7. 初めての人間
真っ赤な勝負ドレスを身に纏った私を乗せて、馬車はカルニーさん宅へと向かう。以前にバラ園へ視察に行ったのは、3カ月前だ。今回は、前回、私の失態で途中終了となってしまった視察の仕切り直しだった。もう一度、視察をさせてもらえないかとカルニーさんに頼んだら、快く了承してもらえたのだ。
馬車を降りると、家の前にはカルニーさん一家が並んで出迎えてくれた。だが、彼らの顔を見た私とニーナは、ギョッとして固まる。
へ…、ナニ、コレ?
カルニーさんと夫人、子供たちは4人全員、強盗のように顔の下半分、鼻と口を隠すように、布を巻きつけていた。見えている部分は目だけという、異様な姿をしていたのだ。
目を大きく開いたまま言葉が出ない私に、カルニーさんはすまなそうに頭を下げた。
「このような恰好で申し訳ありません。ようこそお出でくださいました。では、バラ園にご案内いたします」
布越しにもごもごと話すと、さあさあ!とせっつくように、私達をバラ園へと誘導する。まるで、質問する暇を与えないかのように。
急かされながらハウスへと足を向けるも、謎は解けない。
おいおい、ちょっと…、いったいカルニーさん達に何があったんだよ!? 詳しく突っ込んじゃいけないんかい!?
斜め後方に立つニーナに目で訴えるも、ニーナも不思議そうな顔で眉を寄せるだけだ。
以前来た時すでに、カルニーさんの崩れた皮膚は完治していたはずだ。彼ら一家のために、たくさんの薬を置いていったから、家族にまであの症状が出ていることは考えられなかった。はっ! もしかして、まさかとは思うけど、何か薬の副作用が…?
「あの…、みなさん、具合が悪いのでしょうか? どうぞ、遠慮しないでおっしゃってください。無理をされているのでしたら、後日、日を改めますが…」
歩きながらそう言った私に、カルニーさんはとんでもない!とブンブン手を横に振って否定した。
「いえいえ! 姫様からいただいたお薬のおかげで、私をはじめ、うちの者達も素晴らしく美しい体を手に入れました。本当に、感謝してもしきれないくらいです! 体はすっかり良くなりました!」
口元は見えないが、カルニーさんの目元は嬉しそうに下がっている。嘘を言っているわけではなさそうだ。
えー…、だったら、なんで???
カルニーさんらは、一家そろってバラ園のハウスへ続く細道を、先頭に立って案内してくれる。前回と同様、強烈なバラの匂いがハウスに近づくにつれ強くなり、かなり苦しくなってきたが、今度こそは失態を犯すわけにはいかない。気合十倍増しでバラ園に挑む。
心頭滅却し、悟りを開いた境地で耐えていた私だったが、ハウスの扉を目前にして、意外にも別の人物が弱弱しい声で限界を訴えた。
「お、俺、もう無理…!」
見ると、カルニーさんの息子が、口元の布を押さえ、苦しそうにしゃがみ込んでいる。
「ううっ…、もう、家に帰っていい?」
「馬鹿!! ダメに決まってるでしょ!? 私だって我慢してるのに!!」
姉が大声で怒鳴った。
「だって…、もう、これ以上無理だよー…。この匂い、耐えられねー…」
少年は目に涙を浮かべて、とても苦しそうだ。
あれれ!? この匂いって、もしかして、このバラの匂い!?
カルニーさんは夫人と目配せをすると、私の前に並んで勢いよく頭を下げた。
「も、申し訳ありません! バラの香りがきつくてきつくて耐えられず、このように口と鼻を覆っているのです! このような体になってしまい、申し訳ありませんー!」
カルニーさん夫妻は抱き合って泣き出してしまった。
あー…ね。数年前の、ニーナと同じ状態になったんだね…
取り乱す彼らを慰めつつ、私達は彼らの家へと戻った。家に入り扉を閉めると、匂いが少しはマシになる。まあ、少しだけどね。
涙の落ち着いたカルニーさんは顔に巻いた布を外すと、ぽつりぽつりと事情を説明してくれる。
あんなにいい香りだと思っていたバラが、ひと月ほど前から、急にキツイ匂いに感じるようになり、バラ園の作業が苦痛になっているそうだ。楽しかったバラの栽培が、今は苦行になっているのだと悲しげに告げた。
バラ農家であるカルニーさん一家に起きた体の変化は、喜ばしいことではない。体が正常に戻ったというのに、皮肉なものだ。この先、彼らがバラの栽培を続けていくのは困難に思える。そこで私は、以前、カルニーさんがバラの品種改良をしていると聞いた時から考えていたことを、頼んでみることにした。
「あ、あの…、実は私も…」
私もカルニーさんに、ずっと前からこのバラの香りが強すぎて苦手だったことを正直に告白した。そして、彼に提案する。
「あのう、もし出来たらですけど、もっと香りの優しい、匂いを抑えたバラの栽培に切り替えてはどうでしょう。今はまだなくても、品種改良をして、そのようなバラが作れないでしょうか?」
「ああ、それなら! どんなバラも、あのバラよりも香りが弱いです! あのバラだけが特別に強力な香りなのですよ。…しかし、他のバラを栽培したとして、はたして売れるでしょうか…?」
「いや、そもそも何故、あのバラが今まで売れていたんですか!?」
思わず突っ込んでしまった。そっちの方が謎だ。
アンデッド王国の国民全員、鼻がおかしいのだろうか? ああ、まあ、実際、おかしいんだろうね…。あの匂いを嗅いで、なんともないんだし。しかし、あれを大量に輸入している国が存在するのだ。その国の人達の鼻もおかしいのかな…?
輸入国の事情については、カルニーさんは詳しくは知らないようだ。主な取引先は、サキュバスの国と、その周辺国らしい。サキュバスって、淫魔のことだよね。神様のゲームの中には出てこなかったけど、そんな悪魔たちも住んでいる世界なのだ。まさか、怪しげな薬作りに使われているのでは?と、少々気掛かりだが、その辺は後で調べてみることにしよう。
とりあえず今は、カルニーさんがこのままバラ農家を続けていける道を探りたい。
「私は、野草の優しい香りが好きなんです。そのような香りのバラがあれば、いつもお部屋に飾っておきたいです」
私が言うと、ああ…と、カルニーさんは夫人と顔を合わせて頷く。
「姫様、あの薬には、白い花の野草の香りがつけてありますね。体が治ってから、においがよく分かるようになりました。あれと同じとは申しませんが、姫様に気に入っていただけるような香りのバラを作ります。それが完成した時には、ぜひ、姫様に贈らせてください」
「わあ、嬉しい! とっても楽しみです!」
カルニーさんが、やる気を出してくれたようでホッとする。彼のような優秀な人には、このままバラ作りを続けてもらいたいしね。もちろん別の品種をね!
今回の視察もグダグダになってしまったが、今後、カルニーさんがどんなバラを生み出してくれるのか、楽しみが出来た。
私達はカルニーさん一家の笑顔に見送られ、視察を終えた。
それからすぐに、カルニーさんは、あの国花であるバラの栽培を止め、匂いが普通のバラの栽培に切り替えた。
1年ほど経った頃には、私が作った薬が市場に出回り始め、国民らは美しい肌と、優しい香りを体に纏う様になっていった。それと共に、鈍感だった彼らの嗅覚は正常に戻り、町のあちらこちらに飾られていた国花のバラは姿を消した。その代わりに、カルニーさんが作った色とりどりのバラが飾られるようになった。
王都にあるバラ農家は、彼の作った新種のバラを分けてもらって栽培するようになり、王都からあの強烈なバラの香りは完全に消えた。
国花のバラは田舎のほうではまだ作られており、国内では全く需要はなくなったのだが、輸出の方は相変わらず順調だった。新たな優しい香りのバラは、国内だけでなく、国花のバラ輸入国とは別の外国に売られるようになり、輸出額は増加した。
町でも売られている赤や白や黄色の大きさもバラバラな数種類のバラが、城の中を華やかにしていた。匂いも前世に嗅いだことのある普通のバラの匂いで、とてもよい香りだ。また一つ、不快な物が城から消え、快適になった王城暮らしを満喫するのだった。
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私の作った薬が町に出回り出して、1年が過ぎた。そうこうしているうちに、私は7歳になっていた。アンデッド達の姿は、以前に比べ、見違えるほど良くなった。だが、新種のバラが輸出されるようになったとはいえ、この国が貧乏なのは相変わらずだった。
2年ほど前に城へとやって来たエミリは、私の侍女になるべく、初めはメイドとしての立ち振る舞いを仕込まれていた。その後、侍女としての訓練を受けた後、正式に本日、正真正銘、私の侍女となった。
「姫様ー、ついにやりましたー! はああああ、長かったですう」
「おめでとう、私も嬉しいわ。よく頑張ったわね」
私よりも背が高いエミリを、よしよしと撫でてやる。
エミリは私よりも4歳年上であった。しかし、兄妹の中の末っ子なので、少し甘えん坊なところがある。なので、なぜか私が姉で、エミリが妹のような関係になっていた。まあ、実際、精神年齢は私のほうがずいぶん上だしね。
「これで、いつでも姫様と一緒ですね! 世界を救うために頑張りましょう!」
エミリはガッツポーズをして、やる気満々だ。なんとも頼もしい。
まだ11歳であるにもかかわらず、彼女は実際、優秀であった。若干9歳で、すでに教会で私の案内役を務めていただけのことはある。やんちゃな兄たちより、甘えん坊のところはあっても、落ち着いていて頭が良く、兄妹たちの中で一番役に立つことを、父親は分かっていたのだろう。神様の計らいで急にお城に来ることになってしまって、彼女の父親はさぞかしがっかりしたんじゃないだろうか。しかし、教会勤めより、王城勤めのほうが地位も給金も上なので、もちろん反対はしなかったのだが…。
そして、まだ驚くことがあった。もともと可愛い顔立ちをしていたエミリだったが、私の作った薬を使うようになり、ますますグーンと綺麗に美しくなったのだ! これからは、この美少女を常にはべらせ連れまわせると思うと、気分はアゲアゲ、ウエーイ!である。グヘヘへ。
「あ…、姫様。今、変な事を考えていませんでした?」
笑顔で聞いて来たエミリに、澄ました顔で「ううん?」と首を横に振る。内面は綺麗に隠し、王女らしく、威厳を持って接しているつもりなのに、何故かエミリには見抜かれている気がする。沙也加ちゃんと同じ属性持ちか?
しかし、神様があの短時間の間に、あそこまでいろいろエミリに教えていたことを聞いた時は驚いた。エミリが気を失っているほんの15~20分ほどの間に、彼女は乙女ゲームを全クリし、その後、私の死んだ日の様子まで見せてもらったらしい。神の部屋は、きっと、この世界とは時間の流れが違うのだろう。
「お可哀そうでした…。あんな悲しい死に方はあんまりです! せめてあの男の子は、助けてようとしてくれた人がいた事を知るべきでした!」
そう言ってすすり泣きを始めたエミリに固まった。
あの間抜けな死因まで知られちゃってる!? おいおい神様、何してくれちゃってるの!? そこまで、教える必要なんて、あったんかい!?
「私がお守りしますから! 姫様がそそっかしいミスをしても、私がフォローしてみせます!」
「うえ!? お、おおう…」
気迫に気圧される。そう言って見つめてきたエミリは頼もしかった。すっかりやる気になっている。きっと神様は、私の頼りなさを見せて、彼女のやる気を引き出そうと考えたのだろう。…うん、そう思おう。
まあ、実際、よほど気をつけなければ、私は17歳になった時、あのゲームの舞台で、高確率で命を落としてしまうのだ。
「姫様を死なせはしません! 私、頑張りますから!」
優しい子や…。私の間抜けな死に方を知っても、笑ったり、呆れたりしないで、涙を流してくれた。
目に涙を溜め、強く言い切る彼女に、私も顔を崩して微笑んだ。
「うん、ありがとう。一緒に頑張ろう」
さて、話はもどって、いよいよ後10年であの乙女ゲームの舞台となった国際交流会が行われる。アンデッド王国滅亡を防ぐため、今のうちに、やれることは全部やっておかなければならない。
まずは、アンデッド王国の貧困問題をなんとかしたい。この国が豊かな国に変われば、未来が変わる可能性もあるだろう。せっかく神様から便利な能力をいただいた事だし、これを活用しない手はない。
私はお父様とマテウスの父親である外相を務めるコールドウェル侯爵にアポイントメントを取った。
後日、二人を前にして簡単な挨拶と短い世間話を交わしたのち、私は本題である貧困を救うための案を単刀直入に切り出した。
「私の作った薬を、他国へ売り出したいと考えています。ですので、他の種族の民を紹介してもらいたいのです」
お父様とコールドウェル侯爵はうーむと難しい顔をする。
現在制作している薬は、すべて国内向け、つまりアンデッド向けだ。他国へ売り出すとなれば、その国に合った薬にしなければならない。この世界は、多種多様な種族が住む世界だ。種族が違えば、求める薬も違うし、同じ薬であっても、効果が異なるだろう。売り出すとなれば、その前にテストしなければならない。まずは、試験体になってくれる人が必要だった。
返答を渋る二人に、嫌な予感がする。まさか…?
「我が国には、アンデッド以外の種族はいないのですか?」
お父様は渋い顔で頷いた。
「他種族の者は、我が国には1人もおらん。別に、排除しているわけではないのだがな…」
「ふむ。しかし、今ならば、来たがる者もいるかもしれませんぞ?」
王とコールドウェル侯爵は、目配せを交わして頷き合う。
いったい、何なのだろうか?
後日、コールドウェル侯爵の計らいで、私は1人の商人を紹介された。
「これはお美しい王女様。お目にかかれて光栄でございます。私はスティーバ商会のスティーバと申します。商会といいましても、私が代表で、従業員も全員身内なんですけどね」
紹介された男は人間だった。私は大きな目を見開く。
すごい! 人間、本当にいたよー!!
感動で、脳内の語彙力が低下してしまった。何気に、この世界でアンデッド以外の種族に実際に会ったのはこれが初めてである。勉強はしているから知識はあるし、ゲームでは見たことあるけどね。
スティーバは若い青年で、一般市民と同様の身なりをしていた。短い髪に、清潔そうな衣服を身に着けている。にこやかに微笑みながらも、こちらを探る気配がする。まあ、そんな気がするだけなんだけどね。彼はどことなく、前世で私が勤めていた会社の営業課にいた、やり手の高橋課長に雰囲気が似ていた。だが、年齢はこの男性のほうが、かなり若い。
ジロジロと値踏みするように眺める私の視線を笑顔で受け止め、スティーバは黙って私の返事を待っていた。
ハッと気づいて、私はゴホンと咳ばらいをすると、さっそく要件を切り出した。
「人を用意できると伺いましたが、あなたが他国から連れて来ていただけるのですか?」
「はい、王女様の望む者を連れて参りましょう。遊び相手が必要ですか?」
は? 遊び相手?
何を言ってるんだとばかりに、訝し気な視線を男に向けた。
なんで私が遊び相手を…って、そうだった! 私、まだ7歳だった!
私はもう一度咳ばらいをすると、動揺を隠すように落ち着いた口調で続けた。
「いえ、そうではなく、新薬の実験体を探しているのです。あなたは人間ですので、人間の女性を連れて来られますか? ここで知り得た薬の情報を他国へ流さず、保持できる人物がよろしいのですけれど」
「ほほう、実験体ですか…。人間以外にも、他の種族の奴隷もご用意できますが」
奴隷!? こいつ、私が遊びで危ない薬でも試すとか思ってるんだな!? しかし、私を見た目通りの子供だと思っているのだろうに、平気で奴隷の話をするなんて…って、この世界に奴隷っているんだ!? 心の中でツッコミが忙しい。
「いえ、私が開発しているのは、主に美容の為のお薬です。肌や髪、体の内面を健康に保って、美しくするお薬ですわ。ですから、奴隷は必要ありません。体には負担をかけないようにしますし、お給金もお出ししますから、一般の市民で、この国にしばらく留まっていただける方をお願いしたいのです」
「これは失礼いたしました。それでしたら人間の、若い女性がよろしいかと思います。こちらで手配いたしましょう」
話はすぐにまとまった。こちらのことはあまり詮索せず、こちらの望む通りの返答をしてくれた。こんな子供の言うことを素直に信じたのだろうか。ま、私が王族で、コールドウェル侯爵の紹介だからだろうけどね。こっちも、彼の紹介じゃなかったら、直接会って、私が薬を開発しているなんて事をペラペラしゃべったりしない。
まだまだお互い、様子見なのだ。彼が信用できるかどうかは、今後の彼の働きで判断する。向こうもそのつもりなのだろう。なので、お互いに余計な世間話など一切しなかった。ある程度信用でき、お互いの事が分かってくれば、もっと会話も弾むようになるのかもしれない。
後日、彼は1人の人間の女性を連れて来た。
長い髪を両側で三つ編みにした、田舎くさ…素朴な感じの女性だった。