南洋の嵐 一
深海の覇者
深海、それは地球上で最も謎に満ちた場所。全ての生命を育んだ場所であり、人間にとっては最も死に近い場所。戦争という業は、人類の深海五百メートル以下への到達を実現した。これは、運命に翻弄されながら、光も届かない深海で、孤独に闘う男達の物語である。
第一章 南洋の嵐
二〇一七年九月十七日 日本国領海 神奈川県沖
沈みゆく夕日に照らされ灰色の艦影が浮かび上がる。白波を蹴立てて進む艦艇群。その中に、ひときわ大きな姿がある。
海上自衛隊第二護衛隊群は旗艦「かが」を中心に輪形陣をとり、神奈川沖で対空、対潜訓練に余念がなかった。「かが」甲板より三機のSH-60K対潜哨戒ヘリが発艦する。マイクを手に話し始めた男の顔には憂いがあった。
「第二次世界大戦以降、東アジアの国々は領土問題を抱えてきました。そして今、南太平洋の島々と資源を巡る戦争が、また極東で起きようとしています。中華人民共和国が、フィリピンが自国の領土だと主張する島々を武力で奪い、そこに軍事基地を建設し、止まることを知らない軍拡が東南アジアの平和を脅かしてきたのは記憶に新しいことです。現在、中国国内では人民解放軍軍部が発言力を高め、事実上の政治的権力を握りつつあります。上海等の中心都市で起こった反政府デモを始めとする共産党に対する国内の不満の高まりが軍部を強硬手段に出させ、ついにフィリピンに対する大規模な上陸侵攻が開始されました。中国海軍は航空母艦遼寧や新型の蘭州級と呼ばれる旅洋型ミサイル駆逐艦を始めとする大規模な艦隊を主力としてフィリピンに、また陸軍の大部隊がベトナムに侵攻を始め、東南アジアを中心とする多国間戦争の様相を呈してきました。我が合衆国、日本、オーストラリアは中国の侵略行為について激しく抗議し、経済制裁を加えるとともにフィリピンの軍事的支援を表明しました。ここ日本では、南太平洋におけるシーレーンが危険水域になったことにより、インド洋から日本へ向かう貨物船、タンカーのほぼ全ての通行が困難になったことで、米以外のほぼ全ての食品、原油価格、石鹸などの生活必需品が通常の五倍から十倍に値上がりし、経済状況は停滞、七十年代の石油危機の比ではない、崩壊直前のソ連を思わせる最悪の状況となっております。電力の供給が途絶えている地域が大半となり、電力会社は日中の計画停電を開始、貿易、工業関連の企業は相次いで倒産、または従業員の大幅な解雇に踏み切りました。二日前、日本国首相は国家非常事態を宣言、制海権を取り戻すため、日本の海軍組織である海上自衛隊第一、第四護衛艦隊を、東シナ海のフィリピン沖に派遣しました。現在、第四護衛艦隊は米第七艦隊とともに臨戦態勢をとり南下しております。全世界が注目する中、今まさに南太平洋で砲火が轟こうとしています。七十年の間平和を保ってきた太平洋地域。我々は今までの各国の平和を保つための行動をもう一度見直す時期に来ているのかもしれません。海上自衛隊のヘリ空母『かが』甲板よりCNNのロバート・シェリフォードがお伝えしました」
カメラマンはカメラを向かいのイージス艦「きりしま」に移した。突如、主砲が回転し、陣形の外に向かって発砲した。立て続けに五発の砲弾を撃ち出すと、白い煙を出しながらまた艦首方向を向いて収まった。砲声は言い知れぬ不吉な予感を残し、太平洋は嵐の前の静けさに黙したままであった。