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彼女とのきっかけについて

 俺が上月睦月という人間と出会ったのは、小学三年生の時だった。当時、俺の両親は仕事で忙しかったため、学童代わりに学習塾へと通わされていた。まあ、今思えば忙しかったのは仕事だけではなく、子どもには言えないような不道徳な色事についても同様だったのだろうが、まあとにかくそうして通っていた塾に睦月もまた通塾していたのである。


 その頃の睦月は、今のように『天使』だの『姫』だのと呼ばれるような存在では決してなかった。むしろ地味で、控えめで、表情にも乏しくどこか冷淡な印象でさえあった。


 睦月の通う小学校は俺とは学区が異なっていたため、彼女の姿を塾で見かけるのは火曜日と金曜日の週に二回ほどだったが、俺は彼女をどこか遠巻きに眺めていたように思う。ただなんとなく、『喧しい他の女子共とはなんか雰囲気が違うんだな』ぐらいのことは思っていたかもしれない。


 ただ、授業が終わった後に最後まで塾に残っているのは、俺と睦月の二人だけだった。互いに親の迎えが遅く、夜の九時を過ぎるまでぼんやりと待ち続けることも決して珍しいことではなかった。眩しすぎるぐらいに白く光る蛍光灯と、俺や睦月が帰るまで居残らざるを得ない塾講師の先生の苛立たし気な雰囲気はよく覚えている。


 とはいえ、最後まで残っているのが俺と睦月の二人だけだからといって、言葉を交わすことは特になかった。当時の俺は女と話すことをカッコ悪いと思っていたし、なによりも睦月の「地味で無口で陰気そう」なところに抵抗感を覚えていた。睦月の方はもっと単純に、人と話すことがあまり得意ではなかったのだろう。授業中はノートを真面目に取って、講義の前後の時間などは椅子に一人静かに座って、本を読んでるような女の子だったから。


 そんな睦月が、誰かと一緒にいるところを俺は見たことがない。俺は俺で、他校の男子ばかりの塾だったから、表面上は言葉を交わしてもなんとなく輪に入れないように感じていた。なんとなく浮いてはいるけれど、あえて気に掛けるほどのものではない――当時の俺や睦月の扱いは、まさしくこんな感じであった。


 ところが、ある些細な出来事をきっかけに、『同じ塾に通う他人同士』でしかなかった俺たちはささやかながら交流を持つに至る。


 そのきっかけはというと、ある日――睦月が塾に、ランドセルを持ってやってきたのだ。


『背負って』やってきたのではない。『手に持って』やってきたのだ。それも、二つも。背中には自分の赤いランドセルを背負っていたから、合計で三つのランドセルを携えて塾にやってきたことになる。


 そんな睦月を、俺はなんだかざわつく心でその日は遠くから眺めていた。やがて十分か、二十分か経った頃、手ぶらでやってきた二人の女の子が睦月に近づいていき、「ありがとー」と言ってランドセルを持っていくところも、見ていた。


 二人の女の子に、睦月はあんまり上手ではない笑顔を浮かべていた。愛想笑いというよりも、単純に笑顔を作り慣れていないみたいな表情だった。そんな不器用な笑顔には見向きもせずに、二人の女の子は睦月から離れた席に腰を下ろしていた。その背中を見ながら微かに残念そうに、睦月の眉が下がるところまで、俺はその日、目撃してしまった。


 こんな出来事が一回だけで終わったならば、俺もすぐに忘れ去ったことだろう。だけどこの日をきっかけに、毎週のように睦月はランドセルを『持って』塾にやってくるようになった。そしてそのことに、周りの人間はおろか、ランドセルを持たせている本人たちですら気づいてはいないように見えた。


 だけど俺は気づいていた。そして、すっかり困り果てていた。なぜならそれは、随分と腹立たしい光景であったし、なによりも睦月の態度とか振る舞いとか――いつも浮かべる不器用な笑顔とかが、もどかしくて痛ましくてたまらないように思えてしまったから。


「おい、お前」


 俺がぶっきらぼうに話しかけたのは、ある日の塾の終了後だった。いつも通り、他の子ども達が親の迎えで帰っていく中、睦月は慣れた手つきでランドセルから文庫本を取り出しているところだった。


 文庫本を片手にこちらに目を向けた睦月は、どこか近寄りがたい顔に困惑の色を浮かべて、


「なんですか?」


 と微かに首を傾げた。表情は、ほとんど変わらない。


「あいつら、友達なのかよ」


 言い方が少し刺々しくなったのは、地味だ陰気だと思っていた睦月の顔が、近くで見てみれば想像以上に整っていたからだろう。


 だが、俺のそんな乱暴な言い方を気にする様子もなく、浮世離れした少女は困惑の色をますます深め、


「あいつら……ですか?」


 と、こちらの言葉を繰り返すばかりだ。あいつら、というのが誰なのかまるでピンと来ていないようにも見えた。


「あいつらは、あいつらだよ。ほら、あの――いつもお前にカバン運ばせてるやつら」


 言いながら睦月の隣に座る。さらに睦月とは反対側にある椅子に、自分のランドセルを乱暴に置く。座っている椅子を後ろに傾けて、机の上に行儀悪く足を乗っけてみようともするが、それは「笹原、足」と講師が目ざとく注意を飛ばしてくるので仕方なく下ろした。


「ああ。笹原さんと仰るのですね」


 そこで睦月が、俺の苗字を口にする。


「……別に、関係ないだろ。こっちの名前なんて」


「私は、上月です。上月睦月と言います」


「あっそ。で、その上月睦月さんと、あいつらさんは、友達なわけ? って話をさっきからしてるんだけど」


「あいつらではなく、香椎さんと春日井さんですよ。同じクラスなんです」


「ふーん」


「ちなみに、髪の長い方が香椎さんです」


「そこは別にどうでもいい」


 あいつら、が一体どういう名前のどういう人間なのかはこの際どうでもいいことだった。だというのに、会話のテンポが妙に独特で、話が全然前に進まない。


 とらえようによってはのほほんとした口ぶりの睦月に、辛抱強く俺は質問を繰り返した。


「それで。そのカシだかカスだかは、あんたの友達なわけ?」


「香椎さんと春日井さんです。彼女たちは……そうですね」


 少し目を伏せ、睦月が考え込む様子を見せる。


「……ずっと昔からの仲良しだとは聞いておりますね」


「お前とは、どうなんだよ」


「それは……」


 いたずらを見つかった子どもみたいな、ばつの悪い表情を睦月が浮かべる。その反応が、すべてを物語っているように俺には見えた。


「なんで荷物持ちなんかやってんだよ。友達でもねえのに」


「別にやらされてるわけじゃないのですよ?」


「やらされてるんじゃなかったら、なんだってんだよ」


「うさぎ当番なんです」


「は?」


「いきもの係があるんです、うちの学校には。香椎さんと春日井さんは、火曜日はうさぎの餌やり当番なので、忙しいんだそうです」


「別に、それならカバンなんて背負ったまま餌やればいいだけのことじゃん」


「当番のあとだと、走って塾まで来なければならないから、ランドセルがあると大変らしいのです」


 方便だな、というのは俺でもすぐに分かることだった。そうやって言って騙して、自己主張の激しくない、頼みを断ることのできない、都合のいいクラスメイトを利用しているだけだな、と。


 だが、そう言って指摘してみても、睦月はというと、


「でも、困ってらっしゃる様子だったので……」


 と、それこそ困ったように口にする。


「……だからって、あんたがわざわざカバン運んだりとかしなくていいだろ。それだって楽じゃないんだしさ」


「それは、そうなのですけれど……」


「ってか、火曜日はうさぎ当番だとして、なんで金曜日までお前がカバン持たされてんだよ。まさかそっちもうさぎ当番だったりとかしねえよな?」


「はい。その日は、香椎さんの班が掃除当番なんです」


「……なら、カシなんとかの分まで、カスなんとかがカバン運べばいいだけじゃねえの?」


「春日井さんは、香椎さんの掃除当番が終わるまで待っていないといけないらしいんです」


 なんだそれは、と俺は思った。実際に、「なんだそれは」と口にもしていた。そんな俺の呟きに、「なんなんでしょうね」と睦月も言って、少しだけ不器用に笑ってみせた。


 俺の目には、睦月が自分の損するような生き方をしているように見えてならなかったし、なんだかそれが不憫でたまらなかった。自己犠牲精神、とはきっと、少し違う。損することとか、負担を押し付けられたりすることにすっかり慣れてしまったような、そんな痛ましさを感じてしまう。


「笹原さんは優しいですね」


 だしぬけに、睦月がそんな言葉を口にする。


「は?」


「私のことを心配して、こうして聞いてくださっているんですよね? なので、あの……優しい人なのだな、と感じまして」


「……別に、優しいとかそういうんじゃねーけど」


 実際、優しさとか思いやりで声をかけたわけじゃない。どちらかというと、ムカついたとか、腹立たしくなったとか、そういう理由で話しかけたのだ。


 だけど、俺よりも遥かにお人よしなことをしている睦月に、そういうことをあえて言う気にはなれなかった。報われないことをしている睦月を愚かだと思っている一方で、そんな大変なことをよくやれるなと感心している俺もいたから。


 だから俺は、いつも不器用な笑顔しか浮かべられないこいつに少しでも報われてほしくて、気づけばその言葉を口にしていた。


「……なあ」


「はい、なんでしょう?」


「今日の授業、分かんねーとこあったから復習付き合ってくれよ」


「復習なら、私よりも先生に教えてもらった方がいいと思いますが」


 教室の前の方でつまらなそうになにか小難しそうな本を開いている講師を指さし、睦月が言う。


 だが俺は、そんな睦月に首を横に振ってみせた。


「俺は先生じゃなくて、お前(ともだち)に頼んでんだよ……睦月」


「あ……」


「あとは、俺、大樹な。笹原大樹。だから、大樹でいい」


「……はいっ」


 声を弾ませてうなずく睦月が浮かべた笑顔は、いつもの不器用なものではなく、ふんわりと温かなものだった。

おっすおっす! ついでにもひとつオッスッス! 作者です!

ようやく書けました睦月回! ずっと睦月ちゃんのこと書いてあげたかったよ! あ、睦月回も少し続く予定です


あと、昔から、いきものがかりの青春ラインという曲が好きです。なんならこの作品の着想まであります

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― 新着の感想 ―
[一言] 最後の自己紹介で笹原になってます。
[一言] あとから来たヤツに掻っ攫われたのですか。損な役回りですね。。。
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