第1話「薄銀を照らす都にて」
ルスティアは自然に溢れた美しい都である。
王都から遠く離れた大陸の最南端に位置する此処は、隣接する海を除けば一帯が山々に囲まれている。山と海、緑と青。その何方をも取り入れた街並みは、まさに優美の一言に尽きる。
海辺に立ち並ぶ青と白で彩られた建造物は見る者の高揚を掻き立て、山側の丘陵地に点々と並ぶ煉瓦状の家屋は、故郷の安堵感を心に滲ませる。
そして、その二つの狭間に広がる黄金の小麦畑。天然と人工、その両方を兼ね備えた命の息吹は、最早絶景以外の言葉では表せない。
これらを全て見て、感じる事が出来るのだから、《自然都市》と銘打たれるのも納得がいく。
そんな穏やかさを体現したルスティアだが、今日はまた一段と物柔らかな雰囲気を纏っていた。街路を往来する人々も、野放しに生息する動物達も。果てには新緑で色付く葉木までもが柔和さを帯びている。
原因は単純解明。何の変哲もない並木道、そこを鼻歌交じりで歩く一人の青年。彼こそが、この空気感を醸し出す要因であった。
陽気なお兄さん。彼をパッと見て第一印象を表すなら、間違いなくこれだろう。
しかし彼の外見をしっかりと見れば徐々にその印象は変わってくる。比較的物腰柔らかな風貌には間違いないのだが、薄銀髪と真紅の双眸と、普段は見慣れないこの特徴の所為で、何処か浮世離れした独特の雰囲気を感じさせる。
着ている衣服は実に簡素なものだ。上下を単調な黒で染め、その上に何の面白味もない白の外套を羽織っているだけである。装いとしてはその辺りのお店で販売していそうな安物だが、彼と合わさることで高貴な印象すら与える。
だが、決して鼻に付かない。むしろ馴染みやすさが滲み出ている辺り、彼の人柄が伺えた。
「自然に囲まれた良い街だ。これならもう少し早く来て観光するんだったなあ」
青年は情緒豊かなこの街を、その一身で体感していた。
街路樹の合間から零れ落ちる木漏れ日。薄く透けるその光は、空と地を繋ぐ一種の橋だ。彼はそんな情景へ手を差し出すと、惜しいと言わんばかりにそんな言葉を零した。
道行く子供達や動物との戯れも程々に。彼は目的の場所まで進んでいく。
現在青年が歩いているのはルスティアの山側、それも入口に位置するマグニス・ストリートだ。
黄金畑を抜けた直後に広がる大きな一本道。住宅街へと繋がる唯一の道は、実に風情が溢れている。一見同じ景色の連続に見えるのだが、各所に緑で彩られた創作物が散りばめられ、通行人を飽きさせない工夫がなされている。
職人達の丹精が込められた作品に感嘆を声を漏らし、青年は一本道を抜けた。
待ち受けているのは、先程と打って変わって親しみを感じさせる家屋の数々。石畳で整地された道路が綺麗に枝分かれし、それぞれの家へ結び付いている。
実はこの石の道。ある機構が成されている。平面上で捉えれば変哲もない普通の道なのだが、事上空から見ると建築家のセンスが垣間見える。
「たしか紅葉を描いているんだったかな。珍しくリアの奴が勧めてたし、今度見てみよう……と、こっちか」
未だ見ぬ景色への期待を胸の奥底へ秘めつつ、青年は横道の一つを曲がる。すると、開けた風景が一気に狭々としたものへ移り変わった。
彼の視界、その大半が幾つかの家屋で埋まる。そして、それらが不均等に並ぶ姿を様子を見て、青年は僅かに違和感を感じた。
基本的に家を作る際、隣との感覚は均等に建てるものだ。立地の広さやバランス、それと見栄えを考え建築する。
しかし、此処の感覚は明らかに疎らだ。
青年は最初、上空から見る景色の為にわざとこの様な配置にしているのかと思った。
だが、それにしては些か奇妙過ぎる。上からの景色も大切だが、それはあくまで住人が居てこそ成り立つものだ。彼等に配慮しない建築など、どれだけ心を震わす情景を描いても三流である。
「……! ああ、なるほど。そういう事か」
と、そこで青年が何かに気付いた。そして、それと同時に呆れ顔を浮かべる。
しかし下手に怒るわけでもなし。むしろその表情の中には何処か嬉々としたものも伺えた。
青年はそんな表情をしたまま、ゆるり、と掌を前に差し出す。
「消失」
そう青年が呟いた――その刹那。
正常だった彼の視界が、より正常なものへ上書きされた。
ぐにゃりと視界が歪み、目に映る物が置き換わる。あるはずだった家屋は消失し、なかったはずの家屋が出現する。不自然なまでの配置は、整頓されたかのように列居され、正しい位置へと置換された。
結界。対象者が選択した領域に魔術的な効果を付与する空間魔法。大まかな所で国や貨物船といった対象を魔物等の障害から守ることに使われる。
しかしこの場合はそういった大規模な物ではなく、横道に入った者の視界、正確には対象者の景色のみを誤認識させる、という効果を付与していた。
「相変わらず一筋縄じゃいかないね、僕の旧友は」
青年はそんな事をぼやくと、再び歩を進める。
向かう先は出現した家屋の中で、一際異彩を放つ白色の建造物。ほとんどの家屋が煉瓦で造られている中、そこだけは何故か漆喰で出来ていた。
しかし、屋根だけ周囲の家屋と合わせている辺り、土地の所有者に強請られたのだろうか。
「さあて、感動のご対面といこう」
青年は備え付けのベルを鳴らし、居住者との邂逅を待つ。
彼は久し振りの友人との再会で心躍っていた。何から話そうか、何をしようか。そんな事を考えて興奮を膨らませていたのだ。
だから、この時まだ彼は想像していなかった。扉が開かれるのが今からニ十分後の事で、その後出てきた彼女が理不尽な行動を取る事に。