逃避 離
瞼を閉じているのか開いているのかすら分からなくなるような闇の中、眠りからさめた。
目には涙を浮かべていた。
悲しい、ではない。悔しいとも違う。もちろん嬉しい訳もなく、苦しい。後から、後から静かに憎しみらしき感情がこみ上げてきて、気付く。
この感情をぶつけることは出来ないのだと。
「許さない。」
そう自分で放った言葉が重くのしかかる。
「ごめんなさい。」
「許せない。」
この繰り返しが、私を底へ底へと向かわせる。
気付けば、逃げるように街の外へと飛び出していた。そうしないと、自分で自分が何をするか分からなかったから。
遠くへ遠くへと。
「……不思議な気配を辿って来たら、不思議な人に会えた。」
どれくらいたっただろう。
何もかもを忘れたくて、ただひたすらに進んでいた時。そんな声で足を止める。
「何よ、あなた。」
人のいない方へと向かっていた。道も無く、どちらから来たのかすら分からなくなる森の中。話しかけてくる男がいた。
「僕ぅ? ……フェイル。君は何?」
その男は首を傾けながら名乗ると、さらに首を傾げ質問を返して来た。
まだ会って数秒。それなのに、私は男の異様な雰囲気に恐怖をおぼえていた。
だから咄嗟にこう答えたのは、自分の身を守ろうとしたのかもしれない。
「リズ。」
私はリズであるけど、そうでない。
素性を明かしてはいないけれど、完全に嘘ではないから悟られない。
「リズ? って言った?」
でも、今回はそれが裏目に出たみたいだ。
男はおもむろに懐へ手を突っ込むと、可愛らしい柄の入ったメモ帳を取り出した。
深刻そうな顔をしてそんな物を持ち出すものだから、なんだか少し、いやかなり。不気味だった。
「……久しぶりだねぇ、元気してた? なんて。前回もここらへんで会ったんだよね?」
は?
初対面の筈の男は急に馴れ馴れしくなって、身に覚えのないことを言ってきた。
「人違いよ。」
「って、君も憶えていないのか。酷いなぁ、まあお互い様だよね。」
私の声が聞こえているのかいないのか、男は尚も変わらぬ様子で話を続ける。
「前はお人形さんのようだったみたいだけど、今はそんなふうに見えないなぁ。」
危険。
頭の中は、目の前の異常から逃げたいという思いでいっぱいだった。
今、男は話に夢中。
私は深呼吸をすると、ゆっくりと三つ数えた。
……いち、にの。さん!
そして、一目散に後ろへと走り出す。
そう、男から遠ざかろうと、思ったのだ。
「どうして逃げるのぉ?」
どうしてか、おかしな事に私は男に近付いていっていた。振り返ったすぐ前に男は立っていたのだ。
私は、へたりと力なくその場へ座り込んだ。
「あなた、誰よ。誰と勘違いしてるのよ。」
「まだとぼけるの? 同じ名前で、不思議な気配。こんなにも母さんの臭いがする。騙されるとでもおもってるの?」
重ねて訳のわからない事を言われる。
「分かった。馬鹿にしてるんだね。僕は忘れやすいから、でもそうだ。忘れてた、君を逃がすわけにはいかないんだよね。」
男は当然のようにナイフを取り出す。
「違うなら、証拠を見せて。見せられないなら、僕が証明する。」
ミスト―
先程から姿のない影を求めた。
しかし、そんな思いも虚しく、ナイフは私の首元を通り過ぎていた。




