第7話 トラウマカバ
その日はスマホで取った動画を投稿する方法なんかを軽く説明してもらっている内に、六時間目のチャイムが鳴った。廊下に生徒が溢れだす前に周囲を警戒しながら仮部室を抜け出すと、それぞれの教室に向かって解散となった。
スマホを出していたこともあって、ニコニコ動画部に現在所属しているメンバーとは番号とアドレスを交換しておくことに自然となった。
今や俺のスマホの登録番号二六番には野沢香苗の名前が燦然と輝いている。
すでに登録したメンバーからメールが届いていた全員『これからよろしく』と言った、ありきたりな文章だったが、やっぱり嬉しい物だな。
受信ボックスを閉じようと画面を操作すると、特別に分けられたハートマークが付いた彼女用メール受信箱がチラリと視界に入って少し胸が疼く。
引きずっているわけではないと思うけど、やっぱり初めて出来た彼女との別れは、少なからぬ傷として俺の心に刻まれてしまっているようだ。
なんとなく沈みかけた気持ちを無理矢理押し上げて、教室へ戻る生徒で溢れ返った廊下を縫うように歩く。
せっかく覚えたことを実践したくてウズウズしているのだ。さっきまでの痛みを伴う疼きではない。前向きなウズきだ。
教室へ戻ると俺の席の隣には既に誠がいた。ホクホク顔で幸せそうだ。
誠は前々からマン研とアニ研のどちらに入るか悩んでいたが、実際に部活へ顔を出したことで決心が決まったんだろう。
俺の予想だと誠はマン研に入ったと思う。コイツは同人誌を買うのも好きだけど、実際に自分で絵を描くのも好きだ。何度か描いた絵を見せられたけど、マンガ絵とデッサン絵は確かに上手だった。
誠自身の評価としては躍動感が足りないとか、体の動きに感情が無く型にハマった動きだ。なんて言っていたが、俺からすれば可愛い女の子のポージングの違いも分からないし、剣を構えてキめている勇者ッポイヤツもカッコよく描けていると思うんだが、上を目指す人間としては自分の技術が不甲斐ないように感じる物なんだそうだ。
そんな誠だからこそ、きっとマン研に入っているだろうと予測しているわけだ。
今日ブラブラしている時間にマン研の前も通ったが、マン研の部室前には部員が描いたのであろうイラストが貼られていた。たしかに上手だと思うけど、絵から滲み出てくる雰囲気は誠の物の方が上だと感じた。単なる身内贔屓というヤツかもしれないけど、俺は確かにそう感じたんだ。
「お。おかえり、拓海」
「よう、結局どうだった? どっちに入るか決めたのか?」
俺に気付いた誠が、シュタッと右手を上げる。俺は、それにのっそり上げた右手で挨拶を返してから、自分の席についた。
誠はニマニマとした笑顔を浮かべると、饒舌に説明を始めた。
どうやら予想通りマン研に入ることにしたようだ。持参した絵をマン研に持って行くと『天才だ!』とか『ピクシブのID教えて!』とか色々と持ち上げられたらしい。ピクシブって何?って質問をしたいところだけど、今日は既にそういった説明を嫌と言うほど聞いてきたので、ここは敢えてスルーだ。
誠はアニ研にも行ったらしいけど、昔ながらのセル画でアニメを作ることを基本方針としているらしく、一年掛けて一本の一五分アニメを作りあげて、それを文化祭で発表するのが主な活動なんだそうだ。その活動自体は悪くないみたいだが、誠としては部内で班分けして色々な作品を大量に生み出すような活動を描いていたようで、方針の違いからマン研にしたということだった。
「アニ研のセル画への拘りにも熱い物を感じたけど、やっぱり今時はCGを使って作るのが主流みたいだからね」
「よくわかんないけど、早々に決まったみたいで良かったな」
誠は『ありがとう』と嬉しそうに頷いた。
「それで拓海は? 文化部を見て回った感じはどうだった?」
「ああ、俺も部活決めてきたぞ。ん? あれは決まったっていうの……か?」
どういうこと? と首を傾げる誠に、俺は大雑把な説明で自分の状況を説明した。
まだニコニコ動画部が部活として承認が下りていない状態の部活であるということと、主な活動内容だ。
「なるほど。たしかに面白そうだね。ニコニコ動画やYOUTUBEを主ターゲットにした活動っていうのは新しいと思う。ちょっと羨ましいな……僕は少し早まったかもしれない」
「たしかに誠が好きそうな内容だよな。でも、まだ部活として活動できるわけじゃないからなぁ。俺の方こそ早まったかもって言われても仕方ない立場だと思うよ」
誠は何やらぶつぶつと一人自問自答している。おそらく、散々持ちあげられて快く入部を決めたのに、他に良い部活があったから他に移ります。というのが憚れるのだろう。良い言い訳が無いか考えてるんだろうなぁ。
ただ、この学校は全校生徒部活動所属という規則がある以上、何かしらの部活に所属せざるを得ない。ニコニコ動画部を作ろうとしているメンバーだって、一応他の部活に席を置きながらニコニコ動画部を作る為に動いているわけだ。
ちなみに同学年の野沢香苗さんが情報処理部。二年の白岡司先輩が卓球部。同じく二年で仮部長の伊沢義治先輩が野沢さんと同じ情報処理部らしい。しかも伊沢先輩は情報処理部で副部長なんだそうだ。そんな人が部活の途中で抜けまくって大丈夫なんだろうか。
話を戻すけど、つまるところ俺もニコニコ動画部が正式に部活として認められるまでの間は、他の部活に所属している必要があるってことだ。ニコニコ動画部が全然まったく、部活として認められず、結局仮で入った部活で三年間過ごしてしまう可能性も否定できない。
だから、あんまりテキトーな部活に入るわけにもいかないということだ。住めば都みたいに入ってしまえば、それなりに楽しい物なのかもしれないけど、やっぱりある程度はやりたいことを選ぶべきだ。
「ニコニコ動画部が正式に部活化されるまでの間に所属する部活も考えなくちゃな」
「それじゃ、僕と一緒にマン研入らないか?」
「それは遠慮しとく」
俺には壊滅的に絵心が無い。どれくらい絵心が無いかというと……
あれは中学二年の化学の授業中のことだ。特別教室で班分けされ、普段は近くない席の人間が集まって実験をする授業だった。
同じ班の女子が絵を描いて『しりとり』をしようと提案してきた。俺は嫌だと言ったが、他のメンバーがやろうと言い、なんだかんだで巻き込まれることになった。
普通にやっても中々終わらないので、ジャンルを限定することになった。お題は動物。俺に回ってきた頭文字は『か』だった。俺は一見大人しくのんびりした見た目とは裏腹に実際は凶暴と噂れる動物、カバを描くことにした。
俺が描いたカバは、なぜか同じ班の人間の大爆笑を引き起こす引き金になった。授業中の爆笑は、すなわちお説教である。俺達の班は、あとでこっぴどくお説教されたのだ。苦い思い出だ。
「ちなみに描いてみて、カバ」
誠め、なんておそろしいことを言いやがる。
だが、求められたら応えなくてはならない。俺としては納得できないが、これは笑いへの振りだ。
俺はノートを取り出すと、今の俺が描ける全力のカバを描く。誠は口元を押さえて教室を出て行った。
試合に勝った、けど勝負に負けた。そんな言葉が頭の中に浮かんできた。