第2話 別れと出会い
「私達、友達に戻りましょ?」
「な、なんで!?」
「もう、好きじゃないから……ごめんなさい」
高校に入学して二週間、桜の花びらは風や雨に散らされて地面をまだらに汚し、その枝には青々とした葉が色づき始めていた。
突然だった。中学二年の秋、今でも覚えている一〇月九日の土曜日だった。学校の文化祭で一緒に回る約束をして、その日の帰りに告白された。
嬉しかったというより、戸惑ったことを覚えている。あの時は、ただの友達以上に彼女を見たことは無かったからだ。
何度も言葉を出そうとしては止めることを繰り返して、顔を真っ赤にしながらも視線をまったく外さない。震える唇と声が、なけなしの勇気を振り絞っているのは見ていて十分に理解できた。
そんな一生懸命な彼女を初めて可愛いと思った。初めて女の子として意識した。でも、その時は応えることができなかった。逃げたわけじゃない。自分の気持ちと向き合う時間が欲しかったんだ。
一日という短いような長いような時間を挟んで、『僕で良かったら』と返事をした。自称が『僕』になってしまったのは、自分としても緊張していたのだろうと思う。彼女は感極まって泣いていた。
俺はそうして付き合った彼女から別れを告げられた。
告白された時とは全然違う。
涙も浮かべず、ただ少しだけ申し訳なさそうな。罪悪感を感じている。それだけに見えた。
彼女は俺とは違う高校に入学した。駅も完全に別方向で、彼女は登りの電車で一時間も掛かり、乗り換えもある地元より少し都会にある学校。俺は公立高校の受験に失敗して、電車で二駅の地元でも少しだけ有名な私立の進学校だ。
考えてみればメールのやりとりはあったけど、ここ三カ月の間、一度も遊んでいなかった。
公立高校の試験があったし、なんだか色々バタバタしていて時間が合わなかったからだ。
彼女に振られた四月一二日の木曜日、俺は激しく落ち込んでいた。
「キスしかしなかった……それ以上は高校に入ってからって決めてたのに!」
そういうのは高校生になってから。受験も控えていた俺としては禁欲による願懸けも兼ねて、彼女と一年以上一緒にいながらキス以上のことをしていなかった。胸にも冗談程度で一度か二度、服の上から触ったくらいだ。
俺は激しく落ち込んでいた。それはそれは激しく落ち込んでいた。
もちろん彼女にフラれたことも大きい、とても大きい。心にぽっかりと穴が空いてしまったとも思っている。
でも、だからこそ負の感情がスパイラルブレイクしている。ヤルことヤッとけば良かったなんて下衆な発想にまで至ってしまっていた。
そんな色々と残念な状態に陥った俺の名前は茅原拓海、私立水野谷学園に通う一年生で童貞、もちろん今は彼女無し。
現在、翌一三日の金曜日。キャンプ場でマスクマンがチェンソー持ってテンション上げそうな日だ。なんとか気力を振り絞って学校まで辿りつくと、自分の席で脱力しきっていた。マンガの表現的には『口からなんか出てる』って感じだ。
隣の席の友人、八坂誠が教室に到着するなり、カバンをしまいながら声を掛けて来た。
「どうしたの? そんな口から魂出して。彼女にでもフラれた?」
どうやら魂が出ていたらしい。そして、核心を突いてくる。おそらく冗談で聞いたのだろうけど、冗談じゃないんですよねコレが。
八坂誠という人間は、オタクだ。
しかも今時のオタクって感じだな。見た目こそインドア派独特の色白さをしているが、ひきこもっているような病的な白さでは無い。中学時代はバレーボール部に所属しているようなスポーツマンでもあったらしい。顔もまぁまぁ整っている方で、背もだいたい日本人平均身長の俺と比べても五センチは高いし、社交性もある。
この教室で顔を合わせてすぐに俺と会話したあと、そのまま巻き込む形で俺の後ろの席に座る女の子と、誠自身の後ろの子にも声を掛けていた。その時は凄く助かった。一見すると、まったくオタクには見えない。俺が持つオタクのイメージって、ザ・オタクという物しかないからだ。
少し前に映画やドラマで見たオタク男が美女と電車の中で知り合って、付き合うようになるまでの話で見た主人公やその友人のイメージだ。
年齢不詳の可愛らしい女の子のイラストがプリントされた半袖Tシャツの袖をまくって着ていたり、年中ネルシャツの裾をジーンズに突っ込んで着ていたり、なぜかバンダナを海賊みたな被り方やハチマキのようにして巻いている。
たぶん極端なイメージだろうというのは理解しているが、そういう気持ち悪い集団がオタクだと思っていた。
しかし、誠は違った。
入学して最初の土日に彼女と遊ぶ予定が合わなかったので、誠と町まで遊びに出た時だ。凄くオシャレだった。この時は、俺も誠がオタクだということを知らなかったので、普通に『オシャレイケメンだな。さぞモテるだろう』としか思わなかった。
俺はというと、地元の『しまむら』で買った全身コーディネイトで総額五千円くらいのファッションだ。靴を合わせても総額一万円程度だったと思う。
誠に聞いてみる。『オシャレな服だな、今日のでいくらくらい掛けてんの?』と聞くと『全部代官山の古着屋で買ったヤツだからね。服だけなら三千円くらいじゃないかな? 靴入れると五万くらいになるけどね。あはは、靴高過ぎ』俺より安い服でオシャレって、完全に敗北じゃないっすか。しかも靴に金を掛けているあたりで、オシャレなレベルが随分高くなったように感じる不思議。
そして誠は、ただのオシャレで良い奴では終わらなかった。『ちょっと寄りたいとこあるんだけど』と言われ、俺は二つ返事で了承した。
彼に連れられて行った先は……本屋だった。
最初に入った一階はマンガばかりが置いてあった。俺もマンガは少し読む、妹のマンガも暇つぶしに読んだことあるから、誠が少女漫画に手を伸ばしても特に違和感はなかった。
しかし、やたら色々なチラシが貼られたエレベータに乗りこんで向かった四階は、妙に値段が高い割に薄っぺらな本が山のようにある所だった。
誠は今までの少し毒舌だけど良いヤツから、みょうにハッチャけて陽気だけが取り柄な変態に変身した。幼虫がさなぎを経て蝶になるような、まさに変態。
俺はというと、ピンクと赤と肌色で大部分が彩られた空間に生理的嫌悪を感じて体調を崩し、外で待機することにしたのだ。
電車での帰りに、目的の品を手に入れてテンションが上がった誠から、あの薄い本は同人誌と呼ばれる物だと詳しい説明を聞くことになったのは、今では良い人生経験だったと思っている。
八坂誠という人間の再確認はこれくらいにしておいて、聴かれたことには応えないと無視したことになってしまう。
いくら誠がオタクで変態だったとしても、オタク文化に触れていない時の彼は少し毒舌なイケメンくんだ。そして、高校入学して最初の友人である。失うには惜しい。
「その通りだよ、八坂誠くん。さすがの名推理だね」
「……え、本当に? えっと……なんかゴメン」
「八坂誠くん。その態度は逆にやめようか。すっごく居たたまれないから」
あえて沈痛な面持ちを強くすることで、素直に謝っているだけなのに、逆にダメージが大きくなる。これを狙ってやることで冗談に昇華しているわけだ。お互いに冗談が通じるからこそできるネタだな。『くっ……僕はなんてことを!』なんて言ってる。だからやめて欲しいって。
誠とは知り合ってからいつもこんな感じだ。オタク趣味だからだろうか、返しのノリが良いので会話が弾む。
たまによく分からないネタを挟まれてしまうので、どうしてもついて行けないこともある。が、そこは突っ込んで聞くと、同人誌の時のようになるからサラリと流すに限る。
「あ、そうそう、拓海。今週というか今日の六時間目からだね。仮入部期間」
「切り替え早ぇーな!?」
自然とテンションを上げられて少しだが、自分としても元気が出て来たように感じた。
まったく……俺は良い友人を持った。変態だけど。
っていうか、聞き捨てならないことを今言ったな。
「仮入部期間?」
「どこを見に行くか決めたかい? 僕はね、とりあえずマンガ研究部とアニメ研究部に顔を出す予定だよ。というか、そのままどちらかに入部を決めてしまうことになりそうだけどね!」
話し始めて勝手にテンションを上げて饒舌になっていく誠に置き去りにされながら、俺は心の内で後悔していた。
今日は体育の授業も無かったし、体操服を持ってきてない。
つまり、今日は運動部の仮入部体験が出来ないと言うことだ。ということは、自然と見て回れる部活が文科系に限定されてしまう。
「体操服忘れたから、俺も誠と一緒に回ろうかな……いや、やっぱりやめておく」
なぜ辞めたのかというと、途中までの発言で目を輝かせた誠の目を見て、有無を言わさぬ危険を感じてしまったからだ。
そのままマン研やアニ研に巻き込まれる形で入部させられ兼ねない。
「文化部を見て回るのもな……適当に空き教室で時間でも潰すことにするわ」
そして六時間目。
やたらと高いテンションで教室を飛び出して行った誠を見送った俺は、授業の時間に割り当てられているために帰宅するわけにもいかず、テキトーに文化部を一件冷やかしてサボることにした。
ちゃんと参加していたという証明のために、部活の顧問が確認印を押す用紙と『部活のしおり』なる冊子を畳んで尻ポケットに突っ込むと、両手を前ポケットに突っ込んで特別棟に向かって歩き出す。
水野谷高校の校舎は一般棟と特別棟に分かれていて、それぞれを渡り廊下が北と南に走っている。イメージとしては『井』の字をイメージして貰えば分かると思う。
校舎と渡り廊下に囲まれた部分は中庭として存在していて、昼休みには羞恥心が欠如している校内認定バカップル共がイチャコラするのに一役買っている。
もちろん、普通に外で昼食を取るのに利用している人間もいるが、そいつらが目立ち過ぎるのだ。別に羨ましいから視線がそっちを向いてしまうわけじゃないと思いたい。
俺はポケットから押印用紙を取り出すと、その内容を確認する。
……よし、何個か押印用の欄が設けてあるが、時間を記入されるところが無い。
つまり一つテキトーに一五分ほど滞在したら押印を貰って『他に見たい部活があるので失礼しまぁ~す』とでも言い、教室を出てしまえば帰宅までの時間はサボっていられる。
もしかしたら、顧問側の方で時間を記入して管理している可能性もあるが、その時は『ひとつ押してもらったので、後は色々な部活を見学したいと思って中まで入らず、外から見て回っていました』とか言えば良い。
しかし、わざわざ部活の見学の為に授業の時間を一時間も一週間に渡って使ってしまうなんて、変わった学校だと思うだろう。俺も思う。その理由はこの学校独自のとんでも規則によって実現されていた。
全校生徒部活動所属。それがこの学校が掲げる面倒な規則だ。自宅が遠隔地で通学に二時間以上かかるなどの理由が無い限り、基本的に全校生徒参加が義務付けられている。
噂だと、就職や進学において部活動に所属していたという事実は、面接や書類審査上で大きな効果を出す。それが一番の理由だということだった。
つい最近まで内申点を気にして受験活動をしていた身だ。少しでもプラスになる材料なら、早々に確保しておきたいと考えてしまうのは分かる。
特別棟の三階廊下を部室を見て回る生徒達をフラフラと交わしながら歩いて、図書室へ向かう。
冊子を見たところ、文化部代表『文芸部』は固有の部室も持っているらしいが、仮入部期間中は図書室を使っているらしい。なぜだろう。部室が小さいのかな?
図書室には想像していたよりも盛況な人数がいた。仮入部の申請書と顧問に渡す用紙を部員と思われる女生徒に手渡すと、文化部の先輩が活動報告をしてくれた。先輩は女子だった。小柄でメガネが異常に似合う地味なイメージだ。俺の偏見だが、ザ・文芸部って感じ。ただ、おさげでは無かった。あれはハーフアップって髪型だったかな、おさげの亜種だ。
四季報という名前の文芸誌を三ヶ月毎に一年間で四回出すのが主な活動内容らしい。しかし、四季報とは……みんな投資でもしているのだろうか。
なぜ仮入部期間は図書室で活動しているのか質問してみると、入部希望であっても本を持って無ければ読書も出来ない。なら、本がある図書室で仮入部期間は済ませようということらしい。
普段は町の図書館で借りてきて本を読んだり、原稿用紙にオリジナルの物語を書いたりして過ごす。
一応、話は聞いてみたけど……まったく興味が無い。しっかり聞いてますよ的なオーラを出しながら、意識はこのあとどうやって時間を潰すか考えつつ、先輩の話を貼り付けたような笑顔とテキトーな相槌で聞き流し続けた。
「以上で文化部の説明は終わりです。あとは図書室の本を読んで活動してください。他の部活に顔を出したい場合は、カウンターにいる先生が文化部の顧問だから、ハンコを貰って移動してね」
「分かりました」
俺は返事をしたあと、横山光輝の三国志を持ってきて何冊かサラッと読むと、関羽が打ち取られる話を見て薄らと涙を浮かべながら、顧問に押印を貰って文化部を後にした。
もう少し三国志で時間を潰しても良かったが、マンガを読みながら涙を浮かべる自分がなんだか恥ずかしくて、その場に居られなかった。
テキトーにブラブラ歩いていると、一般棟の二階の端。札に何も書かれていない見るからに空き教室という部屋を見つけた。
残りの時間は、この空き教室でスマホのソーシャルゲームでもして時間を潰そうと考え、教室の扉をガラガラと開ける。
扉を開けた目の前には大量の授業に使う教材などが山のように積まれ、教室の中はホコリっぽい空気で満たされていた。
そこで、俺は場違いな物に目を奪われた。
一人の美少女が、こちらに驚いたような視線を向けていたのだ。その可愛い見た目に思わず生唾を飲み込む。
「アンタ、誰? 何か用?」