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常夜姫と夢見の魔法師

作者: 宇宮祐樹


 ◆ ◆ ◆ 


 ぽろろん、ぽろろん。

 触れれば壊れてしまいそうな、オルゴールの旋律が響き渡る。


「きれいな、おと」


 その幻想的な音色に重なるように、小さな呟きが薄い唇から漏れる。かたかたと動く金属に向けられる瞳の色は、薄い紫。まるで繭のように体に纏わりつく長い白髪は、銀糸のように星の明かりを浴びて輝いていた。

 まだ幼さが残るその体を薄布一枚で包み、少女はベッドの上を転がる。衣擦れの音がして、細い脚が白いシーツの上を踊る。そうして彼女はオルゴールから目を放し、ベッドの傍の椅子の上に座る彼へと顔を向けた。


「遠方から取り寄せたものだ。僅かな眠気を誘発させる効果があるらしいが……」


 男の少し困ったような声に、少女は寝転がったままぷくー、と顔を膨らませる。その調子に彼はいつも通りに軽くため息を流し、黒の眼を伏せながらやれやれと首を横に振った。


「……やはり、眠れんか」

「こんな音で眠れたら、貴方を呼ぶ必要がありません」


 本当はそれ以上の意味もあるのだが、とりあえず少女はそれだけ言っておくことにした。


「ソーン」

「なんですか、アレイヴ」


 鈴のような転がる声と、重たく呟かれる鉛色の声。紫の瞳と黒の瞳とが交錯し、互いの名を呼んだ。


「そろそろ眠れ。明日もまた早い」

「嫌です。まだあなたと二人っきりのお話しがしたいのに」

「……そうか」


 意味深な笑みを浮かべて、ソーンはくすりと笑う。月の影で浮かぶその微笑みに、アレイヴは少しだけ見とれながら困ったように頭に手を当てた。


「それに、あなたなら私を無理やり眠らせられるでしょう?」

「それは……そう、なのだろうな」

「……ふふ。アレイヴ、こっちに来てくれますか?」


 ベッドから伸びる少女の腕に、やつれた男が身を寄せる。月光を背に浴びながら、アレイヴはベッドの端に座り、彼女の細い指へと自らの手を重ねた。ぎし、とベッドのきしむ音がして、オルゴールの旋律を揺らす。


「ソーン、すまない。俺は、君を……」

「なぜ謝るのです? あなたは悪くない。そもそも悪い人なんていないのに」


 ゆっくりと小さな体が起き上がる。アレイヴの首の後ろから回される腕には、ぽぅ、と小さな魔法の明かりが灯っていた。淡く光るその橙色の灯は、沈んだアレイヴの顔を薄く照らす。

 魔力はその人間の意識を覚醒させる。その魔力を発現させ、眠る潜在意識を覚醒させる――つまり、魔力を込めることによって、人々はこの世ならざる『魔法』を現象させることができるのだ。

 

「ほら、そんな顔をしないでください。あなたともっと、お話がしたいのに」

「ソーン……」

「それに、寝る前にお話をするとよく眠れると聞きました。まだまだ語り明かしましょう」


 アレイヴの大きな背中に、小さなソーンの身体が重なる。そうしてアレイヴの肩へ乗せられたソーンの顔は、既に日をまたいでいるというのに、一切の眠気というものを見せていなかった。


 ソーンの身体を流れる魔力は、かなり特殊だった。巡る魔力の濃度は常人のそれを軽く越え、普段ならば魔方陣などを介して現象させる魔法を、ソーンは思うだけで使うことができる。つまりソーンの魔力は常に込められおり、それによってソーンの意識は常に覚醒状態にあった。

 内に流れる魔力によって眠る事は許されず、一日じゅう意識は覚めたまま。夜になっても眠くはならず、夢を見ることすらもできずに朝を迎えてしまう。

 

 夜に包まれたまま、朝を迎えられない姫――人は彼女を、常夜姫と呼んだ。


 彼女の夜は永遠に明けることはない。常に彼女の周りは暗闇が支配し、光が手を差し伸べることもなかった。永久にとらわれた深淵の牢獄で、ソーンは一人目を覚まし続ける。常夜の姫は、恒久の暗黒と共に眠り続ける。

 そんな彼女を眠らせられる唯一の魔法師が、アレイヴという男だった。


「アレイヴは今日は何をしていたのですか?」

「魔導書の解析と、剣の訓練。それと……ソーンの魔力について、いろいろ調べていた」

「また、いつもと同じ。そんなの面白くありません」

「そう言われても……これが俺の仕事だからな」


 国内でも随一の魔法の腕を持つ彼は、彼女の意識を強制的に眠らせることができる。幼いころから彼女の傍に仕え、彼女を眠らせるために研鑽を積んだ彼の腕は、既に世界でも数えられるほどの域にまで達していた。

 自らの手のひらへと視線を落とし、アレイヴが目を伏せる。ぼさぼさの黒髪をかき上げながら、アレイヴはソーンの手を優しく払いのけ、振り向いたまま口を開いた。


「ソーン、そろそろ眠ろう。明日も早い」

「む、嫌です。まだ私のお話が終わっていないのですよ?」


 悪戯めいた笑みを浮かべながら、ソーンはぽす、とベッドへ体を投げる。オルゴールの音は止み、窓から差し込む星月の輝きがソーンの白髪を照らした。

 オルゴールのネジをきりきりと回しながら、ソーンはぽつりと語りだす。


「今日は本を読んだのです。とっても幼稚で、子供が読むような本でしたけど」

「……それは、どんな?」

「まったく、反吐が出るような内容でした。見ててこっちの腹が立ってくるような」


 肘をついて、ソーンは手の内の金の箱を窓際へと置いた。再び幻想的な優しい旋律が奏でられ、ソーンの耳をあたたかな音楽が包み込む。しかし彼女の顔は不満らしく、足をぱたぱたとばたつかせながら、ソーンは続けた。


「ずっと眠ったままのお姫様が、王子様のキスで起きる話でした。変じゃないですか? 私は寝たくても寝られないっていうのに、そのお姫様はずっと眠りっぱなしなんて!」

「それもそれで不満だと思うが……まあ、どちらも同じじゃないのか?」

「同じなはずがありません! もっとも大事なことが違いますっ!」


 急に甲高い声で叫んだソーンに、アレイヴがびくりと体を震わせる。するとソーンはそのまま力を失ったように、ぱたりと仰向けになって小さく呟いた。


「……だから」

「だから?」

「今日の夢は、それがいいです。私にとっての王子様が現れる、そんな素敵な夢を見たいです」


 ソーンの言葉に、アレイヴの手元が青色の光を放つ。無数の紋章と分裂が小さな円の形を成し、展開された魔方陣をアレイヴは仰向けになったソーンの額へと近づける。

 常夜の姫を眠らせ、素敵な夢を届ける魔法師。いつしか夢見の魔法師と呼ばれた彼は、小さく呪文を唱えて魔方陣を解き放つ。

 すぅ、と魔方陣が宙に溶けていく。それと同時に、ソーンをゆっくりとした眠気が襲った。


「アレイヴ」

「なんだ」

「手、繋いでください」


 差し出された白い指に、骨のついた指が絡む。ソーンの暖かな温もりに包まれたアレイヴは、不思議そうな顔で彼女の顔を見つめていた。

 まどろみがソーンの意識を埋め尽くす。だんだんと眠りに落ちていく気持ちよさを感じながら、ソーンはその口を開く。


「私、王子様に会いたいです。あの物語のように私にキスをして、そしてこの夢から覚ましてくれるような、そんな素敵なひとに」

「……物語の中の世界だ。現実はそんなに甘くない」

「分かっていますとも。けれど、私はもうその人に会っているのかもしれません」


 ソーンの意味あり気な言葉に、アレイヴが眉を顰める。そんな彼をからかうように、ソーンはにっこりと笑いながら、アレイヴへと薄い桃色の唇を動かした。


「アレイヴ、あなたが私の王子様です」

「違う」

「違うはずがありません。あなたは私を、覚めない夢から覚まさせてくれた。私を永久に続く暗黒から救ってくれた、一筋の光ではありませんか」


 アレイヴの言葉を遮った眠たげな瞳は、まっすぐと黒い双眸を見据える。とろんとしたその瞳にはどこか意志が宿っているようにも思えて、アレイヴはたまらず重たいため息を吐いた。

 ソーンの笑う声が聞こえる。オルゴールの柔らかい音が、それをかき消した。


「次に目覚めるときは、王子様の――あなたの、口づけで目覚めたいのです」

「……それは、我儘ではないのか?」

「あら、私は常夜の姫ですよ? お姫様なら、ワガママを言わなくっちゃ」


 気取って語るソーンに、アレイヴが頭を抱える。そんなアレイヴを見てソーンは悪戯めいた笑みを浮かべながら、ゆっくりと瞼を閉じた。重たく鈍い眠気が彼女を支配する。

 ひとときの静寂が、ソーンとアレイヴの間に訪れる。オルゴールの鳴る音は、どこか遠くのもののように思えた。


「ああ、もう眠ってしまいます……まだ話していたいのに、もう……」

「無理をすることはない。また明日も、明後日も……いつまでも、君と話をしよう」

「それは嬉しい……です……それでは、今夜はここまで……」


 漆黒に落ちていき、常夜の下で眠る姫は告げる。


「おやすみなさい、夢見の魔法師さま……」 


 それを最後にソーンの意識は暗闇へと落ちていく。あとに聞こえるのはオルゴールの鳴る音と一定の感覚で鳴る彼女の寝息だけで、アレイヴはゆっくりとベッドから立ち上がった。

 ぎしり、とベッドがきしむ。月明りに照らされた常夜姫の白髪は、静かに輝きを放っていた。暗闇で輝くその光の繭の中で、ソーンはひとり幸せそうな表情を浮かべて眠っている。


 静かに眠ったまま、王子様の口づけを待つ常夜の姫に夢見の魔法師は言い放った。


「おやすみ、常夜の姫。良い夢を――」


 かちり。

 オルゴールの音が、ぴたりと止んだ。


 ◆ ◆ ◆


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