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王子様な彼  作者: のんびりひまわり
3/13

STORY.2 王子と姫の関係

 裏庭に立つ大きな木の下には休息用のベンチが置かれている。

 中休み――これは1、2限の授業が終わったあとの20分間の休憩で、他の高校にはあまりないものらしい――そこはわたしと友人、志筑優花の定位置だ。今日も変わらずわたしたちはそこで特に何もすることなく、のんびりと時を過ごしていた。

 降り注ぐ太陽の光は生い茂る木の葉によって木漏れ日に姿を変える。地面にこぼれる光の粒は、風が吹くたびにゆらゆらと揺れていた。

「誕生日おめでと」

 にこり、と。可愛らしく優花が微笑む。

 綺麗にラッピングされた袋を手渡され、わたしは少し気恥ずかしくなり、照れながらお礼を言った。

「ありがと」

「いーえ。愛しの美緒のためなら何でも」

 ふふ、とこの上なく綺麗に笑う優花は女のわたしから見ても眩しい。一瞬眩暈のしそうになった思考は、優花の次の言葉で現実に引き戻された。

「これでやっと成瀬くんと結婚できるね」

 結婚。

 ごーん、と、何故か頭の中でそんな音がした。

 いきなり何を言い出すのか。

 別の意味で眩暈がしそうになり、わたしは右手で軽く頭を押さえた。

「あのね……わたしが18になるんじゃなく隆太郎が18にならなきゃ意味ないんだって――……ってそうじゃなくて! 隆太郎とはほんと、そんなんじゃないんだってば……」

 これは高校に入ってから何十回、いや、何百回と繰り返した言葉だ。けれど優花はこれをまったく信じてくれず、嘘だー、と繰り返すのだ。いい加減、自分で言葉にしていて悲しくなるというか、むなしくなるというか……。

「嘘だー」

 そして今日も、相変わらず優花の口からはこの言葉が漏れる。

 優花は中学時代、隆太郎と塾が一緒だったらしく、その頃の彼とわたしと一緒にいるときの彼が違うと言うのだ。そんなことは自分では全然分からない。というよりも、優花の目がおかしいんじゃないかと彼女には失礼だけれどそんなことを思う。

「いーい、美緒。ちょっとよく考えてみなさいよ。毎朝、それも放課後も、一緒に2人乗り自転車なんてカップル以外ありえないって!」

「だから、それはわたしの足のせいで……」

「そうだとしても! 何とも思ってない女の子にここまでしてくれる男子はいないよ」

 黙りこくったわたしに、優花はなおも語りかけるように言葉を続けた。

「美緒だってそうでしょ? 成瀬くんじゃなかったら、一緒に登校したり、帰ったりしないでしょ?」

「…………」

 それは、確かに優花の言うとおりだけれど。

 わたしはうつむき加減に優花の問いの答えを探していた。視界に映る木漏れ日が、あの日のこと――隆太郎と初めて出会ったときのことを思い出させた。


 そう、おそらく、隆太郎にとってのわたしは何かと聞かれたら。

 きっとわたしは隆太郎のお姫様だ。

 王子様はもちろん隆太郎。ナイトではなく彼は王子様。


 だってこのことは、隆太郎本人が言ったことだから。柔らかい太陽のような笑顔とともに、まだ幼い隆太郎は、あのいたずらっ子のような瞳をわたしに向けて言ったのだ。


――みおはおれのお姫さまだ。


*   *   *


 4歳のとき、わたしはひどい交通事故にあった。

 青信号の横断歩道を歩いている途中、突然わたしの目の前に黒い影が現れて、母の悲鳴が上がると同時わたしの意識は途切れた。

 ぷつん、と。闇に落とされた意識が浮上したのは事故にあった3日後だった。目の前で涙を流す両親にどうしたの? と声をかけるつもりが、喉から出たものは掠れた吐息だけだった。

 ……よくは覚えていない。4歳の子どもなんて、まだ夢の世界にいるようなものだから。覚えているのはただ痛かったことと、病院にあるスロープに掴まりながら必死に歩く練習をしたこと。そんなぼんやりとした記憶しかない。

 目の前でわたしが車にはねられるのを見た母は、その事故を思い出すのを嫌がった。父は見てこそいなかったものの、半年以上にのぼるわたしの入院生活を見ているせいかやはり母と同じだった。わたしが事故について尋ねても、両親は話したがらなかった。

 だからわたしが分かることといえば自分が事故にあった、ただそれだけだ。たくさんの打ち身に捻挫、一番ひどかったのは左太股の複雑骨折だったそうだ。

 今考えてもどうやったら太股を骨折――しかも複雑骨折なんてできるんだろうと思うが、それほどその事故がひどかったということなんだろう。この話を聞いたあとで、わたしは自分にあやふやな記憶しかないことを感謝した。


 リハビリの結果、5歳になったわたしは何とか杖なしで歩けるようになった。卒園まで残り少ない時間だっだけれど、通っていた幼稚園に戻ったわたしはそこで泣いてばかりいた。

 歩けるようになったといっても、そのときはまだ筋肉もしっかり戻っていなくて、足に負担をかけないようにゆっくりとしか歩くことはできなかった。もちろん走るなんてもっての他で、みんなが鬼ごっこをしたりジャングルジムに登ったりしているのをわたしはいつも教室の窓から見ていた。みんなと同じことができないのが悔しくて、悲しくて、わたしは毎日毎日泣いていた。



「おまえ、なんで走らないの?」

 この言葉が。隆太郎がわたしに向けて発した初めての言葉だった。

 小学校に上がって、わたしは体育の時間を毎回見学していた。今こそは激しい運動はできないにしろ、普通に歩いたり軽く走ったりできる。けれどこのときはまだ走ることはできず、普通に歩くことさえままならなかったのだ。

 足下で木漏れ日がゆらゆらと揺れていた。彼は悪気があって言ったわけではない。そう分かっていても、彼の純粋な疑問はわたしの心を小さく傷つけた。

「う……んとね」

 頭の先に彼の視線をものすごく感じた。グラウンドの方でピイッと笛の音がして、試合が開始されたことを理解した。

「幼稚園のとき交通事故にあって、うまく歩いたり、走ったり、できないの」

「…………」

 無言。そんな状態が幾秒か続いた。

 じゃり、と砂がこすれる音がして、そのあとすぐに隣に気配を感じた。

 顔を上げるとそこには先ほどまで目の前にいたはずの隆太郎の姿があった。彼はつま先で砂を蹴りながら、じっと自分のそこを見つめていた。

「それ、なおらないの?」

 突然の問いに、わたしはぽかんと口を開いた。遠くでまた笛の音がした。横に座る彼を見ながら、この人は戻らなくていいのだろうかと少し考えた。

「え、と……。お医者さんは、がんばって筋肉つければ、ちゃんと歩けるようになるって……走るのも、ちょっとはできるようになるって……言ってた」

 わたしがそう言い終えた途端。

 ぱあっと。顔を上げた隆太郎が花の咲くような笑顔を作った。突然の表情の変化にびっくりしたわたしは、大きく瞬きを繰り返した。

「それ、ほんと? じゃあがんばろうよ。おれも一緒にがんばるよ」

「一緒に?」

「そう。1人でがんばるより2人でがんばるほうがいいってレオくんが言ってた」

 にっこりと。幼き日の隆太郎は無邪気な笑顔を浮かべそう言った。

 そして、その笑顔は突然きょとん、とした表情に変わり、またもや彼の表情が変わったことにわたしが驚いていると、今度は眉を寄せわたしの顔をじいっと見つめてきた。

「……なに?」

 不審に思ってわたしが尋ねると、隆太郎の口からぽつりと言葉が漏れた。

「しらゆきひめ」

「『しらゆきひめ』?」

「おまえ、白雪姫みたいだな」

「……は?」

 白雪姫。その童話はもちろん知っていたけれど、当時のわたしには隆太郎の言っている意味がさっぱり分からなかった。多分、外で遊んでいないせいで同い年の子とは比べものにならないほどの白い肌と、痛んでいない黒い髪が隆太郎にそう見せたのだろう。

「ねーちゃんが本読んだとか言って話してた」

 しかもどうやら聞いただけらしく、ぼんやりとしたイメージしかなかったらしい。

「名前、みお、だよな」

「うん」

「おれ、隆太郎って名前」

「うん」

 何だか自己紹介のようなものをしたあと、隆太郎は笑みを浮かべた。春の太陽のような、心がほっと温かくなる柔らかい笑みだった。

「じゃあ、みおはおれのお姫さまだ」

「……お姫さま?」

「そう。で、おれが王子さま。お姫さまを守るのは王子さまなんだろ?」

「う、うん……?」

 よく分からないけれど、隆太郎が自信満々なようすでいうのでわたしは首を傾げつつも頷いた。


――みおはおれのお姫さまだ。


 今考えればものすごい言葉だと思う。隆太郎のお姫様。隆太郎の言葉を借りるなら、わたしは今でもずっと隆太郎のお姫様だ。

 だってわたしはあれからずっと隆太郎に守ってもらっているから。あの日からずっと、隆太郎はわたしの王子様であり続けているのだ。

 それから、わたしは隆太郎と登下校をともにするようになった。それまで――といってもたったの2週間ほどだったけれど、1人じゃ心配だからという理由でわたしは母に車で送り迎えをしてもらっていた。

 わたしは覚えていないけれど、その日、車で迎えにきていた母にわたしは「りゅーたろと帰るの」、と満面の笑みをこぼしたそうだ。

 隆太郎はのたのたと歩くわたしに文句も言わず、むしろ笑顔でずっと側にいてくれた。途中、疲れてどうしても歩けなくなってしまったときには、わたしを背中におぶって、自分のランドセルを前に抱えてまで家に送ってくれた。

 こうやって今、わたしが普通の人と同じように歩けるようになったのは隆太郎のおかげだ。泣きそうになるわたしを励まして、ずっと手を握ってくれて、どんなにわたしがぐずっても怒ることはなかった。

 中学に上がってからも、隆太郎はいつも側にいてくれた。その頃は一緒に登下校するだけでからかいの対象になったから、隆太郎だって嫌な思いをしたと思う。

 高校もそうだ。同じ学校になって、電車通学をしないといけない状況を救ってくれたのも隆太郎だった。

 朝の満員電車はわたしの足に大きく負担をかける。なるべく混んでいない時間に乗ろうと思っていたけれど、その不安は大きかった。そんなとき自転車通学を隆太郎が提案した。

「後ろ乗ってけばいーよ」

 あまりに軽々しくいうので少し拍子抜けしてしまったくらいだ。

「2人乗り、ばれなきゃ大丈夫だろ」

 ばれる。絶対ばれる。

 そう思ったけれど、隆太郎のことが好きで、大好きでたまらないわたしにその提案は魅力的すぎた。

「わたし重いよ?」

「100キロまでなら許す」

「そんなないってば! もう、ふざけないでよね」

 むっと顔をしかめたわたしに、隆太郎は笑ってわたしの髪をぐしゃぐしゃにしてきた。これは何度言ってもやめてくれない。小学校のときから、隆太郎は隙あらばわたしの髪をぐしゃぐしゃにしてくる。

 両親に隆太郎との自転車通学のことを言ったらあっけなく承諾してくれた。2人乗りは禁止されているし、絶対反対されるだろうなと思ったのはどうやら筋違いだったようだ。まあ、それだけ隆太郎が信頼されているってことなんだろうけれど。



 お姫様を守るのは王子様。

 そんなことを言う隆太郎は相当ロマンチストだと思う。

 実際、隆太郎はかなりのロマンチストだ。きっとそれは隆太郎のお姉さん――ゆりちゃんに影響されているんだろうけれど、本当、ときどき笑ってしまうくらいなのだ。


 わたしは隆太郎のお姫様。

 だから、王子様な隆太郎はわたしをほおっておけないんだと思う。きっとそこに恋愛感情はなくて――。


 お姫様と王子様の関係は、お姫様と王子様であって、そうではないのだ。

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