10. お忍びで町へ
どうやらこの世界は、私が思っていたよりもずっと進んだ世界だったようだ。前にディカフェス医師が言っていた「神のスキル」を持つドワーフ国の男のおかげだろうか。
現在、大型魔道具設置のため、ドワーフ国の職人たちがアンデッド王国に入国している。
今、建設中なのは、飛行魔道具の発着場だ。この世界には空を飛べる乗り物もあるらしい。しかし、私が知識として知っているのは、空を飛べる魔獣に直接乗る方法だ。しかし、現在アンデッド王国には、乗り物といえば馬車しかない。今までは魔獣を飼う余裕も、空を飛ぶ魔道具を買うお金もなかったからだ。
いったい、他国はどれほどまでに進んでいるのか。アンデッド王国との差を考えると恐ろしい。進んでいる国は、武力面でもきっと優秀だろう。乙女ゲームの中では、アンデッド王国は高確率で他国に滅ぼされている。その辺りも、アンデッド王国の遅れが原因なのかもしれない。
今、アンデッド王国では、城の修繕や王都の整備に予算を割いている。それが一段落したら、次は軍事方面にも力を入れていくべきだろう。今のままでは赤子の手を捻るが如く、他国に攻略されてしまうと予想される。
まあ、それはこれから追々考えていくとして、私の今一番の関心事は、この手にしているスマホ…じゃなくて通信機だ。毎日、暇があれば夢中で眺めている。ずっと質素で遅れた生活をしていたので、こういった娯楽に飢えていたのだ。
公務がない今日は、1日ずっと勉強だった。お風呂を済ませベッドへ入ると、通信機を起動させ、世界の動画を楽しむ。寝る前のお楽しみ時間だ。私には神に与えられた能力があるため、他国の種族の言葉をすべて理解できる。勉強しないでもわかっちゃうなんて、なんて便利な能力だろう。これに関しては、神に大いに感謝している。
あっ、そうだ!と思い出し、先日アドレス交換したばかりの、私の唯一の友人へとメッセージを送った。
『発着場の様子はもう見に行った? まだだったら一緒に見に行かない?』
1分もしないうちに、テレビ電話がかかってきた。通話ボタンを押すと、整った綺麗な少年の顔が画面に映し出される。
「マテウス!」
画面に映ったマテウスは、自分から電話をかけてきたくせに、無言で驚いた顔をしている。
「ん? マテウス?」
マテウスはハッとした顔をすると、わずかに目を逸らし、やっと言葉を発した。
「も、もう寝るところだったのか?」
「うん、マテウスは?」
私は自身の下ろした髪を背中へと送りながら答える。私がネグリジェを着ていたので驚いたのだろうか。子供用のネグリジェだから、襟元は少々開いているが、セクシー路線ではないのにね。
「ああ、今は本を読んでたんだ」
私は「あっ、そうだ!」と自分が潜り込んでいるベッドにカメラを向けた。
「マテウスは私の部屋を見たことなかったよね? どう? これ新しいベッドだよ。すっごくよく弾むんだー」
そう言ってベッドの上で飛び跳ねてみせた。
「おい、王女がはしたないぞ!」
マテウスの慌てた声が聞こえる。お城の人達は私のすることを何も注意しないので、マテウスのお小言はいつも新鮮だ。彼は真面目な性格で、私のおてんばをいつもたしなめてくれる。彼の困った顔が可愛いので、いつも、ついつい調子に乗ってしまう。
ごめん、ごめん、と笑いながら私は乱れた髪を手で直した。
「それで…」と私はやっと本題に入る。
「いつが暇?」
マテウスは困った顔でフフッと笑った。
「いつが暇って…、お前の方が忙しいだろうが」
私は首を傾けて、わざと意味が分からない振りをする。普段はちゃんと真面目に公務やお勉強を頑張っている。しかし、私がわがままを言えば全て通ってしまうので、スケジュールはあってないようなものだ。
スケジュールを確認してまた連絡すると言って、マテウスは通信機を切った。困った顔をしながらも、口端は嬉しそうに上がっていたので、連絡して良かったと思った。
2日後、私は、お忍び用の服に着替えて街へ繰り出した。公務でない時はいつもこのように、ちょっとリッチな町娘風の衣装を来て、私が王女だとバレないようにしている。
待ち合わせ場所で馬車から降りると、本日の同行者たちがすでに待ってくれていた。本日はマテウスと、なんとマテウスの父君、コールドウェル公爵が一緒だ。それと、エミリも当然のように私の後ろをついてくる。たまにはエミリにもお休みをあげたいのだが、エミリが一緒でないと、お忍びでのお出かけが許可されないのだ。
実は、エミリは10歳の頃から武術の訓練を受けている。侍女にそんな訓練は本来必要ないのだが、エミリのたっての希望で、この4年間、地道に訓練を続けているのだ。私も一緒に訓練を希望したのだが、幼いという理由で却下された。私もあの頃のエミリと同じ10歳となったので、もうそろそろ訓練の許可が下りるだろう。これはもちろん、7年後のあの乙女ゲームの世界に備えてのことだ。
14歳となったエミリは、すっかり大人っぽくなった。相変わらずの美少女でスタイルも良いのだが、触ってみると結構、筋肉質の体をしている。あっ、触ったっていっても、もちろんいやらしい意味ではない! エミリ自ら、「ぜひ触ってみてください」と言われたからだ。そう言われてしまったら、美少女好きの私が断れるはずがない。うむ、仕方ない。
エミリは頭がいいだけでなく、運動神経もいいようで、武術を指導している現役騎士から「王女の護衛として申し分ない」とのお墨付きをもらっているのだ。
お忍びの姿で、マテウスとコールドウェル公爵とお出かけするのは初めての事だ。コールドウェル公爵は私を見ると、目をぱちぱちと瞬かせ、そして、にっこりと微笑んだ。
「これは可愛らしいお嬢様、今日はよろしくお願い致します」
紳士の微笑みを浮かべ、礼儀正しく頭を下げた。
おうっ、イケメンの微笑み…!
アンデッド王国の王女の自覚を得て数年。もうすでにアンデッドに対する偏見も恐怖心もなくなった。そうなった私にとって、コールドウェル公爵はただの素敵な男性だ。
「さあ、行きましょう」と差し出された彼の掌に自身の手を重ねる。もう片方の手は、ドキドキと高鳴る胸を押さえた。オッホッホ!役得役得。
ふと後ろに顔を向けると、マテウスが私とコールドウェル公爵の繋いだ手を、不機嫌な顔で見ていた。
…そうか、マテウスはまだ11歳の子供だ。いつも忙しい父親とのせっかくのお出かけなのに、私と仲良さそうにしているのが気に食わないのだろう。
名残惜しく思いながらも侯爵と繋いだ手を離すと、マテウスを呼び寄せた。「さあ、どうぞ」と、1歩引いて彼に場所を譲る。マテウスはパッと嬉しそうに頬をピンク色に染め、私の隣に並ぶと、なぜか私の手を握った。
へ? なんで!?
うーん…まあ仕方ないか、男の子だもんね。きっと照れているのだろう。
あ、コールドウェル公爵が寂しそうだよ?
マテウスと手を繋いだまま、私たちは、まずは街の広場へとやってきた。ここには、巨大立体映像モニターがあるのだ! お父様の執務室にも立体映像モニターがあり、それは何度も見せてもらっているのだが、執務室にあるのは小型モニターだ。
広場には人だかりが出来ていたが、今日は平日のせいか、それほど人は多くない。大勢の人がモニターを囲んでいるのを見て、私の身長では見られないかと思ったが、そうではなかった。近づいてみると、それは三階建ての建物くらいの大きさで映し出されていた。
うわぁ、お、大きい…!!
派手な衣装を着た、巨大な美少女がステージの上で歌を歌っている。その少女を私は知っている。実際に会ったことはないけどね。その少女こそ、魅惑的な歌とダンスで見る者を魅了する、今、人気沸騰中の世界の歌姫シンマーだ!
彼女の正体は、頭に小さな2本の角と背中にコウモリのような羽を持つ悪魔サキュバスである。実際にはこんな巨大ではないのだが、このモニターは実物よりもかなり大きく写すことが出来るのだ。どうやら今は、シンマーのコンサートの様子が流れているようだ。
彼女のことはスマホ…じゃなくて通信機でちゃんとチェックしている。美少女好きの私としては、彼女の存在を無視することは出来なかった。しかし、いつも通信機の小さな画面で見ていたが、この巨大モニターで見ると迫力が断然違う! 立体で見られるところもいいよねえ。
しばらくシンマーのコンサートを堪能した後、いよいよ今日の本題である、発着場の工事現場へと、全員で馬車に乗り込み、移動する。
繁華街から離れ、馬車がさらに進むと、真新しい道に入った。馬車の進む先には、平らにならされた広い地面と、高い建設中の塔が見えた。
うわぁ、ここ!?
私はもっとよく見ようと、馬車の窓から身を乗り出した。「危ないです」と、エミリに抱えられ馬車の中に戻される。
「お前、いくらお忍びといえど、はしたないぞ?」
マテウスの言葉に、エヘヘと笑って答える。この国で私をお前呼ばわりするのは、両親とマテウスぐらいだ。彼は私を手のかかる妹のように思っているのだろう。私の方が精神年齢は随分上のはずなのに、なぜだ?
そうこうしているうちに、馬車は工事現場から少し離れた場所で停止した。
コールドウェル侯爵から、「くれぐれも現場近くには近づかないように」と注意を受けると、私たちは「はーい!」と元気に了承の返事をした。
さっそく現場を観察すると、見たことのない魔道具に目を奪われた。ドロドロの茶色いアスファルトのような物体を、ローラーのついた巨大な道具で地面に押し広げていく。小柄なドワーフの男が、たった1人でその大きな魔道具を押していた。巨大な魔道具を1人で押すほどの怪力の持ち主なのかと、よく見ると、なんと、ローラー以外の部分は宙に浮いている!
ドワーフは何気に初めて見た。周りの作業員たちも全員ドワーフだ。まだ子供である私よりも全員身長が低い。ドワーフというと、ヒゲもじゃのイメージだが、彼らは髭を剃っているものが多い。生やしている者もいるが、綺麗に短く整えられていて、全体に身なりがさっぱりしている。
塔の建設現場に目を向けると、数人のドワーフたちが高い塔の壁に張り付くようにして作業していた。ドワーフ達の乗る足場も宙に浮いている。足場が宙に浮いているのは、さすがに見ていて怖い! だが、ドワーフたちは怖がることなく、平然と作業を進めていた。
「すごい…!」
私は思わず感嘆の声を漏らした。
その時、作業する男に大きな鳥が空から近づいた。
「うわっ、危ない!!」
思わず叫んでしまった私だったが、なんと、ドワーフはくるりと振り向くと、その大きな鳥から資材を受け取った。鳥も彼らの仲間のようだ。よく見ると、近くでその鳥に指示を送っている女性の姿が見えた。その女性は、ドワーフの男達と比べて、身長が2倍ほどもある。その体格を見ると、彼女はドワーフではないようだ。
彼女の指示を受け、大きな鳥は資材置き場へと飛んで行き、新たな資材を足で掴み取り、上空へと飛び上がった。
うわあ、うわあ、すごーい!!
隣をチラッと見ると、マテウスも目を輝かせて見入っている。
その時、私の下ろした髪を、ツンツンと後ろから引っ張る者がいた。
ちょ、やめて…?
無視されて面白くないのだろうか? どうやらエミリが構ってほしくて、私の髪を引っ張っているようだ。すぐに止めるだろうと思い、エミリのいたずらをしばらくは黙って耐えていたが、いつまでたっても止めてくれない。耐えきれなくなった私は、ギュッと両手で髪を押さえた。
「ちょっとエミリ、いいかげんにして!?」
「は? どうかなさいましたか?」
エミリはマテウスの隣に立ち、不思議そうな顔で私を見下ろしている。
…あれ? エミリそっち!?
私はゆっくりと後ろを振り返る。すると、白地に青色の模様の入った美しい体を持つ小さなドラゴンが、空中でパタパタと羽を羽ばたかせていた。