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自分のこと、とか

 学校へ行くために玄関を出ると、家の門のところに背中からもたれかかっている樹里の姿があった。


 俺の姿を認めると、彼女の表情が気まずげなものになる。


 一瞬、唇をきゅっと結んで、物言いたげな目をまっすぐこちらへと向けてきた。


「……」


「……」


 無言で向き合う俺たち二人。どちらからなにを言い出すでもなく、なんとなく居心地の悪い空気だけがその場に漂っていた。


 ……ご存じの通り、俺も樹里も、互いに口の行儀はあまりよろしい方じゃない。だからこういう時は、どちらも最初の一言を決めかねて、黙り込んだままお見合いしてしまう傾向があった。


 だけど思い返してみれば、昔はもう少し違ったような気もするのだ。それこそ幼い頃などは、樹里のわがままや不機嫌なんかを、「仕方がねえなあ」などと言って俺が許してはいおしまい、みたいな感じだったはずだ。


 そうすれば樹里もすぐに機嫌を直したし、喧嘩や仲たがいの原因なんか二人ともすぐに忘れてしまうことができた。だってのに、年月を経て互いに大人へと近づけば近づくほど、仲直りの仕方も忘れてこんな気まずい空気を引きずるようになっていく。


「……っ」


 結局、根負けした俺が、樹里から視線を外していた。視界の隅で、樹里がほんの少しだけ、ホッとしたような顔つきになったのが分かる。……無言で見つめ合っている状況に、彼女も据わりの悪さを覚えてしまっていたのだろう。


 視線を逸らしたまま樹里の横を通り過ぎようとした時、彼女がぼそりと口を開いた。


「……あたし、昨日言ったこと、やっぱ間違ってたとか思わないから」


「……分かってるよ」


 お前は、間違ってなんかいない。


 いつだって、大抵、間違っているのは俺の方だ。


 ――なんて考え方をしてしまうから、手の届かないようなものに感じてしまうのかもしれないな。『幸せ』ってやつが。


  ***


 樹里との間に流れる空気をなんとなく引きずった気持ちのまま、俺はその日を過ごした。


 授業の内容も、全然、頭に入ってこない。黒板の内容だけは機械的にノートに書き写してはいたものの、一割だって理解できたという自信はなかった。


 ……来年には受験だって控えているというのに、こんなんで俺はいいのだろうか。いや、きっとよくはないのだろうな。そうと頭で分かってはいても、集中しようとすればするほど気持ちが横に逸れていく。こういうのは、あまり精神衛生上よろしくない状態であった。


「――もうダメだ。俺は死ぬ」


 昼休みにもなると、完全に消耗しきっていた。別になにを頑張ったというわけでもないのに、無駄に疲れ切っている。ぐでんぐでんになった心と体を机の上に投げ出して、誰にともなくそんなネガティブな言葉を俺は口から垂れ流していた。


 ちょうどそのタイミングで、スマホが着信を告げる。手に取って開いてみれば、メールが一通来ているようだ。


 送り主は『瀬川急便』。曰く、『不在連絡通知NO.4629-4946』云々かんぬん……なんだ、ただの迷惑メールか。


「はぁ……」


 ため息をついてから、スマホの画面を暗くする。なんだか、妙に期待を裏切られたような気分だった。なにを期待していたのかは、自分でもよく分からないけど。


 でも、例えば、樹里とか。


 正人とか、睦月とか、そういうやつからメッセージが来たんじゃないかって、習慣的に思ってしまっただけのことで。


 そんな風にとっさに思ってしまう程度には、自分にとってあいつらは深くて近い仲だったんだな、なんてことを、こんな些細な出来事から感じてしまう俺がいた。


 ……そろそろ、俺がいったい樹里とのなにをこんなに引きずっているのか、説明する必要があるんじゃないかと思う。


 昨日のあのあと――河川敷で正人と喧嘩をして、あいつの全力を受け止めて、決別を迎え、土手に寝転がりながら黄昏ていたところに樹里が突然現れて、だからあいつと戯れている間になんだか慰められたような感じになって少し気分も上向いた。ちょうどそのタイミングで、『もしあたしが大ちゃんのこと好きって言ったら、どうする?』なんて言ってきた、そのあとのこと。


 突然、好きなんて言われた俺は、正直戸惑っていたと思う。いきなり、妹みたいに思っていた女の子から好きと言われて、しかもその時の彼女の瞳が思いのほか真剣だったものだから、驚いてしまったのだ。


 まさか樹里から、そんな()で、そんな言葉をぶつけられるとは思わなかったから。言葉の重みと眼差しの真っ直ぐさに、突然殴りつけられたような衝撃を覚えていたのだ。


 だがその衝撃がやってきて、俺の心身を打ち震わせた一瞬後。次にやってきたのは、『正直困る』なんていう身も蓋もない感情だった。


 昔からの幼馴染で、妹みたいなギャルい女子で、いつもウザいけどなんとなく居心地は悪くなくて――だからいつまでも、そんな関係なんだろう。俺と樹里は、そうやってつかず離れずの距離感で、これからも付き合っていくんだろう。無意識に抱いていたそんな気持ちを、根底から覆しかねないその告白は、俺にとって歓迎できないものだったのだ。


 ……だからもしかしたら睦月だって、俺から好きだと言われた時、こんな気持ちを覚えたのかもしれない。そんなことも、ついでにふと、思った。


「あの――」


『分かった』とも『ごめん』とも言いかねて、開きかけた唇を引き結ぶ。声にも表情にも、多分、困惑の色が乗っていた。


 なんて言って答えるべきか――そうやって逡巡しかけた俺に、しかし樹里は、「アハッ☆」といつもの調子で、表情だって人を食ったような笑みへとがらりと変えて、言葉をかけてくる。


「なーに本気にしてるんですかー? うっわマジでウケるんですけどチョロすぎませーん? せーんぱーい?」


「……は?」


「あたしが先輩のこと好きとか、そんなんあるわけなくない? ってかマジでありえなくないほんとない。なーんかウザい感じに落ち込んでたから、あたしみたいな美少女にちょっと好きとか言われれば大抵の男は元気出るかなー? なんて? キャハッ☆ どうどう? 元気出たでしょー?」


 そして怒涛のように紡がれるのは、いつも通りの煽り口調。ウザい感じにまくし立て――だけどなぜだろう、いつもならこちらを見て、視線ですら人の感情を逆撫でしてくるというのに、今の彼女はこちらに背中を向けている。


「……萎えるわー。いやほんと、どこの誰が美少女だって? 鏡見てからほざけよメスガキ」


 だけど俺は、そんな些細なことには気づかなかったことにして、彼女の変調に自分から乗った。だってそうだろ? そっちの方が、俺も樹里もなにも変わらないままで済むんだから。


「うーわ。あたしから好きって言われるのがどんだけありがたいか理解してないクズ発言きましたわー。いつもなら金取ってるんですけどー? 二万五千円ぐらい」


「その微妙にリアルな金額設定なんなんだ? 中途半端に需要がありそうなライン攻めてくるとか勇気あんなお前。警察に突き出すぞ」


「はぁー? なにそれセクハラ案件待ったなしじゃなくない? 先輩そーゆーことするんだーへーふーん? ……人でなし」


「……んだとぉ!?」


「キャハハ怒った怒ったー☆ あ、人って図星突かれるとぉ……」


「図星云々関係なく、名誉を毀損されたら誰だって怒るわ!」


「はいはい、今日も顔真っ赤でちゅねー。顔真っ赤っかちゃんでちゅねー。お顔が赤ちゃんであらあらお可愛いことぉ」


「誰が赤ちゃんだ、誰が! ったく、年下がクソ生意気な……」


 ブツブツ文句を言う俺を、樹里が不意に振り向いてきて、なんだか少し寂しげに「フッ」と笑う。……その笑顔の意味を、俺は意識して考えないようにした。


「……ま、でも、さ。あたし、思うよ?」


「思うって、なにがだよ」


 そしてさらに、表情をまた真面目なものに変えたかと思うと、彼女は顔を近づけてきて言ったのだった。


「大ちゃんはさ。もっと考えないと」


「……考えないとって、なにを?」


「大ちゃんのことを」


「はぁ?」


「大ちゃんはさ。いつも、人のことばっか考えてるように見えるからさ。だから、大ちゃんは、もっとちゃんと、自分のこととか、幸せとか、そういうの考えた方がいいと思う」


 そう告げられた彼女の言葉は、なかなかの鋭さで俺の心に突き刺さった。


「分か……ってんよ。そんなことは」


 苦し紛れに返してはみたものの、歯切れが悪いのは自分でも分かった。


「本当に?」


「ああ。けど――」


 けど、果たして俺に、幸せになるだけの資格が――と言いかけた言葉は、しかし樹里が視線で制してくる。なんだか心を見透かされているようで、それがどうにも面白くない。


 言葉を飲み込んでしまった俺に、樹里が続けて告げてくる。


「もっとさ。大ちゃんは、自分のことで貪欲になったっていいと思うんだよね」


「貪欲にって……例えばどういうことだよ」


「んー、ほら、とりあえず彼女作ってみるとか?」


「あのなあ……」


「あたし、そんな変なこと言ったかな? ほら、よく言うじゃん。恋の傷は恋で癒せ、女の傷は女で癒せ~、みたいな?」


「そりゃ……」


 そういう話を聞いたことがないわけではない。しかしそれは、都合よくぽんぽんと付き合う相手やら好きになる相手やらを変えられるやつだからできることであって……そして俺は、多分そういうタイプではないと思われるわけで……。


「あ、そうだっ」


 呆れる俺に、いいことを思いついたとでも言わんばかりの表情で樹里が言ってきた。


「なんならあたしが女の子紹介したげよーか!? あたし、そこそこ顔広いしさ。年上でも年下でも、その気になれば大ちゃんに紹介してあげられるけど!」


「……いや」


 樹里のその提案は、自分でもびっくりするぐらい――なんだか不愉快で、気持ち悪かった。


「いいよ、別に。なんか違うだろ、そういうのは」


「あっ……」


 冷たい声が、口をついて出る。その冷たさは自分でも驚くほどで、その冷たさを直接ぶつけられた樹里の表情まで凍り付いていた。


 なんだかショックを受けた様子で、口が心細げに半開きになっている。


 それから樹里の視線は、不安げに左右をさ迷った。そして一瞬俯いたあと、わずかにこちらを窺う感じに顔を上げる。


「……気が変わったら、いつでも言って」


「変わらねえよ」


「あ、そ」


「ああ」


「……」


「じゃあな」


「……ん」


 そんな言葉を短く交わし合い、帰り道は同じなのに、その日俺たちは別々に帰った。


 お互いの心に、固いしこりを残したまま――。


  ***


「はぁ……」


 思い出すと、またため息が零れ出てきた。


 こんなやり取りがあったからこそ、俺は幸せなんぞというもんで一晩中頭を抱え込んだりなどしたわけだ。


 それに、正直……冷静な頭で樹里の発言について考えてみれば、そう的を外れたことを言っているわけでもないと思う。例えば、睦月にフラれた傷は他の女で癒すなんてのは、ある意味恋の王道だし、知人に異性を紹介してもらうというのもまた恋の王道中の王道だ。


 正直、自分でもわけが分からない。樹里が女の子を紹介してくれると言った時、なにがそんなに不愉快で、どうしてあんなに冷たい態度を取ってしまったのか。


 その答えを得るためにどれだけ自分の心を探っても、それらしいものは出てこなかった。


「……にしても、新しい恋、ねぇ」


 ついつい、そんな青くさい言葉を漏らしてしまう俺。


 そんな俺の背中に――。


「おっ、笹原ちゃーん!? 新しい恋お探し中だったりする? 合コンする? 今週の土曜日に笹原ちゃんも来る!?」


 後ろの席のウザい同級生(やつ)こと、森畑健吾が、そんな言葉を唐突にかけてきたのであった。

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