第4話「神が造りし遺物の欠片」
魔法とは、世界に不可欠な理である。
自然界に漂う自然魔力。それを操作し、世界の事象と呼ばれる基盤に干渉する事で、人為的な神秘を起こす奇跡の御業。
その形は様々で、例えば火や水を扱い生活の補助を行ったり、魔具を使い農作物の育成を早めたり、あるいは街灯などの光源を半永久的に稼働させる機構の確立を可能としている。
魔法はこのように多岐に渡って人々の生活を支えているが、例のような明るい一面だけではない。
ある種の業。人として生まれ落ちたその時から身体に刻まれている、剥離できぬ呪い。〝争い〟を促し求めてゆく、種族としての本能。
生命体が自らの体に蓄積された体魔力を使い、心象を力の結晶として具現化する暴力の塊。先程の魔法が第一魔法とするのなら、第二魔法と呼ばれる醜悪な力の権化。
これもその形は様々だ。火を、水を、草を、土を――ヒトの数だけ魔法が存在し、ヒトの数だけ使い方存在する。
ただ、力の種類はあれど第一魔法のような利便性は皆無だ。この力にそのような救いは存在しない。
火を使い、殺す。
水を使い、殺す。
草を使い、殺す。
土を使い、殺す。
どんなに清廉とも見える能力であろうと、この力の根幹をなすのは結局〝人を殺す事〟なのだから。
「……それにしても、神造遺物か。随分と懐かしい名前を出してきたね、驚いたよ」
そして、その人殺しの力を助長するのが神造遺物だ。
詳細は一切不明。構成材質、入手方法、作成者。全てがブラックボックスの謎の兵器。
ただ二つだけ分かっていることがある。一つは遺物に秘められた無際限の魔力が、使用者の力を最大限に引き出すということ。もう一つは使用者に死が訪れた際、神造遺物も破壊される、ということ、この二つだけだった。
「驚いた、と言う割にはそんな顔に見えないが」
「表情の機微を見せるのが苦手でね、内心は本当に驚いてるんだよ。……もう、見る事はないと思っていたから」
ヨハンはリアの言葉に対し少なからず動揺を覚えていた。
表情こそ普段と変わらぬ飄々としたものだが、声音も何処か重苦しさを増し、柔和な雰囲気も微かに薄れている。
「……うん、大まかな依頼内容は把握した。中々難儀な話になりそうだね」
「案件が案件だ。一筋縄でいかないないだろうな。だからこそこういう厄介ごとに慣れているお前を呼んだんだ。……それで? 受けるのか、受けないのか」
「……その答えを出す前に幾つか質問をしたい。いいかな?」
「ああ、好きにしろ」
ヨハンはその言葉に対し小さく頷くと、指を一本立てる。
「一つ目。これの情報提供者、もとい本当の依頼主は誰だい?」
「……!」
そして、彼女が隠していた事柄の核心を告げた。
これには流石のリアも虚を突かれたと翡翠色の瞳を大きく見開かせている。
「この魔法写真は良く出来ている。細部まで鮮明に映っていて、光源があるとはいえ物体の判別も実に容易だ。このレベルまでいくと市販の魔法写機じゃ限界がある。何か後ろ盾があると考えるのが必然だろう。用途的に……軍事。あるいはそれに準ずるレベルの後ろ盾と考えるべきかな」
魔法写機。物体、景色、あらゆる像を魔法写真として形に残す為の魔具だ。
一般的な魔法写機は何処の街でも売っているような安い代物である。趣味に使うも良し、利便性も求め携帯品にするも良し。非常に用途が多い一品なのだ。
しかし、最も使用されているのは軍事目的での利用である。例を挙げると、敵対国や敵対大陸の地理、地形の把握。戦争時においてそれを把握しているか否かでは雲泥の差だ。隠密活動を生業とする者なら必需品と言って過言ではない。
それ故に、ヨハンは写真の解像度について指摘をした。
「それを踏まえた上で考察をするなら、この件は表向きは君への依頼だけど、裏ではリア・ローズマリーを仲介役に僕へ依頼を任せようとした人物がいる――そうと考えるのが妥当かな」
一つ一つ。零れ落ちた言葉の端々を掻き集め、彼は、彼女に突きつける。
「……これはあくまで仮説だけどね。証拠も一切ない、妄想じみた憶測だ。……けど、もし少しでも心当たりがあるのなら、話してくれると助かるよ」
懇願という名の逃げられぬ言葉の包囲網。
最早ここまで完璧に推理されては隠す方も難儀という話だ。
リアは軽い溜息を吐き、肩を竦める。
「……末恐ろしい奴だな、お前は」
「はは、褒め言葉として受け取っておくよ」
ヨハンは決して追い詰めているわけではない。ただ単純に自分の考えを話しているだけだ。
しかしリアの立場からしたら現場で証拠を突き付けられた殺人犯並みの圧迫感だろう。
「概ねは合っている。しかし一つだけ違う点があるな」
「一つ?」
「ああ。……まずお前の想像通り、この件は私が直接受けた依頼だ。神造遺物に詳しい人物の名で私が上がったらしくてね、研究対象には持って来いの事案だから二つ返事で了承した。魔法写真はそのクライアントと会った時に提供された物だ」
リアは散らばる写真を指で差す。
「なるほど。……となると、違う点は僕に依頼を任せた、というところかな?」
「ご名答」
ぱちん、とリアの指が鳴り、正解をより際立たせる。
「そのクライアントがヨハンを指名したわけじゃない。お前を選んだのは私の独断だ。……まあ、相手方も私がお前を同行させる事をわかっていた節があったんだが……それはこの際置いておこう」
その言葉は、ヨハンの中に一つの核心を抱かせた。
ヨハンを良く知り、リアとの友好が深い事を理解している人物。そんな事を既知している者は、彼の知り合いの中でそう多くない。
――正確な人数を言えば、十一人。
(という事は彼等の中の誰か、か)
本当に厄介事が絡む一件になってきた、と内心微妙な愚痴を零しつつ、彼は話を続ける。
「ちなみに、僕を選んだ理由を聞いても?」
「私一人で現場に赴いてもよかったんだが、こと神造遺物だと流石に危険性が高まる。何が起こるかわからない状況に生を賭けるほど博打打ちじゃなくてね。……そこで、ふと思い当たった奴がいた。あらゆる魔法が効かない奇特な輩が」
彼の視界で嫌な風に彼女が笑う。
彼女の視界でげんなりと彼が溜息を零す。
「……ああ、つまりは盾役か」
「理解が早くて助かるよ。それに言っただろう? こういう厄介事に慣れているお前を選んだ、と」
ヨハンはつい先程の台詞を思い出し、ああ、と短く零す。
「一応危険なのは変わらないんだけどなあ。……まあそこはいいや。それで? 依頼主は誰だい?」
「悪いが、それは答えられない」
即答し、断言する。
一切の躊躇いなく告げられたその言葉に、ヨハンの双眸が僅かに開く。
「……即答、だね」
「答えたいのは山々なんだがな。だが私も一応立場と言うものがある。大きな声では言えないが、其処を資金源とさせてもらっているんだ。なので情報を売るわけにはいかない。魔法の研究が出来なくなるからな」
「友人よりも探求心を優先かい?」
「愚問だな。それが私だろう?」
――確かに。
ヨハンは心の中で小さく肯定した。
旧知の友人である彼女は、こういう性格だったと。
「よし、ならこれ以上の詮索を止そう。僕も君と君の資金源との繋がりに亀裂を入れるつもりはないからね」
自分の中で合点がいった彼は、一先ずと話題を中断させた。
実のところ、ヨハンは然程依頼主に興味があるわけではなかった。ただ、隠されているという事実が引っ掛かり問いを投げ掛けた。それだけである。
「ご配慮、感謝する。お詫びに抱かせてやろうか?」
「ご遠慮願うよ。それじゃお詫びにならないしね」
「……む、棘があるな」
「気の所為さ。……さて、二つ目だけど」
ヨハンは話を切り替えるように、いそいそと二本目の指を上げる。
「この現状に対して何でも良い、もう少し情報を聞かせてほしい」
「情報?」
「うん。写真がある、という事は実際に撮った人がいるわけだろう? その人から得た周囲の状況、神造遺物の変化、何でも良い。どんな些細な事でもいいから聞いておきたいんだ」
ヨハンの懸念は尤もだ。未知なる魔具である神造遺物。それが及ぼす影響はまだ計り知れない。
ならば少ない情報でも頭に入れて置いて損はないだろう、そう彼は考えた。
「ふむ……。此方としても何かあれば伝えておきたいところだったんだが、これと言って特筆すべき事柄はないんだ。神造遺物にも変化はなく、周囲にも普段と変わったような事はないらしい」
「……そうか。特異な状況だからね、湖や森に何か影響があってもおかしくないと思ったんだけど……杞憂だったかな」
これと言った危険がないのは大きいメリットだ。迂闊に近付くだけで何かしらの被害を受けるなどの効果があれば、調査どころではない。
と、安堵するも束の間。ふとリアが何かを思い出したように口を開いた。
「あ、そういえば……」
「ん? 何か情報が?」
「いや、情報というには疑問が残る……ううむ」
何時になく歯切れの悪いリア。
ヨハンは珍しいな、と首を傾げつつ次の言葉を促す。
「神造遺物が関わっている。どんな事でも耳に入れておいて損はないと思うけど」
「あ、ああ……そうなんだが……。……いや、そうだな」
リアは口元を拳で覆い、視線を逸らしていたが、ようやく意を決したのか、再びヨハンと視線を交差させ真剣な表情で口を開く。
「そこで写真を撮っていた奴が帰って来た時にな、どうやら変な事を言っていたらしいんだ」
「変な事……?」
「ああ」
その剣幕に圧され、彼も自然に強張った表情に変わる。
生唾が彼の喉仏を通り、飲み込む音が鼓膜を擽った。
「……小さな女の子が、啜り泣くような声が聞こえた、と」
咄嗟に、彼の身体は硬直した。
脳内でもう一度その言葉を反復する。もう一度、もう一度――しかし、幾ら考えても言葉の意味は変わらずで。
先程同様、至って真剣強張った表情のまま、ヨハンは聞き直す。
「もう一度、言ってもらっていいかな?」
「うむ。小さな女の子がな、啜り泣くような声で断末魔を上げていたらしいんだ」
「……」
「しかも何度も聞こえたらしい」
「……」
「何度もだ」
「……そう」
心做し前回の内容より誇張されたのは彼女の悪戯心か。啜り泣くような声の断末魔、が少し気になるも彼は頭に留めておく程度にして、即座に次の問いを進む事を決意した。
「こほん、それじゃ三つ目だけど」
「流すの下手か、お前は」
――話すの下手か、君は。と言いたいヨハンだったが、それこそ話が進まないので断腸の思いで言葉を飲み込む。
そして、微妙に疲れた顔で、徐に写真を指差した。
「これ、何処にあるんだい?」
単純にして根本的な事。受ける受けない以前に、ヨハンはまだ神造遺物がある場所を聞いていなかったのだ。
リアは無言で手をぽん、と叩く。完全に失念していた時の仕草である。
「ああ……そんな話。えーと……」
リアが指先を軽く振る。すると、棚から一枚の地図が勢い良く飛び出て、恰もそこにあったかのように机の上へと綺麗に落ちた。
「はい。此処だよ、此処」
「どれどれ……ああ、なるほど」
彼女が目的の場所をとん、と指で叩くと、ヨハンもつられてその場所を見る。
そして位置する場所を確認した直後、緩い調子で肩を竦めて微笑を浮かべた。
「君が呼ぶわけだね」
彼女の指。それが指し示すのは何を隠そう此処、ルスティアだったのだ。