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あたしはここにいないから

「……そっか。言っちゃったか。ついに」


「言っちゃったな。ついに」


 大きな通りから一本外れた、細く狭い裏通り。


 その途中にある、青く塗られたベンチに隣り合って座りながら、樹里がしみじみと呟いた。


 樹里は今日、俺たちが三人で遊ぶことを正人の口から聞いたらしい。だから本人曰く、「なんとなく様子が気になって」こっそり後をつけてきたのだとか。


 左隣にいる樹里は、缶に入ったカルピスを両手で挟み込むように持ちながら、「は~あ」と気の抜けたため息を漏らす。それから、こちらに話しかけてきた。


「まあ、なにはともあれお疲れ様。頑張ったねぇ、大ちゃん」


「別に。頑張ったってわけでもねえよ。どうせいつかは言わなきゃいけないことだ」


「ま、そうなんだけどさあ。やらなきゃって分かってたって、必要だって理解してたって、めんどいものはめんどいしキツいことはキツいんですぅ~」


 そんなことを言いながら、樹里が「んく、んく」とカルピスの缶に口をつける。爽やかな白のパッケージが、樹里の気だるげで派手な顔つきとはなんだか対照的だった。


 ……確かに、彼女の言う通りではある。やらなければならないことが、進んでやりたいことであることはめったにない。本当は取り掛かりたくない、嫌なことだったりする場合も頻繁にある。


 実際、俺だって直前で躊躇った。ここで口にするのをやめて、心に蓋をし続ければ、これから先もこれまで通り……だなんてこと。


 おまけに、それを乗り越えて言うべきことを言ったところで、達成感みたいなものはまるでない。心に残されたものなんて、ただただ空虚というべきか……捉えどころのない虚しさばかりであった。


 これは、あれだ。父親が、知らない女性とどこかへ消えた時に覚えたものによく似ている。ただただショックで、ひたすらに衝撃で、そしてなんとも叫びたい気持ちになって。


 しかしそれを声にすることは難しい。そんな風にして言葉を失う俺を、母親の代わりに受け入れ慰めてくれたのは正人であり、睦月であり、樹里であり、アユねーちゃんだった。


 だけど、その四人のうちの半分を、俺はさっき失った。それも、今度は自分の手で……。


「はあ……」


 重苦しいものが込み上げてきて、やるせない気分を口から吐き出す。


 そんな俺の背中を、樹里がポンポンと優しい手つきで叩いてきた。


「まあまあ。元気出しなよ、大ちゃんってば」


「……そんなんで元気になれるなら、苦労しねーっての」


 不貞腐れたような口調でそう返すと、樹里がどこか切ない感じの微笑みを浮かべる。


「だよね。うん、分かってた。ごめん」


「別に。お前が謝るようなことでもねーよ」


「かも、しんないけどさ。アハハ……あー、ダメだな、あたし。こういう時、なんて言ったらいいかよく分かんないんだよねぇ」


 困ったように言いながら、樹里がぽりぽりと頬を掻く。そんな彼女であるが、こちらを労わろうという気持ちだけは伝わってきた。


 そんな彼女の心遣いは、あまり普段の樹里らしくはない。気を遣わせてしまっているなと、自嘲交じりの苦笑が思わず浮かぶ。


「なんていうか、さ。漫画とか映画とかドラマとかだと、傷ついた主人公に寄り添うようにして、女の子とかが『私は味方だよ、ここにいるよ』とか言ったりするじゃん? それこそ、ギュッと抱き締めたりなんかして、さ」


「そういう作品も、まあ、あるな」


「……でもさ。あたしは、なんか、そんなの言えないなって。だって、アハっ、なんか自意識過剰みたいじゃん、そういうのって。『ここにいるよ』とか言ってさ。でも別にあんたにいてほしいわけじゃねーっつーの、みたいに思うこととか、あたしにはけっこうあるっていうかさ」


「……そう思うことも、あるな。確かに」


「だから、ほら。だからあたしにはさ……大ちゃんの心や気持ちが軽くなるようなことは、多分言えないんだよね。言えないんだけど、まあ、なんていうか――」


 小さな手が、そっと隣から、寄り添うようにして俺の手に重ねられてくる。握るでもなく、包み込むでもなく、ただ俺の手の上に置かれたそれは、ささやかな温もりをこちらに伝えてくる。


「――あたしは、さ。ここにいないことにするからさ。だから誰も見てないし、聞いてない」


「……っ」


「つまり、ね。ここで起こることは、世界のだぁ~れも、知らないよ」


「うぅ……」


「知らないってことに、しとくから……ちょっとぐらいは我慢が続かなくたって、いいんだよ」


 ぽつりと呟くように樹里がそんな言葉を落とすと同時、目の奥から熱いものが一気に溢れ出る。


 ぽたぽた頬を伝う水滴は、自分でもびっくりするぐらい止まらなくて。


 人前じゃとても晒せないぐらい、きっと顔面はくしゃくしゃに歪んでて。


 膝の上に置いた手は、すぐにびしょびしょになってしまったから、樹里の手まで巻き添えを食らって濡れてしまって。


 だけど、樹里はいない。いないのだ。ここにはいない――ということに、なっている。彼女がその設定を、自分ではっきり口にしたから。


 だからここにいるのは俺一人だけ。他には誰もいないし、見てないし、聞いてない。俺の涙を、俺の嗚咽を、俺の情けない姿を、知っているのは俺だけだ。


 なのにそのくせ、孤独に流す涙の割には、頬を伝う雫は不思議と温もりに満ちているようで。


「……ありがとな、樹里」


「樹里なんて人、この場にいませ~ん」


「……そうだったな」


 でも、いるんだよ――という言葉は胸の内だけに留めておいて。


 今だけは、樹里に感謝している俺がいるのであった。

今日は更新できません、と昨日言ったのですが、思いのほか書けてしまったので投稿します

しかし感想返しは少し難しいかもしれません。ご了承ください。


また、本日なんと、ジャンル別ランキングで10位に再浮上していました。すごく嬉しかったです。これからも頑張ろう、と思いました。

というわけで頑張ります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 切なくてとても好き
[良い点] 良いお話でした(≧∇≦)b気持ちに一区切りついてこれからの展開に期待します(゜∀゜*)(*゜∀゜)次回も楽しみに待ってます(●´ω`●)
[気になる点] 「ずっと親友」という言葉に囚われていた睦月はともかく、樹里がうっすらと気付き、クラスメートですらもそんな感じなのに親友であった正人は気付きもしなかったのは鈍感ヒーローを地で言っているか…
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