06 外伝 サーリス伯爵家の後継ぎ息子 アントニオ
この日、サーリス伯爵家では新しい命の誕生を迎えようとしていた。
しかし、残念なことに、死産であった。
後継ぎ息子の誕生を切望していた一家の主は、落胆した。
「次の機会が有る。」と愛妻を慰めるが、その期待は叶わなくなる。
3日後、愛妻が死去したのである。
彼は妻を愛していた。とても愛していた。
後妻を迎える事など、まったく考えなかった。
その為、切望していた後継ぎ息子を得る事が不可能になってしまった。
深い落胆の中、彼は考えた。
愛妻が2年前に残してくれた一人娘。その娘を男として育てるのはどうだろうか?
幸い、彼の友人たちは、彼の愛妻の事を『幸薄そう。』、『不幸を招きそう。』とか言って、距離を置く者が多かった。
その事を、彼は残念に思っていたが、今となっては都合が良い。
彼は、娘を後継ぎ息子として育てる事にした。
先の事など、まるで考えなかった。
彼は、ただただ後継ぎ息子が欲しかっただけだったから。
”アントニオ”という名を与えられて、男として育てられる事になった伯爵家の一人娘、アン。
小さい頃は、良く動いては何かにぶつかる。良く動いては誰かに踏まれる。
何か物を落とすと何故かそれによく当たるなど、ちょっと不安に思われる子だった。
しかし、いつの間にかその様な事は無くなり、すくすくと健康に育っていった。
剣術を好み、領地経営に興味を示すと、勉強にも打ち込む様になった。
そして”彼”は、立派な後継ぎ息子に成長したのだった。
そんな彼に転機が訪れる。
彼が彼女に出会ったのは、王宮で開かれたパーティーでのこと。
彼は、彼女に人気の無い庭の隅に、連れて行かれた。
こういう事は、これまでにも何度か有ったので、大して気にしなかった。
ただ、相手が王女様だった事には少し驚いたが。
王女様は、辺りに人の気配が無い事を確認した後、こう言った。
「男性のフリをしている事は黙っていて差し上げます。困った事が有ったら相談に乗ります。」
それだけ言って、王女様は去って行った。
彼は、隠していた事がバレた事に衝撃を受けた。
そのまま屋敷に帰ると、部屋に引き篭もった。
彼は、ただ隠しているだけでいいと思っていた。
バレた場合、どうしたらいいかという事を、まるで考えていなかった。
悩んだ末に、彼は父に相談した。
「王女様にバレてしまったのですが、どうすべきでしょうか?」
伯爵は驚いた。
彼は、昔、魔術師を雇って、この一人娘の【ステータス】を【偽装】させていたのである。
それがバレるとは、思ってもいなかった。
伯爵も、この様な事態への対応を、まるで考えていなかった。
彼は、ただただ後継ぎ息子が欲しかっただけだったから。
相手が王女様だというのも問題だ。
口封じなど、出来る訳がない。
一人娘が、意を決して言う。
「王女様に会いに行きましょう。」
自暴自棄の行動の様にも見えるが、王女様の真意を確認しなければならない。
他に何かをしようにも、先ず、王女様と会ってみるべきだと考えた。
一人娘は、王女様に会いに行った。
いつもの男の服装で。
王女様に会って話をした。
王女様に会って良かったと思った。
王女様に下心など一切無かったのだ。
伯爵が後妻を娶らず、養子も取らず、一人娘を息子として育てているのは、亡き妻を愛しているからだろうと、そう理解して密かに応援してくれていた。
しばらく王女様と雑談をして、屋敷に帰り父に報告した。
伯爵は王女様に心から感謝し、安堵した。
”彼”はその後、度々王女様に招かれては、お茶をしたり、雑談をしたり、勉強している領地経営についての話をしたりした。
この、王女様とのおしゃべりの時間は、男らしい言葉遣いは改めなかったものの、自分らしい自然な振る舞いが出来る、気持ちの良い時間になっていった。
王宮のメイドさんたちが『姉妹の様に仲が良い。』と言っていたのには、ギョッとさせられたが。
そんな、仲の良い彼女たちに不快感を露にする者が居た。
グラスプ公爵家の馬鹿息子である。
2019.12.31 加筆修正しました。
伯爵家と公爵家に家名を付けました。
”サーリス伯爵家”と”グラスプ公爵家”です。