閑話〜プロローグ
※主人公のプロローグです。残酷なのが苦手な方は読み飛ばして下さい。
以降はちゃんとほのぼの路線に戻りますし、ハッピーエンドを目指すので、大丈夫です...
彼はどこにでもいる普通のサラリーマンだった。
ラジオ体操代わりに、やたら元気な祖父に教わった武術を毎朝練習する以外には、特にたいした趣味も取り柄も無い男であった。
身体の線はシュッと細く見えて大人しく真面目な印象から、人並み以上に侮られ威圧されることの多い、よく言えば穏やかな、悪く言えば弱々しい男であった。
それでも彼は自分が短気で激情家であるという自覚があって、余計なことは口にしないように努めていたので、それが彼の大人しく弱々しいという印象に拍車をかけていた。
もの覚えは悪い、要領も良くない、何かの専門家でも無かった。
仕事で必要な知識は土日に、書籍やWebで何日もかけて学んでようやく追いつく、そうしなければ仕事にならない。
器用貧乏で、「その他」の仕事を何でも押し付けられては、年下の上司に「お前の代わりはいくらでもいる」と言われる日々。
それでもどうにか生きてきた。
...ここまでは、まだ良かった。
ある日、通り魔に襲われていた女性を助けた。
より正しくは、助けざるを得なかった。目の前でそれが起こったどころか、前方の角から女と男がセットでこちらに飛び込んできたからだ。
なにより......こちらに気づいた通り魔が取り出したのが、見たことのあるスタンガン。
偶然ニュースで取り上げられているのを見て知っていた、海外製の最新式のそれは既に売買が禁止されていたものだった。
規制がかかっていた理由は、オプションの部品を取り替えるだけで人が殺せる威力になるからだ。既に何人も死者が出て訴訟が起きているという。
それは電極を飛ばす機能がついた、つまり飛び道具だった。網のように放たれるそれは、下手な銃よりよほど命中率精度も殺傷能力も高い、必殺の兵器。
護身用に使うならさぞかし優秀な道具であろうが、当然それは通り魔にとっても同じく凶悪な武器であった。
隠れる場所の無い一本道、「逃げられない」、もう時間がない、倒すしか無い。
この判断と、彼の身を守るはずの技術が、彼の人生を終わらせた。
武器を向けてきた殺意に満ちた相手に、手加減できるほどの余裕など無かった。本気で放った一撃が、あっさり命を奪ってしまった。
ニュースになった。
暴漢を返り討ちにしたサラリーマン。絶好のネタだった。
さらには、暴漢が何かの社会的地位のある者だったとか、襲われていた者がその暴漢に逆らえない立場の者だったとか、その二人の関係性についてだけで賛否両論6ページは記事に出来るような話題性があったとか、そういった事情について彼は一切知らなかった。
そして彼自身が真面目でなんの取り柄も無い男であることなどどうでも良く、彼の住所や経歴や、ありもしない過去までが暴露され、「一説には」彼は人を殺す技術を訓練し続けることが趣味の危険思想の持ち主であるという「噂がある」と報道されて、そんな報道についても彼は一切知らなかった。
彼はニュースや情勢に疎い男だった。彼の犯した行為が、どれだけエキサイティングでエキセントリックなものだったのか自覚が無かった。
どの道、彼はあの時は、ただそうすることしかできなかったのであった。
無礼で危険な野次馬達、毎日執拗に続く攻撃――彼を危険に晒す挑発行為にまんまと乗って、彼はついに反撃してしまった。
やった! さらに絶好のネタが舞い込んだ! 皆が歓喜し、狂喜して、彼により一層、喰らい付いた。
殺人鬼を殺した「殺人鬼」。
世間が一斉に彼を叩きだした。徹底的に叩いて、その悲鳴を絞り出しては、再び世間へと拡散し、視聴数やら再生数やらを大いに稼ぎだしていった。
殺人鬼に味方はいなかった。
同僚も上司も後輩も、すべて敵。「彼はいつか何かやると思った」などと中身は無いが悪意のあるコメントを言いたい放題に宣まった。
真に心配する者達は、殺人鬼は遠ざけた。
そんな者達にも最早何かができる状況ではないと彼は断じて、巻き込まないように必死だった。
そう、もはや手遅れだった。
有象無象が公が私が、正義の名のもとに、彼に襲いかかった。
刑が、私刑が彼を追い、彼に過剰防衛と暴行殺人未遂の罪を重ねさせた。
最期は、お祭り騒ぎだった。
私的な荒くれ者達と、なにかの権力で買収された公的組織が、二重三重に彼を追い詰めて、騒ぎを一層おかしくした。
個人的な撮影端末と、商業的な撮影機材がそれを取り囲み、法治国家にあるまじき暴力の惨劇を、絶好のスクープを、撮影した。
その一大エンターテイメントは、彼が徹底的に蹂躙された後に逮捕されるという喜劇で終わる......はずだった。
すべてを棄てた、やめた彼。
出血多量で絶命するその時までに、彼を取り囲む全てを討ち果たした......彼が最期に選んだ答えは「鏖」だった。
削除されるまでのわずか半日間で百万回近く再生された、それぞれ別の視点から撮った彼の死に際の動画の数は3つ。
画面越しに命を散らす彼の勇姿は、臨場感に欠けるだの、面白いだの怖いだの、早く捕まえて殺せだの、言いたい放題コメントされて、祭りは大いに盛り上がったという。
人気絶頂のそれらの動画には、ちょうどその時に流行っていた面白い何かの主人公か敵キャラでもなぞったのか、偶然にも、こんな共通のタグがついていた。
「#拳聖」と。




