それから、それから
――それから、それから。
女にフラれて、涙を流して、それですっきりすべて解決、なんてことは現実ではあるわけもなく。
「――大ちゃんはなに頼んだの?」
「ああ、俺? チリペッパーサンドにブラックコーヒー。あとはオニオンポテト」
「はぁー? ブラックコーヒィィー? なにそれ、いかにもカッコつけてる感じで逆にダサいんですけどぉー」
「……甘ったるいもんなんぞ男が飲めるかってんだ。カッコつけてなにが悪い。苦味を楽しめるようになるってのは、大人の男の入り口だぞ」
「はいはい、そーですかー。そんなもんですかー、いかにも安っぽい男らしさですことで」
「そういうお前はなに頼んだんだよ。素直に白状してみやがれ」
「別にぃ? 普通にホットケーキサンドとラテですけど。キャラメルの」
「……ああ、勘違いした女子力をSNSで主張するためのおしゃれアイテムね。知ってる知ってる。軟弱な」
「あーもーさっきから軟弱軟弱うるさいなあ!? 逆にいちいち女々しいんですけどぉ、そういうの!?」
と、対面に座って目を吊り上げるのはトレイを持った樹里である。トレイの上には彼女が言った通りに、ホットケーキサンドの皿とキャラメルラテのカップが一つずつ、乗っている。
一方で俺のトレイには、チリペッパーサンドにオニオンフライにブラックコーヒー。軟弱なメニューとは一線を画した、生クリームなんぞの入る余地のないラインナップである。が――、
「大ちゃんのブラックコーヒーなんてこうしてやる!」
「ちょ、やめろバカ! ミルクを入れるな! 砂糖を加えるな! あああ……俺のブラックが軟弱に変えられていく……」
無惨にも樹里が、テーブル備え付けの粉ミルクと砂糖をドバドバ加えていく。黒い表面が哀れにも、粉ミルクの白と混じり合ってクリーム色になっていく。
「あーあ……うわ、甘いったる……」
仕方なく、口当たりが柔らかくなりすぎてふにゃふにゃのブラックコーヒー改めカフェオレを口に含みながら、樹里に向けるは藪睨み。しかして樹里は、素知らぬ顔で「きゃぴるん☆」とばかりに作り笑顔。標準装備の猫かぶり。
「あーあ。ったく、こいつときたら……さっきまでは怖気が走るぐらいに優しかったってのに、ほんとにまあ」
「そうやって悪態つけるぐらいになったなら、せぇーんぱいもちょっとは元気になってくれたのかにゃー?」
「にゃーとか言うな気持ち悪い。キモいじゃなくて気持ち悪い」
「せっかくにも慰めてやった後輩に、そこまで言える辺り、大ちゃんも大概口が悪いと思うのですがそれについてコメントは?」
「人を呪わば穴二つ」
「……うーわー、悪びれる様子が微塵もねえ」
そんな風にして、顔を突き付け合って俺たちがテーブルについているこの場所は、モールから少し離れたところにある『マスドナルド』という店である。
マスターの名前が益戸さんだから、マスドナルド、というらしい。某有名バーガーチェーンみたいな店構えの、でも実際はバーガーショップでもなんでもない、軽食も出している個人経営の喫茶店だ。評判もそこそこ。学生が入りやすい気楽な雰囲気の内装で、価格もお手頃であるためか今も席の半分以上は埋まっているようであった。
そんな風にして賑わう店で、対面に座る樹里は頬杖をついて「はぁ~」とため息をひとつ。
「どうせならスタバとか行きたいけどねぁ~、こんな店より」
なんて呟いてみせる。
「高いだろ、スタバ。普通のドリップコーヒーが二百九十円もするんだぞ」
「だよねぇ。マスドのコーヒー一杯百五十円は捨てがたい。キャラメルラテでもSサイズなら二百八十円だし」
「それにスタバに入るためには、俺たちにはもっとも重要なあるものが欠けている」
「あるものと言いますと?」
「マックブックだ……」
「あー……」
納得顔で樹里がストローをちゅーっとすする。それから、肉厚な唇をちゅぽんっ、とストローから離し、濡れた口元をいかにも色っぽく舌で舐め、
「……ダメだ。あたし、マックブックどころかノーパソすら持ってない」
「俺もだよ。スマホもandroidだしな」
「ダメじゃん。スタバはAppleユーザー以外はセキュリティで入場不可って噂だよ?」
「そうなんだよな……俺の権限では、スタバに入ることすらできないんだ」
「それを言うならあたしもだー……」
二人そろって肩を落とす。俺はオニオンポテトを、樹里はホットケーキサンドを、それぞれ一口ずつ口に含みながら、「まあでも、これはこれでうまいしいっか」と目と目を合わせてうなずき合う。バイトもしてない貧乏学生には、今はまだこれぐらいがちょうどいいのだろう。
そんな風にして下らない冗談を飛ばし合いながら、不意に「よかった」と樹里が微笑む。
「あん?」
「なんてゆーか、今の大ちゃん見てると、少しは泣いてすっきりしたのかなって」
「……ま、少しはな」
――俺が泣きっ面を晒し終えたところで、「なんかお腹空いたから食べてこっか」とマスドまで俺を引っ張ってきたのは樹里である。
向居家の門限が七時であることを知ってる俺は、
「いいのかよ。もう、七時になるぞ?」
と、その時、問いかけたのだが、樹里は悪戯っぽい目つきになって、
「いつも真面目に帰ってるんだから、今日ぐらいは不良になってもいいかなって」
などといって笑った。
「少しは、か。まあ、少しでも気が晴れたなら慰めてあげた甲斐があるかなー?」
「ま、それについては感謝はしてるよ」
「お? 珍しく素直だ。いっがいー」
「珍しく優しいやつがなんか言ってる」
「さすがにあたしも、ボロッボロに負けに負けて、あとはデコピン一発でTKO、みたいな状態の人をいじめる趣味はないからね」
「……そこまでひどかったか、俺?」
真面目に問いかけてみると、これまた樹里もクソ真剣な顔つきで、「そりゃあもう」とうなずき返してくる。
それから、少し心配そうに表情を歪めて、
「……あの、さ。こういうのって、聞いていいかちょっとよく分かんないんだけどさ。なんていうか、その」
もどかしげに問いかけてこようとする。
「いや、いいよ。今さら、お前になに聞かれたって気にするかよ。泣き顔まで見られてんだぞ、こっちは」
「それは見てないことにしてあるから、安心してよ」
「そりゃどーも。……で?」
「ああ、うん。そのさ……本当に、大ちゃんはこれでよかったのかな、って」
気まずそうに目を逸らしながら、樹里がその言葉を口にした。
「……ってのは、つまり、どういうことよ?」
「だってさぁ。……自分が先に仲良くなって、もしかしたら先に好きになったのは自分のはずなのに、ぽっと出の他人……この場合はあたしの兄貴だけど……が、横から取っていくなんてさ。あたしなら絶対に許せないし、許さないし、なんなら今でも許してないし」
「……許してない?」
「あ、そこは気にしないで。ちょっと口が滑っただけだから。ただ、なんていうかさ……本当はまだ、声が枯れるぐらいに好きだとか言って叫んだらさ、もしかしたら今からだって、みたいなさ」
「……往生際が悪いだろ、それは」
「かもしれないけど! でも、なんだろ。あたしは、あの女が、大ちゃんとくっ付くもんだと思ってたっていうかさ……ごめん、なんか変なこと言ってるかもだけど」
「いや……」
樹里がなにを見て、どこをどう判断して、俺と睦月がくっ付くもんだと思っていたのかは分からない。もしかするとはた目には、俺の恋心なんてのは誰からでも分かるようなもんだったというだけなのかもしれない。
ただ、一つだけ。彼女の疑問については断言できることがあった。
「なにがどう転ぼうとも、さ。……俺と睦月が付き合うことは、多分、絶対、なかったよ」
「多分なのか、絶対なのか……」
「じゃあ、絶対だな」
これについては、その確信が確かにあった。
「なんでまた、そこまで言い切れるの?」
眉間にしわを寄せて、樹里がそう問いかけてくる。
その樹里のむつかしい顔つきに、俺は苦笑を返しつつ、答えた。
「えっとな――」
(深夜にこっそりお届けいたします。アッ腰が痛いッ)