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第5話

数学の予習をしていた風凪は、ふと、鼻腔がくすぐられた。

帰宅してからまだ、台所には立っていない。ならば、

「……!」

風凪は慌てて立ち上がると、自室を飛び出した。

「お、宿題は終わったのか?」

案の定、台所には鍋で何かを煮る翔の姿が。

「今日は、宿題は無いから……」

「そうなのか? じゃあ予習でもしてたのか。偉いな、風凪は」

「いつもの事だし……」

反射的に返事をしてから、そうではない事に風凪は気付く。

「もしかして、お兄ちゃんがご飯作ったの……?」

「まあ、見ての通りだ」

翔は肩をすくめて答えた。

「ルーで申し訳ないけど、一応カレーをな」

「…………」

風凪は言葉を失っていた。せっかく組み立てた献立が無駄になったから、ではない。自分が担当していた家事を、翔にやらせてしまった。

「どうかしたのか? ボーッとして」

「う、ううん、何でもない」

風凪は演技が苦手だ。真面目な性格故に、“騙す”という事ができないのだ。

つまり、

「……そんな気にする事じゃないぞ」

誤魔化してもすぐに看破されてしまう。

「先に作っちゃったのは申し訳なかったけど、今日は友達が来てたんだし、その後に勉強したんだから準備が遅くなっても仕方ないさ。風凪が忙しい時のために、俺がいるんだから」

「うん……」

そう言われても、普段なら原稿を進めている時間だ。そう簡単に気持ちを切り替えられる風凪ではない。

「もう原稿は最終チェックなんだ。締め切りには余裕があるし、大丈夫。それに、な?」

そんな風凪を分かっているからか、翔は意味ありげに風凪を見る。

「計画、頼むぞ」

翔はポンと風凪を頭を撫でると、食器棚へ向かった。

「…………」

風凪は、撫でられた頭をそっと触った。

もうすぐ、だったのか。新生活でバタバタしていて、すっかり忘れていた。

「深く考えるのはふーふーの良い所だけど、もっと楽しく生きようよ!」いつか友人に言われた言葉が、頭をよぎった。

「い、いつくらいになりそう?」

「うーん……。担当さんのオーケー出るまでは繰り返し修正するだろうから、詳しくは分からない……けど、あと一週間くらいかな?」

一週間。

「うん……っ。分かった」

思いがけない朗報にショックも吹き飛んだのか、風凪はご飯をよそうためにしゃもじを手に取った。





改めて、風凪の力を実感してしまった。

自作のカレーを一口食べて、俺はそう思わずにはいられなかった。

不味い、とまでは言わないが、少し前に風凪が作ったカレーとは明らかに違う。煮方、だろうか。それとも下ごしらえか。普段は俺は補佐がメインだから、風凪がどう調理しているかは知らないのだ。同じ材料を使っているのに、雲泥の差だ。

「お兄ちゃん、どうかした?」

スプーンが止まっていた俺を不審に思ったのか、風凪が心配そうに覗き込んできた。

「いや、何でもない。……なあ風凪」

「?」

「普段、どうやって料理してるんだ?」

「へ?」

端折りすぎた。疑問が素朴すぎたせいか、言葉が足りなかった。

「久しぶりに料理してみて思ったが、風凪の料理の方が格段に美味い。特にカレーなんかは同じ材料だし見た目も変わらない。どうしてこんなに差が出るんだ……?」

「そ、そんな。お兄ちゃんのカレーだって美味しいよ? それに、私だって何か特別な事をしてるわけじゃないし……」

そうなのか。それならやはり意識の差か、あるいは好んでいるかどうか、か。

……風凪が料理の補佐をしていた昔が懐かしいな。

「風凪、ちょっとお願いがあるんだが、いいか?」

「う、うん。何……?」

いかん、畏まりすぎたか。余計な緊張感を与えてしまった。

「そんな大した事じゃないんだが、今度、料理を教えて欲しい」

「ほぇ……?」

予想外だったのか、らしからぬ変な声が聞こえた。

「やっぱり料理はできた方がいいし、風凪の味を目指したい」

__負担を減らすため、というのは黙っておいた。

「何だか情けない話だが、また一緒に二人で作ろう」

「…………」

風凪はポカンとしたまま、こちらを見ている。

「駄目か?」

俺の仕事を最優先で考えている風凪だ。その時間を削ってしまうには、やはり抵抗があるのだろうか。

だがしばらくすると、風凪はゆっくりと首を横に振った。

「ううん……。私も、お兄ちゃんと料理がしたい。昔みたいにまた、一緒に」

「よし、じゃあ決まりだな。明日からよろしく頼むぞ」

「うんっ」

「お手柔らかにな、風凪先生」

「もうっ、お兄ちゃん!」

よかった。笑ってくれた。こうやって風凪の笑顔を見る事は、実はあまり多くない。それだけ負担をかけて、余計な気遣いをさせてしまっているからだろう。俺ももっと、しっかりしなくては。兄として、家族として。






翔と他愛もない雑談をしながら片付けをした後、風凪は自室に戻った。

ボフッとベッドに倒れ込むと、

「〜〜〜〜〜〜〜っ!」

脚をバタつかせた。

嬉しかった。翔が、料理に興味を持ってくれた。今までも夕食は一緒に作っていたのだが、翔は食材のカットや後片付けなど、雑務メインだったのだ。仕事を進めたいのを無理に自分に合わせてくれているのではないか、と心のどこかで思っていたのだ。

だがそれも杞憂だった。翔は、また“一緒に”料理がしたいと言ってくれたのだ。嬉しくない訳がない。

「…………」

もちろん、その時間翔は仕事ができなくなる訳だが、今回はあと一週間で書き上がるという。前に担当編集と決めていた締め切りは、まだ二週間以上先だ。つまり、かなり余裕を持って進めている事になる。

「流石はお兄ちゃんだなぁ……」

兄の仕事っぷりに関心した所で、風凪の頭に別の思考がよぎる。

「あと一週間……」

風凪にとって、まもなくやって来るその日は年に数回のビッグイベントである。

頬の緩んだ自分の顔が鏡に写り、慌てて引き締める。

こんな顔は友人には見せられないなと苦笑しながら、風凪はいつになく上機嫌でスケッチブックを開いた。

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