第9話
一年ぶりですねぇ……。
高校に弁当箱を届けに来たら、事務室で待機と言われた。すぐに校内放送が入り、
「今は休み時間なので、すぐに来ると思いますよ」
と事務員さんに言われた。
俺は事務室のソファに腰掛けながら、ぼんやり窓の外の景色を眺める。
──この高校に来るのは、入学式以来、三回目か。マンションから歩いて来られる場所ではあるが、ここは高校で、その奥には田んぼと住宅街が広がるだけだ。わざわざ立ち寄る理由もなかった。ちなみに一回目は、夏頃の学校説明会だった。風凪に付き合って、眠くなる説明を聞いた記憶がある。……あまり、内容は覚えてないけどな。学校説明会なんて、学校側にとってプラスな事しか言わない。嫌味な言い方をすれば、自慢大会みたいなものだ。
高校の本当の顔を知りたければ、文化祭に来るのが一番だと言われている。その学校の校風が最も滲み出るイベント、それが文化祭。
……まあ、風凪は元々一番近いここにするって決めてたみたいだから、あまり迷う事はなかったんだけどな。
「…………」
本当に、これで良かったのかは分からない。風凪の学力は、県内最難関高校にも挑戦できるレベルだ(と中学の時の担任に言われた)。俺が足枷になって、風凪の将来の可能性を潰しているんじゃないだろうか。
「……考えすぎか」
風凪が俺について来た時点で、人生を変えてしまったのだ。それに、風凪の自由にさせるって決めたんだからな。束縛してはいけない。縁を切った、あの両親と同じになってしまう。
「──お兄ちゃん⁉︎」
驚いた声。その様子だとまだ忘れた事に気付いてないみたいだし、俺が来ていた事も知らなかったみたいだ。立ち上がって、鞄の中に入れておいた弁当箱の包みを取り出す。
「弁当、忘れてたぞ」
「あ、ありがとう……。もしかして、その為に……?」
「他に何があるんだ」
「学校には購買のパンも売ってるから、無理して持ってこなくても良かったのに……。お弁当は夜ご飯に食べればいいし……」
む、これは少し余計なお世話だったかもしれない。風凪が引け目を感じてしまっている。
「締切だって、近いんでしょ?」
「もう目処は立ってるから心配はしなくていい。それに、夜目の前で忘れた弁当食べてる風凪なんて見たくないからな」
半分冗談、半分本気だ。同じ食卓でお互い違うもの、しかも残り物を食べるなんて、団欒できる訳がない。
だが、なおも納得いかない様子で俯き気味の風凪。
「気にしすぎだ。俺は別に引きこもりじゃないんだぞ? ──それに、もし俺が風凪の目の前で弁当の残り物食べてたらどう思う?」
「そ、それは……」
「その気持ちは、俺も同じって事なんだ。な?」
「……うん」
まだ心残りはあるようだが、ひとまず納得はしてくれたようだ。
「何でも完璧にする必要なんてないんだ。ちょっとくらい、お兄ちゃんにいい顔させてくれてもいいだろ?」
言っておいてなんだが、俺の性格らしくないセリフだな。俺に芝居は向いてない。かと言って、本音をぶつけるのも苦手だ。……面倒な性格だ、我ながら。
「じゃ、俺は帰るよ。休み時間に呼び出して悪かったな」
休み時間は十分間らしいから、あんまり呼び止めては次の授業に遅れてしまうだろう。用件は終えたし、早く帰ろう。原稿もやらないといけないしな。
「──お兄ちゃん!」
事務室から出ようとした所で、風凪が口を開いた。
「お弁当、ありがとう。届けに来てくれて、嬉しかった」
色々と思う所はあるのだろう。それでもちゃんと笑顔でお礼を言える辺り、できすぎた妹だ。
「どういたしまして」
「あ、戻ってきた。──おかえり〜」
次の授業の時間が迫り足早に教室に戻った風凪に、友人が手を振った。
「何だったの? ──って何ソレ? お弁当?」
「うん、お弁当忘れちゃったみたいで、お兄ちゃんが届けに来てくれたの」
弁当箱の包みを鞄にしまいながら、風凪は簡単に顛末を伝える。
「ほほ〜、優しいお兄さんだねぇ。今日は暑くなるっていうのに」
「!」
友人のその言葉に、風凪は勢いよく窓の外を見る。
突き抜けるような青空に、照りつける太陽。あまり意識していなかったが、確かにじっとりと汗ばむ陽気である。
ここからマンションまでには、かなり急な坂が二つある。行きは下りだが、帰りはどっちも上りだ。
「…………」
今さらながら、風凪は自分のドジさを呪った。
「ま、雨降ってるよりはいいんじゃない? どうせ夏になったらもっと暑くなるんだしさ」
妙にポジティブな友人の言葉に、
「ふーふーは気にしすぎなんだって。お兄さんだって、良かれと思って持ってきてくれたんでしょ? 素直に感謝しなって!」
「うん……」
風凪は再び浮かんだ不安を無理矢理飲み込んだ。
「…………」
なおも神妙な面持ちで窓の外を気にする風凪に、友人は何かを考える。それから、風凪の肩をポンポンと叩いた。
振り返った風凪が見たのは、単語帳を片手に笑顔の友人。
「次の授業、単語の小テストあるじゃん? ふーふー、出そうなトコ教えてくんない?」
「ちゃんと予習しておかないからだよ……」
呆れ顔の風凪に、友人はあまり悪びれた様子はない。
「やーそうは言っても、誰もがふーふーみたいに真面目じゃないし?」
「そこは誇らしげにしちゃダメだと思う……」
そう言いながらも、風凪は蛍光ペンをペンケースから取り出す。
「これと、これと、これ……あとこの辺の熟語も出ると思う。あと数分で全部をカバーするのは無理だから──この十個を頑張って覚えて」
単語帳につけられたピンクの丸を見ながら、友人は感心する。
「お願いしておいて今さらなんだけど、何で出るの分かるの?」
「先生の性格とか、授業で強調してたりとか、今までのテストの出し方とか、そういう傾向を分析してるんだ」
「え……マジ?」
「何となくだけどね」
「は〜、羨ましい能力だなー。アタシにもそんな能力があれば、今頃学年トップだったのにな〜!」
大げさに頭を抱える友人に、風凪は苦笑い。
「──ま、ふーふーの場合は基礎学力があっての話だもんね! とにかくありがと! これで赤点回避できる!」
そう言って自分の席に座った友人は、十個の英単語を詰め込むべくブツブツ呟き始める。
そんな友人の背中を眺めながら、
「私は、他にする事ないもんね……」
誰にも聞こえないように、小さく呟いた。