なまえ
「あの、よろしければ、あなたのお名前をお聞かせ下さい」
小鬼の女の子の一人にそう言われてみて、俺は改めて思い出した。
【ステータス】でも俺の名前は「未定」のままだった。もしかしたらミティさんかもしれないけど。
...さすがにミティさんでは無いはずなので、いま俺がここで名乗った名前が、そのまま【ステータス】上でも確定した名前になるのかな? ...文字数は何文字くらいまでなら入るんだろう?
「あー...俺の名前は――」
――寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来松風来末食う寝るところに住むところ藪ら柑子藪柑子パイポパイポパイポパイポ(中略)長助だ!
「――......ぁー...コージだ!」
藪柑子から取って、コージ! うん、日和った。「じゅげむ(中略)ちょうすけ」にはできなかった。一瞬だけ「パイポ」にするか迷ったけどね。寿限無もパイポもぜんぶ縁起の良い名前なんだぞ? 長いけど。
どこか遠い天高くから「ハラハラしたですぅ」という声が聞こえた気がした。
...「じゅげむ(中略)ちょうすけ」にしたら、一応は【辞書】の【ステータス】に反映するつもりだったのか? その意気込みは褒めてやるが、そもそも名前も未定のまま放り出すのが悪いんだからな! メガミめ!
...さておき。
なぜか自分の名前で長考するという俺に、若干の訝しげな視線を送る二人に対して、俺も「お二人のお名前は?」と聞き返すと、また別の意味で眉をひそめてしまった。
「私達の名前は...その......」
「...ありません」
...じゃぁ、『ミティ』さん、あげようか?
キ○ィさんみたいで、かわいいでしょ?
「コージさんが、決めて下さい!」
「コージが決めて!」
......『ミティA』と『ミティB』とかにしたら、ベギラ○で一掃されそうで縁起が悪いな?
...もちろん冗談だけど! でも、俺はそういうのは苦手なんだ! いきなり名前を考えろとか言われても、何が良いのかさっぱり分からん!
犬ならポチ、猫ならタマ、執事ならセバスチャンくらいしか思い付かないぞ! 小鬼には一体、なんて付けたら良いんだ!? 赤鬼青鬼くらいしか思い付かないし、二人は赤でも青でもないぞ......
「...うーん。...じゃぁ、サキと、ユキで」
元気そうな君が左鬼で、賢そうな君が右鬼だ。かわいいでしょ? これが俺の限界だ。
あー、それに、元気、賢い、って言っても誤差だからな? 双子だから、さっぱり見分けがつかないからな!
「...しばらく、左にサキが、右にユキがいてくれると助かるのだが?」
「...髪の分け目が少し左なのが、サキだよ?」
「誤差だ誤差っ! あと、二人とも鏡持ってないだろ!? 適当なこと言っただけだろ! ...あぁ、そこ! 二人でクルクル回るな! どっちがサキでしょうか? って、分かるかっ!!」
三回目でようやく正解して、二人が口を尖らせた。無茶言うな。だいたい、そのクイズ、正解かどうか俺は確認しようが無いやつだからな! 不公平だろ!
...おや、【鑑定】スキル? ...あったねぇ、そんな便利なやつも。忘れてたよ。
まだレベルが低いせいか、種族名? と食べられるかどうかしか表示されないんだ。ちゃんとレベルを上げなくちゃね。
あらためてサキ、ユキを【鑑定】スキルでじっと見たら。
【ごぶりん (たべられるよ、ウフフ)】
と表示された......くそぅ、あのメガミめ! さっきの名前の件の仕返しかっ!? 俺にどんな期待をもたせているんだ! もやもやムラムラして眠れなくなるだろう!
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二人は人族に追われているとのことなので、ひとまず下の階層を目指すことにした。
俺の【白昼夢】の領域から、霧を抜けて、元の草原へと戻ると二人は感動していた。
実は俺も、出たり入ったりするときに毎回感動している。この【白昼夢】の世界って、なんだか幻想的な感じで、好きなんだよねぇ...
それはさておき、
「二人はどっちから来たの? 俺、開始地点がこの迷宮の中だから、上も下も、どっちの方角にあるものなのか分からなくて」
俺の問いかけに対して、二人は周囲を見回しながら、首をかしげた。
「...おそらく、あっちから来たと思います」
「...ごめんなさい、わからない、です」
そりゃそうだよね...見渡す限りの草原で、しかも二人とも倒れていたし。
ひとまず二人が示した方向と逆に向けて、歩き出した。
追っ手が怖いのと、入り口(?)の反対に向かえば次の階層へ着く気がしたからだ。
「そういえば、この迷宮の地図とかって、どこかで売ってるのかな?」
「それは...ごめんなさい、わからない、です」
「...おそらく地図はあります。一般には配布されていないでしょう。地図は高価なので」
「なるほど...方角は、どうやって調べるの?」
「それは、お日様の位置から」
「夜は星の位置でわかります」
太陽と星については俺の知っている知識に近い仕組みなのかもしれない。それでも星の配置については違うかもしれないし、俺は季節毎の星の位置なんて覚えていないのだけど。
地図が高価なのも分かる。
前世だと、空からの写真や科学の力で得た情報を、Webやらの通信技術で共有できたから、正確で安く情報が手に入ったのだろう。こちらの世界だとそんな測量方法や、通信技術は、それほど発達していないのかもしれない。
実は地図が軍事的な理由で機密だとか――他国からの侵攻を防ぐために経路や施設を非公開にしている可能性とか、そのあたりの事情までは分からないけれど......
「...あの、コージ?」
「...コージ、さん?」
...あ、はい。それ、俺の名前だったね。忘れてたよ。
「コージさんは、二層への門の場所を、ご存じだったのですか?」
え?
気がつけば、前方に石で囲まれた遺跡のようなものが見えてきた。
もちろん俺は門の場所などご存じないし、いま二人に言われて、初めてあれが二層への門だということに気がついた。
あれがいつかメガミさんの言っていた、「転移門」なのだろう。
下に行きたいなーと、なんとなく歩いていたら、着いた。それだけだ。
進行方向の真正面とまではいかなかったが、きっちりと前方に「転移門」を引き寄せたのは【はいかい】スキルの力だろう。恐ろしい性能のスキルだ......これ無しだと、俺はここには辿り着けずに、永遠にこの階層を彷徨っていたんじゃなかろうか?
そうこうしているうちに、もう、立ち並ぶ石の中心付近まで歩いて来ていた。
その転移門、全体的な「侘び寂び」や、周囲の景色との味のある溶け込み具合に、なにやらかなりの年月や歴史やらを感じる気がしてしまった。草原に飲み込まれた遺跡のように、そこに同化したような石の施設。厳しくも年月で角の取れた石柱に、少し歪んだ石畳。
それでも、石に刻み込まれた印や文字は全く風化することなく、欠損することなく、鮮やかに描かれているというなんとも不思議な装置だった。
そう、文字が刻まれていたんだ。
何やら文字か記号か分からないものが石畳に刻まれていて......うん、やっぱりこれ、第二階層に移動するための遺跡みたいだね?
俺のそんな独り言に対して、ユキが言った。
「...読めるんですか?」
読めないんですか?
...あぁ、きっと【まほう】スキルか【鑑定】スキルか何かが、がんばっているのかもしれない。何の違和感もなく読んでしまった。
何となく読めるけど、逆にこれを書くことは、俺にはできそうに無い......得意ではない外国語を文法無視で単語だけ拾い読みしているかのような、妙な感触だ。
「...詳しくは分からないけれど、二層への入り口に間違い無さそうだ。あの円の中に、入ってみよう」
石畳の魔法陣らしきものの中心へ歩くにつれて、徐々に光が強く、輝いていく。
とりあえず、引き返すと、光が弱まった。
もう一度近づくと、光が強くなった。
離れると弱くなった。
もう一度......サキとユキも、付き合い良いね?
近づいたり離れたり、三人でピカピカさせて遊んでいると、遠い空から「そろそろ先に進んでほしいですぅ」というつぶやき声が聞こえた気がした。
三人で魔法陣の中に入ったら、光がファーってなった。
そのまま、ファーって、光の柱に包まれながら、下に降りて行って2階層目の世界、その空からゆっくりと舞い降りる......すごい! どういう原理なのか、さっぱり分からない!
...空から降りる俺達の眼下に広がるのは一面の緑。第1階層で見た草原も、上から見たらきっとこんな景色だったのだろう。
迷宮、やべえ、ちょっと広すぎる!人口密度...いや、「モモフ密度」が限りなくゼロに見える! もしもこれを絵に描くとするのなら、ただ緑一色をぶちまけちゃえば良いだけなんじゃないのかな!? 海も山も無く、ただただ緑が一面に広がって、いっそ清々しい気分だ!
すっかり興奮気味の俺だったけれど、一緒の二人も同じように言葉を失っていた様子には、同じ驚きを感じることができたようで、なんだか少しうれしかった。
そうこうしているうちに、やがて地上へ、さっき入ってきた石の遺跡と同じような場所へと着地できた。
もう一回、上に戻ってファーって行ったり来たり......あ、はい。先に進みます、メガミさん。
さておき、第二階層も、さきほどの第一階層と同じような草原だった。
今降りてきた、転移門から天井の無い青空に向けて、薄っすらと光が伸びていた。
この光を見ると、あらためて「上から来たんだなぁ」という気がしてくる。
上の階層に戻るのは、この光の柱を頼りにして探せばいいのだろう。その一方で、だだっ広い草原の中で一切の目印のない下への転送門を探すのは、大変そうだ。
それでも、俺ならばさっきみたいに【はいかい】スキルであっさり見つけてしまえることを期待している。この数日で、水場や食料に対しての俺の異常な引きの強さは十分に実感してきていた。
むしろ、転移門は探すのが大変であればあるほどに、俺達にとっては都合がいいだろう。もしも彼女達の追っ手が地上から来るのならば、簡単に追いつかれてしまっては困るから......
この日はそのまましばらく進んで、食事を取ったり、兎を狩ったりしたところで、少し早めに三人で【白昼夢】の領域の中に引っ込むことにした。
俺が素手でモモフを倒した時は、二人は唖然としていた。
その反応を見て俺も初心を思い出しつつ、素手で兎を狩るのがこの世界では非常識であることに、どこか少しホッとした。
この目の前のかわいい女の子二人が、当然のように素手でモモフを狩ったら、むしろ俺の方が怖くて泣いてしまいそうだ。
とは言ったものの、今はナイフが一本しか無いんだ。これが壊れると解体できなくなるから、できるだけ狩りには使いたくない。
...大丈夫、素手でもすぐに、モモフを狩れるようになるよ? それとも「いい感じの棒+1」なら貸してあげるよ?
モモフの解体、加工についての手際は、むしろ彼女達の方が上だった。狩りや解体については経験者なのだろう。
モモフの生息地が迷宮内だけらしいのと、俺が【辞書】や犬人さんのおかげでたまたま先に加工手順を覚えていたから、俺が「モモフ師匠」みたいな立ち位置になってしまったけれど、弟子達が師匠を超える日は近そうだ。
モモフ専門店の夢は、彼女達に(勝手に)託した。
他にも、俺の【まほう】の空間収納とか、魔法で薪に火を付けるのとか、いちいち二人は驚いてくれたけど、俺はこの世界の常識を一切知らないままにここに来たからどう反応していいのか分からずに、とりあえず場の勢いで笑ってごまかした。
...笑ってごまかすなんて、前世でも国際的にはダメな作法だった気がするけれど、俺は今後も積極的に笑ってごまかしていきたい。ハハハ!
タオルは小さいもの一枚しか持ってなかったけど、必要ならば河原で汚れを落とすようにと渡しておいた。
二人の服のような布切れでは、身体の汚れだけ落としても...とは思ったけれど、俺が二人を魔法で治す前には結構な怪我をしていたというのもあったので、念の為、可能な範囲で清潔にしてもらおうと思ったわけだ。
やや濃い茶色だと思っていた肌の色は、汚れを落とした後は、ほとんど俺と同じ色だった。
髪も黒髪。鏡は無いけどたぶん俺と同じ色だ。これだと、角以外は俺とほとんど変わらない......
...いや、申し訳ない! 悪気は無かったんだ! エロい目でジロジロ見ていた訳じゃないんだ、今のは!
俺は二人にモモフの毛皮を渡しつつ、慌てて二人の身体から目を逸らした。
そのままタオルは二人に渡したままにしておいた。
俺のメガミ様特製服は自動で勝手に汚れが消えるのだから、俺の汚れはしばらくは服で拭うことにした。
...いっそ俺の着ている服を二人に渡すことも考えたけれど、何かの際には俺が常に前衛で戦うのだから、この防具までは、まだ渡すわけにはいかなかった。
夕食をとってから、俺達は明日に備えて寝ることにした。
この【白昼夢】の世界には俺達しか入れないはずだから、見張りは立てない。いや、入る方法もあるのかもしれないけれど、俺は一人で何日も寝泊まりしていて今更だし、今のところは検証のしようが無いんだ......二人にはその辺りの事情は省略して「安全だから眠って良いよ」とだけ伝えた。
二人がぼそぼそと話していたが、個人的な話だろうから、聞かないようにしていた。
なにやら「このお方なら」とか「一族さいこう」とか「きせいじじつ」とか、一部、不穏な言葉が聞こえたが......きっと「このお方にとって一族が最高なのが事実」なのだろう......このお方って誰だ? 俺じゃないよね?
あと、二人に渡しておいた解体済みのモモフの毛皮について。
毛皮の加工は漬けたり干したりで時間がかかるから、二人に渡したのはまだまだ腕が未熟な頃に作った初回分の毛皮だった。それでも無いよりはマシだから、ぜひ使って欲しい。
その服というよりボロ布だと、チラチラ見えてムラムラ...ゴホン、きっと夜になると冷え込むから、ちゃんと使うように。絶対だぞ。
そして、俺達は就寝した。
......
夜、二人に襲われた。
だが、襲い返した。
翌朝から、二人の俺の呼称が「コージ」から「主様」に変わっていた。




