人が左右から支えて歩いていた。
二人には「今日は一日休むべきでは?」と心配もされたが、俺は歩くことを選んだ。歩かなければ、次の追っ手が来るからだ。
...次の追っ手? 冗談じゃない、またアレの相手なんてもう、こりごりだ......歩くというよりも、本能的に俺は前へと逃げ出しているだけなのかもしれない、全身を前へと引きずって......
二人は無気力な俺がだんだん心配になってきたのだろう。
最初は俺の服の袖を無言で摘んで、遠慮がちに引っ張ったりしてきた。服の袖を、腕を、頬を、遠慮がちに引っ張ったりしてきていた......わりと遠慮が無いね? 君達。
それでも無反応な俺を、二人が少しずつ引っ張ったり揺すったりしている内に......だんだん激しくなって......先ほどの「ゆっさ、ゆっさ」の状態になったのだ。
そんな左右からの揺さぶりに揺れ動く視界の中で、俺は...
「俺は......」
...俺は、どうすれば良かったんだろう?
うっかり漏れそうになったその言葉を飲み込んだ。
その言葉は、口に出すべきではない。
俺が彼女達の立場なら、自分の仲間達を滅ぼした怨敵について「どうすれば良かった?」なんて聞かれたら、答えは一つしか無い。むしろ何故、俺はそうしなかったのか。
...平和のため? 暴力は間違っているから?
いやいやいやいや、神だの正義だの振り回して全く対話する気のない連中を相手に平和について説き伏せるだけの技能があれば、俺はもっと他の職業に就けるはずだ。
不思議な壺やら偽の名画やらご利益のある水道水やらを売りさばいて人族達と仲良くなって、脳を洗ったり、詭りを弁じたりしながら、皆を幸せへと導いて、やがては「自称神」でも目指せばいい!
...俺、そういえば神の使徒だったっけ? やべぇ、実はもう既に、紙一重だった。
...だけど結局、神への道(?)はあきらめて暴力でねじ伏せた? ...いや、違う違う...それですら、ない。ねじ伏せ損なって、中途半端に大地に埋めることしかできなかったんだ。
「どうすれば良かった?」なんて傲慢も甚だしい。どうにもならなかったんだよ、あきらめろ! ...どうにかしようとして、どうにもならなかったから、いま俺は、灰のように燃え尽きているんだろ?
あぁ、さっぱり分からねー。
俺は何がやりたかったんだぁー...
...だいたい、俺が勝手に彼女達を助けたんだ。
二人を助けようと戦った挙句に、無気力というのも、助けられた彼女らの方はたまったもんじゃない話だろう。
そんなことなら、最初から助けなければ良かったんだ。...えっ、助けなければ良かった? ...なんだか頭の中がグルグルと回っていくー......
...そもそも俺は――
「――主様は最強です!」
そう、俺は最強! ...違うっ!? そうじゃない!
俺の思考を中断したのはサキの声だった。
...サキはきっと、さっき飲み込んだ「俺は」に続く台詞を、俺の代わりに言ってくれたのだろう。
...いやいや、最強なんかじゃない。あんなものは偶然だ。
君達だって俺の【神器:辞書】で練習すればできるであろう一発芸が、たまたま最初に、上手に決まっただけなんだ。
あとは、一定時間無敵モードで突っ走ってしまっただけなんだ。あれはきっと、良くないやつだ、反省材料だ。
...そういえばあの時、二人は最後に俺を「止めて」くれたんだった。そして俺は、我に返った。
もしも最初に、【辞書】の一撃であの四人の命を奪っていたなら、二人は俺を止めはしなかっただろう。
彼女達にとっては敵である人族に、俺が止めを刺そうとしたのを敢えて阻止してくれたのはなぜだ?
きっと、俺があの時「迷っている」のを察して、止めてくれたんじゃないだろうか?
迷うくらいなら、やめておけ、という話だ。
いやいやいや、それでも俺は――
――俺の右腕をギュッと抱きしめる感触。
ユキが俺の腕に強くしがみつき、俺とサキは引っ張られるように立ち止まった。
そのままユキは、腕に顔を押し付けたまま、動かなかった。
...ユキさん? 俺の匂いでも嗅いでいるのかな?
おかしいな? 俺はまだ、加齢臭とかは無いはずだよね?
ユキが、耳まで真っ赤にして恥ずかしがりながらも、少し怒ったように、俺に言った。
「...私達のことを考えて下さい」
...うん? 考えている......つもりだったような、そうでないような......?
「...あんなどうでもいい人達のことはもう、いいんです! 主様は、私達のことだけを考えていれば良いんです!」
...あ。
そうだよ。俺は一体、何を考えていたんだ。
わざわざ俺の小さな脳を、憎い奴らの顔で埋めているのはどうしてだ?
俺の少ない記憶領域は、サキとユキだけでもう、満杯なはずだろう?
むしろ、頻繁に溢れ出す下心が脳から漏れ出してくるくらいだったのに、いつから俺は左右の美女を放っておいて平和やら正義やらについて思い悩むような、枯れ果てた聖人君子みたいになったんだ?
そもそも下心で助けたのに、嵐が去った今、この脳を下心で埋めずに一体なにで埋めようというのだ?
...そうだユキさん、良いことを言う!
...あれ? ユキさんは、なんで俺の腕に顔を埋めたままなのかな?
...スーハーしても、別に俺にカレー臭とか無いはずだよ? 無いよね? 額の角が俺の腕にグリグリ当たって、ちょっと痛いようなくすぐったいような感じなんだけど。
ほら、なんか左の子も真似しだして、収拾つかなくなっちゃったよ? これ、どういう状況なの?
...ねぇ? 二人共、沈黙しないで!?
晴れ渡る青い空の下、両隣から匂いをかがれているというよく分からない状況に、俺はボーッと立ち尽くした。
広がる草原。
遠くに跳ねるモモフの姿を見て......俺はハッとした。二人の行動の答えが分かった。前世の知識から、それを思い出した。
そうだこれは、アレだ。犬とか猫とか飼っている人がやるやつだ。
ペットに顔を押し付けて、生命力を吸って癒やされようという、上級者向け(?)のアレだ。犬吸いとか猫吸いとか言われているやつだ。
うん、吸われている俺はいま、ユキとサキにとってのペット枠なんだ。あるいは、ぬいぐるみ枠? 俺も吸い返せば良いのかな? いやダメだ、きっと新たに【せくはら】のスキルをゲットしてしまう!
そういえば、この両腕からギュッと抱きつかれてる格好も、恥ずかしいな?
...あれっ?
よくよく見れば、こんなの夢の陣形だぞ!? 両腕にギュッっとか、きっと前世にも来世にも無いやつだぞ!?
これは、あれだろ、真ん中にいるやつの防御力がみるみる下がるという、幻の陣形、「ハーレム」じゃないか!?
これ夢じゃないよね? 俺、眠ってないよね? 腕に角がグリグリしているから、たぶん夢じゃないよね?
俺達は三人は、ゆっくりと腰をおろして、その場に倒れこんだ。
草原のど真ん中で寝転ぶ三人。
この辺は大きなモモフもいるから、ここで寝転がるのはあまり安全では無いのだろうけれど、なんとなく今はもう、どうでも良い気分になってしまった。
三人で、青空の下、草原の中、しばらく昼寝をした。
なんだかんだあって俺達は、この時間を、勝ち取ったんだ。
二人は俺の左右の腕を死守し続けた。そんなに大事にしてくれるなら、もう好きにしたまえ。好きなだけ匂いを嗅ぐといい。わりと恥ずかしいけど我慢するからさ。
気が付けば、幼体の「モフ」も数匹、俺の上に乗っかって、俺の匂いをフスフスと嗅いでいた。
...俺、別にカレー臭くないよね?
今度、道具屋で月桂樹の葉か、ガラムマサラでも売っていないか、聞いておこうかな。




