21. ケビン・コールドウェルの苦悩と決意
~ケビン・コールドウェルの苦悩と決意~
初めてあのお方にお会いしたのは、まだ彼女が5歳になったばかりの頃だ。
わずか1歳の頃から、王城内では、すでに天才と評判となり、さらに、その美しさは天界の美の女神の生まれ変わりだと噂されていた。
長い間、子に恵まれなかった王と王妃の間に産まれた、待望のお子だ。城の使用人らが、ずいぶんと大げさに褒めた言葉が、そのまま噂となって流れたのだろう。彼女に会ったことのない者は、みんながそう思ったはずだ。私もそうだった。
その評判の王女イザメリーラ様は、我が息子マテウスと1歳違いなこともあり、生まれた直後から、すでに王からマテウスとの婚約話を持ち掛けられていた。
我がコールドウェル侯爵家は王家と親交が厚く、ちょうど王女と年の近い息子がいるのは、もはや二人の結婚は運命付けられたものとして疑わなかった。
王女が5歳の時、初めて面会が許可された。
それまで、どの貴族らとも対面を許されず、守られ大切に育てられた箱入り娘だ。周りから天才ともてはやされ存分に甘やかされた王女は、世間知らずな我儘な娘だろうと予想していた。
我が息子マテウスは、まだ6歳だが、年齢の割には大人びているし、親バカかもしれないが頭が良く礼儀正しい。そのような王女とも数時間なら我慢して付き合えるだろう。
王女の評判は常日頃から息子の耳に入れている。他人から否定されたことなどないだろうから、とにかく褒めて褒めて微笑んでおけばよい、と言い聞かせた。マテウスは見目も優れているし、きっと王女に気に入られるだろう。そう楽観していた。
外相の仕事で忙しく、城の奥まで足を踏み入れるのは数年ぶりだった。
城の深部へ入るにつれ、昔と何かが違うと感じた。通り過ぎるメイドの顔色や髪の艶がとてもよい。皆、健康そうな晴れやかな笑顔で挨拶をしてくれる。
5歳にして薬作りの才能があると聞いていたが、まさかその薬のお蔭だというのか?
それ以外にも何かが違う…。そうだ! においだ!
城の奥へ行くほど、爽やかな良い香りがする。大きく息を吸い込んで、においの正体を確かめる。これは、花の匂いだろうか…?
私の戸惑いが伝わったのか、マテウスは何か言いたげに見上げてくる。
息子にとっては、城の中に入るのも王族に会うのも初めてのことだ。不安がらせてはいけない。余裕のある所を見せなければ。
城内がどう変わっていようとも、とにかく今日はイザメリーラ様に気に入られるのが目的だ。彼女との面会を上手くやれさえすればいい。
私は息子に大丈夫だと微笑みかけた。
案内された部屋で待っていると、王女はまもなく現れた。
ゆっくりとした足取りで部屋の中へと入って来た王女は、私達の正面に立つと、伏せていた瞳を上げた。
その時の衝撃は今でも忘れない。息を飲む美しさとは、まさにこの事だと思った。
まずは彼女の瞳に惹きつけられた。長いまつ毛に縁どられた大きく澄んだ琥珀色の瞳は、知性と意思の強さを宿し、穏やかに細められていた。艶やかなみずみずしい真っ白な肌は、どうやって手入れして手に入れた物か、まるで想像がつかない。緩やかなウェーブの長い髪が肩へとかかり、紫がかった銀色の髪が輝いていた。
なるほど。これは女神と評されるのも納得だ。
しかし、次の瞬間、またまた驚かされた。
王女は5歳とは思えぬ落ち着きのある声で、丁寧なあいさつを述べた。これには、私ももう認めざるを得ない。彼女を外見通りの5歳の子供扱いしてはいけないと悟った。
私が王女に負けぬ、丁寧なあいさつを返すと、王女は驚いた顔をした後、にっこりと微笑まれた。私の心は、この時もう王女の虜となっていた。この愛らしく聡いお方が我が国の王女なのだ。なんと、誇らしいことか!
その後、場所を移し、王女がわざわざ私の為に作らせたという体力回復効果のある薬草入りのお菓子を振舞ってくれた。お茶を飲みながら、彼女は庭園に植えられた薬草の説明をしてくれたが、その知識量は大したものだ。配下に向けたパフォーマンスではなく、本当に、王女自らが薬を作っているのだと分かった。
それに引き換え、うちの息子はどうだ。
最初に挨拶をしてから、全く口を開かない。王女に圧倒されて、心が挫かれてしまったのか。マテウスが人前で、こんな不愛想な態度を取るのを、今まで一度も見たことはなかった。
王女に話しかけられても、一向に口を開かないマテウスに、私は少々苛立ち、荒療治に出ることにした。
マテウス一人を残し、私は席を外すことにしたのだ。
マテウスは不安そうな顔を向けたが、王女はずっと私達を気遣って場を和まそうとしてくれていたので、まあ大丈夫だと思った。
だが、後でこの決断を後悔することになるのだが…
1時間ほどして戻ってみると、マテウスは怒った様子で取り乱し「お前は王女失格だ! 婚約などしない!」と喚いていて、どんな悪夢かと思った。
王女に息子の非礼を謝罪して急いで連れ帰ったが、その後のマテウスの様子に驚いた。
腹を立てているのかと思ったら、元気がなくなり、ふさぎ込んでしまった。
王女は広いお心で許してくれたから大丈夫だと言っても、その落ち込みようは見ていて辛かった。
それからしばらくして、王女が視察先で倒れられたと知らせを受けた。私がお見舞いに行く準備をしていると、それを聞いたマテウスが、なんと自分も行くと言い張った。
具合の悪い王女と、先日、無礼を働いたマテウスとを会わせるのは気が進まなかったが、マテウスの必死の訴えに、結局は私が折れた。マテウスがこんなに我儘を言ったことはなかった。それに、ずっと元気がなかったマテウスが、元気を取り戻すかもしれないという期待もあった。
王城から戻ったマテウスは、昨日までの元気のなさはどこへやら、すっかり明るくなっていた。というか、ずっとにやけていた。こんなに緩んだ顔をしたマテウスは見た事がない。そういえば、王女に会ってから、マテウスは今まで見せた事のない顔を何度も私に見せている。すっかり王女に振り回されているようだ。
それから、マテウスは王女に呼び出され、何度も城へ足を運ぶようになった。無事、王女に友人と認定されたようだ。
マテウスは「ああ、またか」と素っ気無い態度をとっているが、明らかに声が掛かって浮かれているのが分かった。マテウスもまた、王女に友愛の情を感じているようだった。
それから数年が経過した。
妻のグリーダは、マテウスが王女と結ばれる将来を全く疑っていない。
確かに王女がまだ赤ん坊の頃は、私も妻とよくそんな話をした。マテウスが王女に会って以降は、妻は頻繁にマテウスにその話をするようになった。
王女の噂話や、マテウスと王女の将来を夢のように語るグリーダに、マテウスは私と同じく賛同はしない。だが、迷惑がっている様子もなかった。
だが、二人は知らないのだ。
実は、私が王に何度もマテウスと王女の婚約を打診しているが、その度に、やんわりと断られてしまっている事実を…!
王は、はっきりとはおっしゃらないが、どうも王女本人がマテウスを結婚相手と認めていないことが分かった。
だが、理由が分からなかった。
私から見た二人はとても仲が良く、互いに認め合っているように思った。
だから余計に不安を感じたのだ。ただの我儘や気まぐれで婚約を拒否するとは、彼女を知る私には想像がつかない。もしや、それを拒む、何か特別な理由があるのではないかと…
私の不安は的中した。
マテウスが11歳の時、王は有力貴族を招いて、重大な発表をした。招かれた者達の間では、のちに「悪夢のお告げ」と呼ばれることとなる、恐ろしい未来を告げられた日だ。王は、アンデッド王国の凄惨な未来を変えるべく、ロージス神より王女とその侍女が、御神託を受けたのだと言った。
私達は大変な衝撃を受けた。…だが、助かる道は残されていた。
なんと、それは我が息子マテウスが神樹レスポート王国の姫君、オリアナ姫と結ばれ、アンデッド王国の国王になる道だという。
マ、マテウスが…国王に!?
私は次々と告げられる言葉の意味を理解するのにいっぱいいっぱいで、とても心が、感情が付いていかない。
ハッと気付いて横に座るマテウスを見ると、マテウスの顔色は真っ青になっていた。
無理もない。私でさえも理解が追いつかないほどの事態だ。まだ11歳の息子には酷な話だ。
しかも、マテウスのこれからに、アンデッド王国の未来は託されたのだ。背負う負担が大きすぎる。
私は何と声を掛けてやればよいか分からなかった。
王と王女が、心配そうにマテウスを見ていた。
マテウスは王女の視線に気付くと、唇を噛んで俯いた。膝の上に置かれた手を、ギュッと固く握っている。
その表情は、悔しさだと思った。理不尽な立場を押し付けて来る王女に、腹を立てているのだと思った。
だが、王の話が終わり、貴族を見送る王女を見つめるマテウスの顔を見て、私は気づいてしまった。
まだ子供だと思っていた息子が、恋をしている事に。
幼い息子の初恋が、終わってしまったのだと…
その日から、マテウスは変わった。
以前のようないきいきとした顔をすることがなくなり、初めて王女に会った日の後のように、ふさぎ込むことが多くなった。
時間が解決してくれるだろうと、そっとしておくことにした。だが、私のこの判断は、またも間違っていたようだ。
外相の職務は順調だった。
王女が作った薬が有名になり、アンデッドに対する評判が右肩上がりによくなった影響だ。薬やバラ以外でも、今や世界では着る者がいない、古風と評されるアンデッドらが身に着ける衣装も、かえって他国では物珍しく、製作する国が他にないため、服飾関連も輸出品の一つとなった。他にも工芸品や家具など、アンデッド王国独自の昔ながらの製法やデザインが受け、これらも次第に輸出されるようになった。
国の潤いは庶民にも充分に行き届き、失業者や浮浪者も減った。
王女が考えた観光業も順調で、宿泊施設や外食店、土産物店も栄えている。
だが、私の悩みは尽きない。
年齢が上がるにつれ、マテウスはだんだんと反抗的になっていき、私の命令に逆らうようになった。あちこちから、マテウスに対する批判の声が聞こえてくるようになってしまった。
グリーダは王女との婚約が決まれば、マテウスが昔のように勤勉に戻ると信じていた。私に早く王に進言してくれと頼んでくる。
「悪夢のお告げ」は、グリーダにさえも教えることは出来ない。王からのご命令であるし、それがなくても、知った後の彼女のショックを思うと、告げるのはためらわれた。
ある日のこと、城での職務を早めに終え、2階の渡り廊下を歩いていた時、下から、男女の言い争う声が聞こえた。
窓の下を見ると、中庭の隅に若いカップルの姿があった。こんな真昼間から逢引だろうか?
少々気になって、目を凝らして顔を確認した。
それはなんと、我が息子マテウスと、王女の侍女であった!
最近のマテウスは悪い噂が絶えない。今度は侍女をたぶらかしたのかと怒りが湧いた。
しばし見ていると、二人は顔を寄せた。
王女の侍女とこんな仲になっているとは、後でマテウスに厳しく問わねばなるまい。
苛立ちつつ見ていたが、どうも様子がおかしい。マテウスの顔色がどんどん青ざめている。
よーく見てみると、侍女はマテウスの襟首を両手で締め上げているではないか!! てっきり唇を合わせているように見えたが、見間違いだったようだ。
マテウスは苦しそうに暴れて振りほどこうとするが、なぜか侍女の細い腕は外れない。彼女は華奢に見えて、かなりの怪力のようだ。
私は大声で侍女を止めようと思った。だが、ここは人目のある城の中だ。大声を出して、他の者に見られるのは避けたい…!
私は急いで階段を駆け下りて中庭へと向かった。
私が中庭に着いた時には、もうマテウスの姿はなかった。
侍女へと駆け寄ると、振り向いた彼女の顔は涙で濡れていた。
「今、マテウスと二人でいただろう。何を話していたのだ?」
「…マテウス様に、お願いをしておりました」
「何を?」
「もっと、真面目に取り組んで下さい、と。アンデッド王国の未来の為に」
「そうか…。だが、首を絞めるのはやりすぎではないかな? 大事な体だ」
「ああ…そうでございますね。申し訳ありませんでした。では…」
侍女は私から視線を逸らせ、この場から去ろうと私の横を通り過ぎる。
私は慌てて侍女の手首を掴んだ。
「待て。どうして泣いているのだ? マテウスが何かしたのか?」
「いえ、違います」
「では、なぜだ?」
侍女は悔しそうに唇を引き結んだ。そして、首を横に振る。
「特に理由はありません。失礼いたします」
侍女は頭を下げ、腕を引いたが、私は手首を離さなかった。
侍女は隠し事をしている…! 外交で鍛えられた私の直感がそう告げていた。
「言うんだ! マテウスへの暴行の沙汰で、お前を城から追放しても良いのだぞ!」
こんな事は言いたくなかったが、こうでも言わなければ、この侍女は口を割らないだろう。彼女が王女に対し、どれほど献身的に仕えているか知っている。王女から引き離される危険は絶対に避けたいだろうと思い、咄嗟的にこんな、脅すような言葉を発してしまった。
侍女は、フフンと不敵に微笑んだ。そして、敵意のある瞳で私を見上げる。
王女の後ろで控えている時のいつもの顔とは、まるで違う。普段の彼女は、大人しそうな、優し気な微笑みを浮かべているというのに…。あれは、猫を被った姿だったのか?
「よろしいでしょう。姫様のお言いつけなので誰にも話せずにおりましたが、そのように脅されてしまっては、本当の事をお話ししてしまっても仕方ないですわね」
侍女は言い訳めいた言葉を紡ぎ、大きく息を吐き出す。
王女に口止めされているだと? いったい、何を…?
侍女は私に向き直り、一歩近づいた。そして、周りを気にしながら、小さな低い声で話す。
「例の国際交流会で、オリアナ姫がマテウス様を選ばず、他国の王子を選んでしまった場合。姫様は…っ」
侍女は、途中で言葉に詰まった。そして、苦しそうな、涙を溜めた瞳で私を見上げ、衝撃的な言葉を放った。
「…姫様は、お亡くなりになります」
その後、私は茫然としたまま屋敷へ帰った。
侍女は本当の事を話したのだと感覚的に分かった。彼女は、私に口止めをしなかった。他の者の耳に入れてもいいという事だ。それが、王の耳に入ってしまったとしても。
だが、誰に話せるというのだ…!?
王が知れば、王女が国際交流会に参加するのを、確実に反対するだろう。だが、未来を知る彼女が行かなければ、アンデッド王国の、世界の悲劇を避けられないかもしれない…!
マテウスに知られるのも危ない。マテウスはまだ、王女を完全には諦めていないかもしれない。オリアナ姫との結婚を強要すれば、今のあいつは何をしでかすか分からない状態なのだ。
それから数日後、王女が我が屋敷を訪れるという知らせが届いた。王女は、マテウスに話があるのだという。
グリーダはうきうきと迎える準備をしている。マテウスは不機嫌な顔で返事をしたが、きちんと時間通りに戻って来るのか怪しい。
私は仕事のため城へと向かったが、仕事など全く手に付かない。
王女が訪れる時刻はとっくに過ぎた。私は捗らない仕事を中断して、屋敷へと戻り、王女の話が何だったのか確かめる事にした。
屋敷に着くと、グリーダが倒れたと家の者が焦った様子で告げた。
妻の部屋へ行くと、顔色を悪くした妻が寝込んでいた。起こすのも悪いので、私はそのまま応接間へと向かった。
老齢な執事が、今、使用人はすべて部屋から追い出され、マテウスと王女が二人きりで話し中だと言った。
私は応接室の厚い扉に張り付いて耳を澄ました。
紳士のやる事ではないが、そんな事は言っていられない!
いったい、何を話しているのだ…?
二人の会話に集中する。
「ごめんなさい。私、マテウスの気持ちにちっとも気付かなくって…。気持ちを隠して、他の人と結ばれなければならないなんて、辛いよね…」
これは…! 王女はマテウスの気持ちに気付いていたのか!?
「でも、安心して! 諦めろなんて言わない。私、マテウスを応援しようと決めたの!」
「え…ええっ!? それって…」
どういう事だ!?
「アンデッド王国はもちろん救いたいけど、マテウスに苦しい思いなんてさせたくない。だから、あの6通りの未来のうちの一つを選ぶんじゃなくて、他の道がないか一緒に考えよう! もしかしたら、オリアナ姫と結婚しなくても、アンデッド王国を救う手はあるかもしれない!」
なんと!!
王女はマテウスと歩む道を選んでくれるというのか!
私は目頭が熱くなった。
王女は自身の命を危険にさらしても、マテウスを選んでくださったのだ…!
しばし胸に手を当て感慨にふけっていたが、モヤッと嫌な考えが浮かんだ。
先程、王女は「マテウスを応援する」と言った。自分たちの事なのに、「応援する」とは、少々妙な言い回しだ。
いや、きっとただの思い過ごしだろう…
私は扉の前から離れると、もう一度、妻の寝室へと戻った。
グリーダはまだ、スヤスヤと眠っている。
彼女の寝顔を眺めながら、彼女が語った、マテウスと王女が新たなアンデッド王国を築く未来に思いを馳せる。
マテウスはまだ知らない。二人が目指す道には、王女の命の危険があることを…。アンデッド王国の未来には、美しく賢く、王国の宝であるイザメリーラ王女が絶対に必要なのだ。マテウスの為に命を失うことなどあってはならない…!
私に出来る事は…
よし! これからは、あらゆる手を使って、二人をサポートしていこう。
私は、愛する妻の寝顔に誓った。