夕方、コンビニの前、女子高生の恋バナ
——素直になれたら楽なのだけど、
素直じゃないから、楽にはなれない——
姑息なる兄、正人の奸計により、樹里は結局二人についていくこととなった。
いや、別に、仮に正人が樹里のことで睦月にあることないこと吹き込んだりしても構いはしないのだ。あの女にどう思われようが知ったことではないわけだし? ただまあ、もし仮に睦月が正人の話を聞いて、「あらあら、樹里さんがそんなお可愛いことを」などと思ったりしたら、それは少し屈辱的なような気もする。いや、少し、ではないか。だいぶ、かなり……めちゃくちゃ、猛烈に、壮絶に……。
そこまで考えて樹里はため息をつく。いやいや、めっちゃ気にしてしまっているじゃないか、自分。どう思われても構わない、わけではないじゃないか。多分、嫌われたり、鬱陶しいと思われたりする分には気にならないのだ。ただ、可愛いと思われたり、微笑ましいと感じられたりするのは嫌だから。言ってしまえば、見下されたくない。侮られたくない。そんな気持ちが、きっとある。
コンビニまでの道を、樹里は二人から少し離れて歩いた。正人と睦月は、少し前の方を二人で並んで歩いている。その姿は傍目にも睦まじそうだ。「え、あたし本当についてくる必要あった?」などと不意に一瞬思ってしまう。カップルと一緒にいる時間は、なんだか居た堪れない感じがして好きではない。
コンビニに辿り着くと、樹里は黒い稲妻のアイスを買った。睦月はお気に入りらしいカップケーキを購入し、正人はあろうことか「うわ、なんかでかいの催した」などと言い出してトイレへと引っ込んでしまった。下品な男め。
だから今、樹里はコンビニの前で睦月と二人きりだった。なんとなく二人で肩を並べて、コンビニ前にある車ガード(と樹里は呼んでいる。たまにある、柵みたいな形をしたあれだ)にもたれかかっていた。
「それでは、恋バナしましょうか」
ペリっとカップケーキのシールを剥がしながら、おもむろに睦月が話しかけてくる。
「はあ〜?」
恋バナ〜?
睦月に向けられた樹里の目が、あからさまにバカな子を見るようなものになる。
そりゃそうだ。いきなり「恋バナしましょうか」なんて言われたら、他にどんな目を向けたらいいというのだ。あまりに唐突で、脈絡だってなさすぎる。それに、そんな話題で花を咲かせられるほど、樹里からしてみれば睦月は親しい相手でもない。
だがそんな樹里の視線を意に介することもなく、睦月はカップケーキをパクつきながら、にっこり微笑んでみせた。
「いいじゃないですか、恋バナ。私、女の子同士で恋バナするの、夢だったんですよ」
「あたしはそんな夢持ってないんですけど」
「まあまあ。そこはほら、人助けだと思ってくださいよ」
「恋バナが人助け……?」
……いや、それで救われるような人間からはむしろ全力で距離を置きたいのだが。そう思うが、しかし、睦月は樹里のそんな気持ちに気づく様子は微塵もない。いかにも太平楽そうな、能天気極まりない表情で、楽しげにプラスチックのスプーンでカップケーキを突っついている。
「はあ……しかし、恋バナねえ」
樹里も黒い稲妻的なバーのアイスにとりあえずかぶり付きながらボヤいてみせた。小気味よく、アイスの表面にコーティングされたチョコレートがパキッと砕ける。
「つかあんたとあたしで恋バナとか、マジありえないんですけどー? なに? 兄貴との惚気話とかなら全力で拒否らせてもらうんですけど」
「なに言ってるんですか? 別に、そういう話をするつもりではないですよ?」
「……んじゃなに?」
「私が興味があるのは、どちらかというと樹里さんの話ですよ」
「あんたこそ、なに言ってんの?」
「というより、樹里さんと大樹君の話と言ったほうが正確でしょうか?」
「マジで、なに言ってんの!?」
「だって樹里さん、大樹君のこと好きですよね?」
咽せた。
というより、爆ぜた。喉が。ちょうど飲み込もうとしていたアイスが喉の真ん中辺りで爆発四散し、とてつもない勢いで口から飛び出る。いや飛び出るなんてもんじゃない。その勢いの凄まじさたるやもはや射出だ。ドロドロに溶けかけたアイスが、散弾銃のごとくコンクリの上に飛び散っている。ついでに、口からは吐き出し切れなかった分が鼻の奥の方にぶつかった。ツーンとした感じの鈍い痛みを覚えて、「へげっ」と奇妙な悲鳴を樹里は上げた。
「あらあら。大変。そんなに慌てて食べなくても、誰も横取りしませんよ?」
なにを勘違いしているのか、そんなことを言いながら睦月が取り出したティッシュで汚れている樹里の口元を拭ってくる。抵抗する間もなくごしごし拭かれ、やがて解放されたかと思うと、「はい、綺麗になりました」と睦月がにっこり笑いかけてきた。
「ヘァっ、ちぇ、でぇや、ちょいやーっ!」
そんな睦月になにか言おうと口を開くも、舌と唇が混乱しているのかまともな単語が出てこない。見かねた睦月が「どうどう」とばかりに、樹里の気を落ち着かせようと宥めてくる。
だが、しかしだ。貴様は涼しい顔をしているが、お前のせいだぞ上月睦月。まだ平静を取り戻しきれない心で、樹里はそんなことを思う。貴様がとんでもない爆弾……それも核にすら匹敵する爆弾をぶち込んできたから、自分はこんなになっているのだと……。
「べっ、別に、あたしは……っ」
ある程度経ったところで、ようやく舌と唇が言語というものを取り戻してくれたらしい。樹里はどうにか、まともにしゃべられるようになっていた。
「あたしは……大ちゃんのこと、好きとか、多分、そういうんじゃないっつーか……」
「……本当にそう思ってますか? 私には、そうは見えないのですが……」
「お、思ってるし! いや別に好きじゃないってのは言葉のあやで人としては? うん、まあ? 幼馴染だし? ずっと昔からの付き合いだし? だからうん、ほら、別に嫌いじゃないっていうか、むしろ人間としては好きの部類っていうか? でもそれはほら、あの、そういう好きじゃないっていうか、好きは好きだけどほんのり? 好き? かも? ぐらいな? いや、うん、まあ好きっちゃちょっとほんのちょっぴりそうかもしれないかも的な感じがなきにしもあらずな気がしなくもないかもぐらいの濃度で?」
「急に早口になりましたね」
「なってねーしなに勘違いしてんのバッカじゃねーの」
「ところで樹里さん。人って図星を突かれると怒るそうですよ?」
「……っ、怒ってねーし! 痛っ」
そう言い返し、ダァンと地面を蹴りつける樹里。語るに落ちるとはこのことである。あからさまに怒っていた。
しかもそれで足の裏でも痛めたのか、片足で情けなくその場でぴょんぴょん跳ねている。いったいなにがしたいのか。なんだか自分でも情けなくなってくる樹里であった。
そんな樹里を見て、睦月が彼女にしては珍しく、呆れたような表情になっている。それも致し方ないだろう。今の樹里を見れば誰だって、同じような顔つきになるはずだ。
怒って、喚いて、図星を突かれて、それでも自分の気持ちに気づけないでいる。いや、もしかすると本当は、ほとんど気付いているのかもしれない。ただ、それを認めるの怖いだけで。
だから自分の中にある感情を、別のなにかと置き換えようとする。そうすればなにも変えなくて済む。なにかを恐れる必要もなくなる。
そうやって、樹里が必死で気づくまいとしていたところに、睦月はそれこそ無雑作に踏み込んだ。
「樹里さん。あなたは、なにを怖がっているんですか?」
「こ、怖がってなんか……」
「いいえ。怖がっていますよね? 自分の気持ちを……想いを認めることを。大樹君が好きだという、あなたが抱いているその感情を、必死で見ないふりをして遠ざけている。違いますか?」
「違うし。あたしそんなんじゃない」
「心の底から、違うと断言できますか? あなたが最も信頼している人間に向かって、『違う』と誓うことができますか?」
「そんなん、でき——」
できる、と言おうとした。だけど、最も信頼している人間という言葉に引きずられて、樹里は思わず言葉を飲み込む。
心に思い浮かべた人間は、親でも兄でも友人でもない。他ならぬ大樹の姿だった。そのことに気づいた時、樹里はもうそれ以上の言葉を口にできなくなってしまっていたのだ。
「確かに、気持ちを言葉にして認めるのは怖いことかもしれません」
黙り込んだ樹里に、睦月が優しさすら込めて話しかけてくる。
「その想いに気づいたら、相手のことをこれまで通りには見られなくなってしまう。もしかしたら、相手に対していつもと同じように振る舞えなくなってしまうかもしれない。そのことで訝しがられるかもしれない。変に思われてしまうかもしれない。それどころか、本当に自分は変になってしまうかも? 気持ちに、想いに引きずられて、どんどん自分じゃなくなっていくかもしれない。……そんな風に怖じ気づいたりしてしまうのは、分かります。私も、経験しましたから」
「……自分も経験したけど、乗り越えたって? だからあんたも乗り越えろって?」
「そんなこと言わないですよ」
ちょっと笑って、睦月がゆっくりと首を横に振った。
「ただ、少し想像の幅を広げてみるんです」
「想像の、幅?」
「はい。例えばなんですが、あなたが好きになるような相手を、他にも好きになる人がいるかもしれない。関係が変わらないまま続いていくことを選択すれば、他の誰かとやがて結ばれてしまうかもしれない。そうやって、素直になるべきタイミングを見失い続けたまま……傷ついてしまった気持ちだけを最後に抱えているかもしれない」
「……っ」
「痛いですか?」
問われて、俯く。痛い、というよりは、シクシクする感じだった。想像の中で、大樹と隣り合って立つ女がいる。女の顔は、分からない。だけど、その女は大樹と笑い合っている。腕を絡ませている。抱き合って、それからもっと先のことまで——。
本当に苦しいと思った時に、鋭い痛みは訪れないことを樹里は知った。末端から麻痺していくかのように、シクシクと、シクシクと、シクシクシクシク痛み出す。現実でそうなったわけじゃないと分かっているのに、想像だけでどんどん切なくなってしまって、勝手に涙まで込み上げてくる。
「それが——あなたの抱えている気持ちの答えですよ」
涙が一筋、頬を伝ったのを見て、睦月がそう声をかけてくる。
それと同時に、ここへ来て樹里はようやく、その答えをスッと飲み込むことができた。
——ああ、あたし、そうなんだ。
涙を手で拭いながら、彼女は胸の内で呟いていた。
——あたしは、大ちゃんのこと、好きだったんだ。




