夏祭り 《其の二》
30分も並びゲットしたかき氷は安っぽいプラスチック容器に盛られ、どぎつい赤いイチゴのシロップと目の覚めるような緑色のメロンシロップが掛けてあり、それ程美味しそうには見えない。……氷が溶けてしまえば唯のシロップジュースなだけなのに無性に食べたくなるのは何故だろうと不思議に思いながら、首を長くして待っているだろう柚乃に少しでも早く届けようと、浴衣の裾を気にしながら急いだ。
……あっ、居た……ん?
声をかけようとしたが誰かと話している様子で、その相手は丁度木に隠れて見えない。
普通に声をかけても問題ないのだろうが何となく智花は歩みを緩めそっと近付き回り込んで覗いた。
リンゴ飴を片手に楽しそうに話している相手を見て驚く。
……あれ?さっき反対方向に歩いて行ったよね…何でここで話しているの?
柚乃が楽しそうに話している相手は樹生だったが、智花はさっき会ったばかりの奏多と勘違いした。
少し考えれば柚乃が笑いながら弟の奏多と話す筈がないと分かるものだが、この時智花は弟の方としか思えなかった。
「あっ、ちーちゃん!……何そんな所で覗いているの?……かき氷は?」
「あ、ああ…ごめん。時間かかっちゃった」
慌ててかき氷を手渡した。
「こんにちは」
「こんにちは…って、さっき会ったじゃないですか」
「えっ?」
樹生はリンゴ飴を舐めるのをやめ目を丸くしている。
その表情で自分が勘違いをしたと気付き智花はバツの悪い顔をした。
「…あ…ああ…お兄さんの方か」
「はい…兄の樹生です」
間違えられて気分を害した素振りも見せずゆったりとした笑顔を見せる。
「ごめんなさい。少し前に弟さんの方と会って…間違えました。すみません」
「ははは…別にいいよ。よくある事だから」
そう言って樹生は2本目のリンゴ飴を舐め終わると、またリンゴが付いたままゴミ箱に捨ててしまう。
「あっ…」
ゴミ箱の棒に刺さったリンゴに視線を落とす智花を見て樹生は、自分は食べない派なんだとニヤッとした。
そして智花は食べる派か食べない派か聞かれたが、そもそもリンゴ飴など食べた事がないと答えた。
樹生は信じられないと驚き、憐れむ様な表情をして智花の頭の上に手を乗せ軽く撫でた。
「……可哀想に…」
…………えっ?…何?……どう言う意味?
リンゴ飴ひとつ買えない家の子だと思っている?…いやいや違うし、食べたいと思った事ないだけだから…
「この美味しさを知らないなんて…人生損しているよ」
…………損って…
リンゴ飴がどれだけ好きなんだよ突っ込みを入れたくなるが、何だか子供みたいな人だと智花は苦笑した。
「……そういえば…弟さんが探してましたよ」
樹生はヤバイ!といった表情をしてソワソワし出す。
「怒ってた?」
「うう〜ん…まあ…そうも見えたけど…」
智花は弟の奏多に機嫌のいい日など有るのだろうかと首をかしげるところだが、知らないだけで日がな一日中あんな態度では無いだろうと自分を納得させた。
「黙って来ちゃったからなぁ…」
樹生は舌をチロリと出すと頭を掻き帰ると言い、手にしていた袋からリンゴ飴を一本取り出しポケットに突っ込むと残りを智花に押しつけ走り去った。
弟が怖いのだろうか?と思いながら、押しつけやれた袋を顔の高さまで持ち上げると中身を見て顰め面をした。
…………これ全部ひとりで食べるつもりだったのかなぁ…どんだけ好きなのよ。…って言うか、買っといて何で私に渡すの?
……10歳も年上だがなんて子供っぽい人なんだろうと思いながら、捨てるわけにもいかないリンゴ飴を仕方なく自分の巾着袋に仕舞い、溶け始めたかき氷を急いでかきこんだ。そして…お決まりの現象…頭がツーンと一瞬縮む様な感覚を味わい、食べ終わると柚乃と二人で祭り会場を見て回った。
ひと通り見て回ると小腹が空いてきたので、声を掛けてきたおじさんの所で焼きそばを買うことにして中央広場に向かったが、その途中ちょっとした事件が起きた。
凛花たちに出くわしてしまったのだ。
凛花はあからさまに嫌な顔をして敵意のこもった視線で柚乃を見つめ、一緒にいた愛理や美咲はまたバトルが始まるのではないかと気が気でなく、出来ることならこの場を逃げ出したいといった様子で対峙する二人を見つめていた。
柚乃は顔など見たくもない相手に二度も出くわし、折角の夏祭りなのにと…神の悪戯を恨めしく思い、相手にしない方が得だとばかり何も言わずスルーして立ち去ろうとした。
智花は二人の間に流れる険悪な空気に戸惑いながら、何か声を掛けなくても良いのか迷っていた。
「…帰るの?ああ、チグハグな格好が恥ずかしくなって着替えに行くのね」
凛花は意地の悪い笑みを浮かべて言った。それに対し柚乃はチラリと冷たい視線を送ったが、答えるのも面倒臭さそうにして歩き出した。
「柚乃ちゃんが人から笑われない様に言ってあげてるのに無視するんだ」
「柚乃の為?」
柚乃は低い笑い声をあげると凛花に近寄り、意地悪にしか聞こえないと言った。
「そんなにこのサンダルが羨ましかったの?でも、貸してあげた時全然似合ってなかったよ。ウエッジソールより踵の低い今履いているサンダルの方がずっと凛花ちゃんにはお似合いだよ」
顎を引き上げ完全に見下す態度をとり薄っすら笑った。
凛花はみるみる顔を紅潮させ、怒りで震えだすと柚乃の両肩を思いっ切り押した。
「柚乃!」
尻もちをついた柚乃に冷たく軽蔑の眼差しを向けられると、悔しそうに後退りし絶好だと叫び逃げ出した。愛理と美咲は顔を引きつらせながら後を追った。
「何なのあの子」
智花は尻もちをついている柚乃に手を差し伸べ怒って言った。
「……柚乃に…嫉妬しているんじゃないかって……樹生が言っていた」
「嫉妬?……何で?」
「それは……いい…嫌い。いつも柚乃を傷付けるから」
柚乃は立ち上がりながら〝最悪″と呟き、人の波で見えなくなった凛花の走り去った方角を見つめる。その瞳は氷の様に冷ややかに光っていた。
◆◆◆◆◆
バスに揺られながら流れる景色をボォ〜と眺めながらさっきまで一緒だった母親を思い出していた。
夏祭りの次の日、久しぶりに母親の聖子と会い一緒に食事をし、離婚についての進捗状況を聞かされた。
簡単に言えば大して進んでいない様で眉間に皺を寄せ疲れている様子で、そんな母親が不憫で少しでも気持ちを軽くしようと、笑える話やくだらない話を少し盛りながら聞かせ笑顔を引き出してはみるが、しかし深く刻まれた眉間の縦ジワは消える事はなかった。
別れる祭、聖子は溜息と共にか細い声で智花に謝った。
「…謝んないでよ。悪い事してるわけじゃないし、其れともやっぱり家に帰ろうか?心配だし…」
その言葉に小さく首を横に振り聖子は大丈夫だと言い智花の両肩に手を置き優しく摩った。
「ありがとう。でもね…今更だけどこれ以上見せたくないのよ」
智花は頷くしかなかった。
確かに今更なのだが、そう言うのには母親の深い考えがあるのだろうと納得するしかないのだった。
…………夏休みの間に決着がつくのだろうか?
溜息が自然と出でしまいガラス窓に映る自分の顔が世の中の不幸を全部背負っているみたいに見えて不快感が湧いて視線を前に向けた。
揺れるバスに身を委ねながら他の事を考えようと努める。
浴衣を着た智花と同じくらいの少女達が楽しそうに話している姿が目に入った。…夏祭り2日目の最終日はビンゴ大会があると柚乃が言っていた事を思い出した。
「……旅行券とか、高級牛肉、お米、商店街の商品券とか……柚乃は興味ないからいつも参加しないけどね」
意外と豪華だと言うと、柚乃は渋い表情をしてそんなのはほんの一部で、後は日用品、花火のセットやお菓子の詰め合わせ、百均でも購入できる便利グッズなんかが殆どなんだと言った。
「天と地の違いだね」
「でしょ」
参加人数分景品が用意されているわけではないので、何も貰えない人の方が多いと、いかに興味が唆られないか、くだらなそうに笑っていた。
そんな柚乃に今日の予定を聞くと成沢樹生のところに行くと当たり前のように答えられ、智花は、またか…と急接近していく二人にほんの少し嫉妬のような感情が湧いてくるのを抑え笑顔を作った。そして余り遅くならない様にと言った。頷くその表情は明るく楽しそうで鼻歌でも聞こえてきそうな様子だった。
……もう帰っているだろうか?…17時を少し回っている。
バスが公園前で止まった。
浴衣姿の少女達は勿論、乗客の殆どが降りてしまうと背中を丸めた老女と智花だけになり静かな車内にドアが閉まる音が響き発車した。
窓から見える公園では昨日より盛況のようで、人、人で溢れかえっている。
ふっと…母親の後ろ姿を思い出した。
……誰も居ない部屋に帰り一人で夕飯を食べるのだろうか…それとも父と二人だろうか?……どちらにしても寂しい食卓に違いないだろうと智花の心がチクチクと痛んだ。
◆◆◆◆◆
夕食の準備をしながら智花は何度も時計に目をやっていた。
もう18時を回っているのに柚乃が帰って来ないのだ。
こんな事は初めてで成沢樹生と楽しく過ごしても16時にはいつも戻っていた。少しでも遅くなる時は必ず電話なりメールなり寄越すのだったが今日は何も連絡がない。
時間を気にしたり、玄関を出て柚乃の姿がないか見に行ったりと、落ち着かない気持ちで待っているので料理が一向に捗らないでいた。
……イタッ!
包丁で指を切ってしまいじんわりと滲んでくる血を口で止血すると不安が大きくなっていくのを感じ、ポケットのスマホを取り出し柚乃に電話を掛けてみる。しかし、電源が切れているのか通じず、そんな事も初めてで不安は更に大きく膨らみ智花はサンダルを引っかけ外へ飛び出した。
◆◆◆◆◆
「はい」
玄関ドアが開き無愛想な声と共に成沢奏多が顔を出した。
「あの、柚乃まだお邪魔してますよね」
「は?…ああ…もう帰ったみたいだけど」
落ち着かない智花を冷めた目で見つめ返しそう言うとドアを閉めようとしたが、それを智花が阻止し強引に玄関内に身体を押し入れた。
「おい!」
「ごめんなさい。でも…まだ帰って来てないんです。えっと…奏多さんですよね。きっとまだ樹生さんと一緒だと思うんです」
「だから…帰ったよ」
「でも、まだ……あの…すみません失礼します」
「お前、なに勝手に上がってんだ!待てって!」
智花は廊下奥の部屋へ向かった。
余りにも強引すぎる行動ではあっが、連絡が取れない事にひたひたと忍び寄る様な不安が膨れ上がり、どうか樹生と一緒で居てくれと…ドアを開け血相を変えた自分を見て柚乃が可笑しそうに笑って迎えてくれと其れだけを願った。
「柚乃!」
でも…ドアを開けた先の部屋は薄暗く誰も居なかった。
冷んやりとした部屋にはエアコンの音なのか、それとも室外機の音が聞こえるのかグォ〜ンと低く鳴って、そしてむせ返るような絵の具独特の匂いが招かざる客を追い返そうとしている様に漂っていた。
「だからもう帰ったって言っただろ」
智花が振り返ると壁に寄りかかり腕組みをした奏多が冷ややかな表情をして立っていた。
「連絡もしないでどこに行ったんだろ…」
「夏祭り……探して見たら?」
抑揚のない声がかえって不安を募らせた。
◆◆◆◆◆
祭り囃子が景気よく鳴り響き、屋台からは客の関心を引こうと声を張り上げ呼び込みをしている。
頭上には連なった町内会の提灯に明かりがつき暗くなり始めた会場を照らし出していた。
360度何処を見ても人で溢れかえっている。
この中から探し出せるのだろうか?…そもそも祭り会場に来ているのかも分からない。しかし可能性のある場所を探してみるしかなかった。
ユックリとした人の動きに苛立つ智花…思う様に動けず、ただ同じ場所をグルグルと歩いている感覚に堕ち不安だけが大きく成っていく……
少し大袈裟に考え過ぎなのだろうか?…もしかしたら家に戻っているかも知れない。試しにスマホに電話をしてみるが、出ない…電源が切れているのか、出られない状況なのか…出られない状況って…なに?……ロクでも無い想像だけが頭に浮かぶ……其れを頭の中で否定する。じゃないと現実に成りそうで智花は怖かった。
「おや、今日は1人?」
声を掛けてきたのは昨日焼そばの屋台で紹介された遠藤さんだった。
手にはビールを持ちほんのりと顔を赤くして既にアルコールが若干回っている様で機嫌が良さそうだ。
「おじさん、柚乃見なかった?」
「なんだ、はぐれちゃったのかい?」
「そうじゃないんだけど…」
智花は遊びに出掛けてまだ帰って来ないので迎えに来たと簡単に説明した。確証の無い、ただの胸騒ぎで大ごとになる事は避けたかったのだ。
遠藤は祭り会場では見かけていないが、成沢宅の門を出て行く姿を車で通った際見かけたと言う。しかし足の向かった先は家とは逆でショッピングモールの方へ歩いて行ったと教えてくれた。
「何時ごろ?」
「そうだねぇ…家に忘れ物を取りに行った時だから……16時は回っていたと思うが、正確な時間までは…」
「1人だった?」
「1人だったよ」
奏多が言っていた通りだった……柚乃は成沢宅をいつも通りに後にしている。ただ…向かった先が自宅ではなかった。
……何か買う物でもあっのか。
「…大丈夫かい?」
深刻そうな智花を遠藤が心配して顔を覗き込んできた。智花は引き攣った笑顔で礼を言うと踵を返し公園出口へ向かった。
公園から出ると地面を蹴り走り出した。
サンダルを履いて来たことを後悔する。スピードが出ない……急いでいたとは言え何故スニーカーを履いて来なかったのだろうと間抜けな自分を残念に思い走りながら舌打ちをしたのだった。
道路の向こう側に渡ろうと左右を確認していると後ろから声を掛けられ振り向くと奏多が智花の元へ走って来た。驚きと急いでいるのにと内心イラつきながら智花は待った。
ずっと走って来たのか薄っすらと額に汗が滲んでいる。
「…16時頃…家を出たそうだ。この後何処かに行くとは聞いてないって言ってた」
「其れをワザワザ教えに来てくれたの?」
意外だった…自分や樹生の他は気に止める人物ではないと思っていたので智花は面食らったみたいに奏多を見つめた。
…………ああ…そうじゃない。
あの時…ぶつかって、靴の踵が取れ見かねて新しいのを……この人は決して冷たい人でも他人に無関心な訳じゃない。……ただ不器用なだけなのかもしれない。
「じゃ…それだけ言いに来ただけだ」
智花は立ち去ろうとする腕を掴み引き止めると奏多は訝しげな表情をした。
「ついでに一緒に探して……貰えると助かる。あっ、助かります」
智花はどんな顔をされるか、どんな言葉が返されるのか不安に思いながら引き止めた手に力を入れた。
「成沢さんの家を出てショッピングモールの方へ歩いている柚乃を見かけた人がいて…今から行ってみるんですけど、1人より2人の方が見つけやすいかなって……」
奏多はフッと息を吐き少し困ったような表情をした。
「成る程ね……所で母親には電話してみた?…そっちに連絡してる可能性も無くはないよな…」
智花はスッカリ麻子に連絡入れるのを忘れていた事に気付き慌てて電話をした。
3回のコールでのんびりとした声が帰ってきた時、何となく柚乃から連絡は入って無いように感じ聞いてみたが、やはりそんな電話もメールも受け取ってないと、今度は不安そうな声で返してきた。
智花は、柚乃がまだ帰ってない事、連絡もなく、電話を掛けても出ない事を告げ近所を捜している所だと説明した。
麻子は酷く驚いて急いで帰ると早口で言い電話が切れた。
「……連絡無いって…急いで戻るからって……」
日の長い季節とはいえ19:00も過ぎるとだいぶ周りは暗く、智花の心と表情を不安にさせていく。
奏多はその姿を見てキュッと唇に力を入れるとスタスタと歩き出した。しかし其れは自宅の方角ではなくショッピングモールへ向かっていた。
「…おい、捜しに行かないのか?」
スマホを片手に立ち尽くしている智花に向かって振り返りぶっきら棒に言った。
「えっ、一緒に探してくれるの?」
「仕方ないだろ…全く関係なくないしな……行くぞ」
さっき一緒に探して欲しいと頼んでおきながら本当に同意してくれるとは思わなかった智花は、驚きながらほんの少し不安が解消されるのを感じ、ぎこちなく表情を緩め頷き2人でショッピングモールへと急いだ。
◆◆◆◆◆
柚乃は膝を抱え丸くなっていた。
窓もなくカビ臭い何個か大きなダンボールが無造作に置かれただけの暗い部屋…その隅でジッと扉を凝視しながら考えていた。
どうしてこんな事になってしまったんだろう?
ほんのちょっと話したのが間違いだった…興味を持ってしまったのがいけなかった……でもまさかこんな風に閉じ込められるとは思わなかったのだ。
扉に鍵は付いてない……ここはいわゆるウォークインクローゼットでそんな物付けるような部屋ではないのだ。
この部屋に押し込められ直ぐに開けようとしたが、如何やら向こう側から扉を開けられないように細工をしているのか少し隙間ができただけで、どんなに力を入れて開けようとしても無駄だった。
どれくらい時間が経ったのか……きっと母の麻子や智花が心配しているはず…連絡をしたいがスマホは取り上げられてしまっていて如何しようもなかった。
大騒ぎになって警察なんかに捜索願い出しているだろうか?そんな大ごとになっているのは嫌だな……なんて自分の置かれている現状を深刻に考えながらも、戻った後周りに騒がれるのがウザったいと思っていた。無事に帰れる保証などないのに……柚乃は抱えた膝に顔を伏せた。
ガタガタと物を動かす音が扉の向こうから聞こえ、柚乃は緊張した目付きで其方に視線を向ける。
軋んだ音を立てて暗い部屋に縦長の光が射し込む…ヒョロリとした男のシルエットが浮かび上がった。
その姿は逃げ道を塞ぐ高い壁の様に見え柚乃は身体にギュッと力を入れた。自分はどうなってしまうのか、一生ここに監禁され朽ち果てるのか…其れとも殺されてしまうのか……
助けて……
掠れた声にならない声をあげた。
◆◆◆◆◆
二手に分かれショッピングモールを捜し回った。
従業員にスマホの写真を見せ聞いても誰も首を横に振り見かけたと言う者はいなかった。収穫が無いのは奏多も同じで険しい表情を見せていた。
時間だけが容赦なく過ぎてゆき不安と焦りが最悪の事態を想像させ、それを打ち消しては泣きたく成るのを我慢する。
握りしめたスマホが鳴り、慌てて出ると麻子からショッピングモールに到着したという電話で、インフォメーションカウンターで落ち合うことにし奏多と一緒に向かった。
麻子の姿を見つけると、なんの情報もなく時間だけが過ぎ不安で仕方なかった智花は少しホッとして声をかけ駆け寄った。そしてまるで合流するのを待っていたかの様にスマホが鳴り、麻子が画面を確認すると大きく目を見開いて急いで出た。
「柚乃!何処にいるの?」
◆◆◆◆◆
柚乃はショッピングモールとは全く反対方向の空き地に居た。
昔は小さな公園だった場所だが遊具も撤去され、其処だけ湿度の高い小さなジャングルの様で、じっとりと不快感を思わせる今では誰も寄り付かない薄気味悪い空き地だ。
3人でタクシーに乗り込み空き地に着くと、柚乃は入り口にたった一つだけある街灯の下で蹲っていた。
麻子が掠れた声で名前を呼び不安で震えている娘を抱きしめた。柚乃の白く強張った顔は温かい腕に包まれ息を吹き返す様に安堵の色が浮かび上がりそして顔をうずめた。
見る限り怪我などしている様子もなくホッとする智花……しかし何故連絡も出来ない状態が続き、1人こんな寂しい場所にいる羽目になったのか?……電話では何も詳しい事は聞けなかった。聞こうとしたが切れてしまったのだ。掛け直したがバッテリーが切れたのだろう通じる事なくこの場所に到着したのだ。
智花は辺りを見回した。どうやら此処は一丁目の外れにある緩やかな坂の下りきった場所で、まるで其処だけ別の次元から切り取って来たみたいな違和感か漂っていた。建ち並ぶ民家からそう離れているわけでもないが、その静けさと奥に広がる暗闇に引きずり込まれたら二度と戻れない……そんな恐怖を感じさせる場所だった。
智花は汗ばんだ身体が冷たい風に晒されたみたいに寒気を覚え小さく震える。
一体柚乃は此処にどれ位1人で居たのだろう。自分たちがタクシーを拾い到着するまで10分もかからなかったと思うが、ぼんやりとした明かりの下、例え1分でもジッとしているのは怖かったに違いない。
奥に広がる闇にのみ込まれそうな感じがしてまた身体を震わせた。
……私ってこんなに臆病だったかな?…でも此処は嫌だ。
「……麻ちゃん、家に帰ろう。柚乃も疲れているだろうし」
麻子は頷き柚乃をゆっくりと立たせ待たせていたタクシーに乗り込もうとした。その時後部座席のドアの前に静かに佇む奏多に気付くと柚乃は驚いた様に目を見張りそして目を伏せた。その様子を見た智花は一緒に探してくれたのだと言ったが柚乃は頷いただけで言葉は無かった。奏多も口を開くことなくやや目を細め見つめているだけだった。
柚乃を真ん中にし智花も乗り奏多は助手席に腰を落ち着かせると、不気味な空間を遮断する様にドアが閉められタクシーは発車した。
◆◆◆◆◆
男はさっきまで柚乃が座っていたクローゼットの隅に腰を下ろし同じ様に蹲った。
短く息を吐く……そして大きく息を吸うと顔をあげゆっくりと長く吐いた。
闇の中で白目の中に浮かぶ瞳が鈍く狂った光を放ちブツブツと言葉を繰り返し始めた。
「ヤレル…ヤレル…ヤレル……カクジツニ…ジッコウスル…ヤレル……ヤル……」
男は重い荷物でも背負っているみたいに立ち上がると疲れた様な足取りでクローゼットから明かりのついた部屋へ戻っていった。
◆◆◆◆◆
疲れきった柚乃はタクシーに乗り込むと安心した様に母親の麻子にもたれかかり目を閉じた。
麻子はその身体に腕をまわし愛おしそうにそして安堵の表情をしていた。
タクシーが自宅の前に停車すると眠りかけた柚乃を起こし麻子は一緒に捜索してくれた奏多に深く頭を下げ礼を言ったが、奏多は人に感謝されることに慣れていないみたいに少し戸惑いを見せ〝いえ…″と言っただけで明るく光る街灯の下自分の家に向かって歩き出した。
「近所だけど言葉交わしたの初めてだわ……間近で見たのもだけど…イケメンよね」
奏多の容姿に対して感嘆したのか、それとも無事に戻ってこれた事に安心したのか麻子はふぅ〜っと息をもらした。
「さあ、中に入りましょう…ちーちゃんも疲れたでしょ……柚乃はこのまま寝かしつけるから」
「うん…………麻ちゃん先入ってて」
麻子は突然走り出した智花に驚き名前を呼んだがその足を止める事なく奏多の後ろ姿に向かって行くのを見送り首を傾げた。
◆◆◆◆◆
「成沢さん!」
奏多はその声に立ち止まり走ってくる智花の姿を見て何処か迷惑そうな表情をした。
「何?」
「あの……一緒に探してくれてありがとうございます」
少し息を切らしながら礼を言う智花に眉を寄せた。
「さっき礼は言われたけど…」
「そうだけど、私からも…って思って」
「そう…」
奏多は冷めた表情で言うと家に向かって歩き出したが、また引き止められ溜息を吐くと振り返った。
「まだ何か言いたい事でも?」
「えーと……あの…」
智花は何故引き止めたのか分からなかった……他に何か言いたい事や聞きたい事がある様な気もするのだが、其れがなんなのか……喉に異物が引っ掛かっているみたいで言葉が上手く出てこなかった。…唇を噛む。
ほんの少しの緊張感が漂う……智花の言葉を待っているのか奏多も黙ったままだったが、緩い風が二人の間を通り抜けると解放された様な声が聞こえた。
「……静かだ……夏祭りが終わっている」
スッと首を伸ばし耳をすますというより何か夏の香りを感じている様なそんな仕草をして言った。
智花はその姿を見て自分の身体の中で訳のわからない音がした様に感じ聞かれたのではないかと狼狽え、其れを悟られない為にか同じ様にスッと首を伸ばし耳を澄ました。
「うん…音がしない……終わったんだ」
昨日から続いた賑やかな声や祭りの音楽、人の熱気みたいなものはスッカリ消え去り、いつもの静かな夜を取り戻していた。
奏多は横にいる智花にチラリと目をやる。そして片方の口角をわずかに引き上げ物言いたげな色を顔に浮かべるが小さく息を吐き智花に背を向けると歩き出した。
「本当にありがとう」
その言葉に首を向けた横顔が何やら難しそうな苦しそうな顔に見えた。
「あの子……」
「……」
「いや、何でない」
何を言いかけたのか…智花は気になり口を開きかけたがその途端それを拒むみたいに歩き出してしまった。追いかけて聞くのも躊躇われただ後ろ姿を見送る。
もし追いかけその顔を見ていたら何か言えただろうか…きっとそうした事を後悔し何も言えなかっただろう。
奏多は出口の見えない暗いトンネルを進んでいる様な不安と恐怖が美しい顔を歪め、瞳は濁った光を湛え見た者を引きずり込んでしまう様な表情をしていたのだ。
智花は奏多の先に点々と街灯が浮かび申し訳程度に照らす静かな公園を見つめ侘しさを感じた。あの賑やかな祭りが終わると誰にも見向きもされない見捨てられた寂しさを感じていたのだ。……あの空き地を思い出す。
1人でいるのが怖くなり足早に家に向かった。
◆◆◆◆◆
ドアを開けるとキャンバスの前に樹生が立って描きかけの柚乃の絵を眺めていた。手にはリンゴ飴が握られている。
「樹生…」
「電気つけないでね…こうして眺めていたい」
薄暗い部屋で柚乃の白いワンピースが浮かんで見える。
「見つかったよ……」
「そう…良かった」
振り向いた樹生のオッドアイが嬉しそうに細まりペロリとリンゴ飴を舐めた。
「何もしてないよな?」
奏多のその問いに子供の様に首を傾げ何を聞かれているのか理解出来ない表情をした。
「奏多……」
樹生はユラリと近づき手にしていた飴を床に捨てると両手で奏多の頬に優しく触れ悲しそうに見つめる。
「いつまで瞳の色を隠すの?……美しい瞳なのに…僕と一緒なのがイヤ?」
「違う…」
「じゃあコンタクト外しなよ…偽っているとまるで僕に隠し事している様に思ってしまうんだ」
奏多は慣れた手つきでコンタクトを外す。
……右目は茶褐色、左目が深い緑色…樹生と同じオッドアイ。
樹生はこれ以上ない笑顔を見せて細い指で奏多の目元を優しくなぞる。
「同じ……僕等はどこまでも同じだ」
「そうだな…」
奏多は泣きそうな笑顔を見せる。そして樹生も同じ様に笑顔を見せると大きく腕を伸ばし抱きしめた。
闇に浮かぶ2人の姿は誰もが減らしていく時間という限られた流れが止まっている様だった。