第17話 こんなはずじゃ
駅前のガストで祝勝会を上げた翌日の放課後、ミノリン先輩が教室まで迎えに来た。
ミノリン先輩はニッコニコの笑顔で『最近は部活まともに出来なくてゴメンね』とか、『猫踏んじゃったはどれくらい早く踏めるようになった?』とか、そんな話をしながら向かう先は、自然と誘導されていつもの最短ルートでは無い道順、大分遠回りをしながら部室へ向かっていた。
ここはあえてそのことには踏み込まず、彼女の思惑通りに流されておいてあげよう。
軽音部の部室が近くなってきたところで『あ、忘れ物しちゃった! 悪いんだけど、取りに行くの付き合ってくれない!?』と言って、ミノリン先輩の教室まで、なぜ視聴覚準備室から出したのか不明な彼女が使っているキーボードを取りに行った。
どう考えても時間稼ぎをしているようにしか思えない。
でも、良い。今は先輩のやることに文句を言わずに付き合ってあげよう。
おそらく先輩も知っているだろう。俺が今まで作ろうとしていた部活の申請が通って、正式に部が活動を始めるということを。
そして、それは俺が軽音部を辞めて他の部に行ってしまうということだ。
俺の願望が入っているのかもしれないけど、彼女は俺に部を辞めるという話をして欲しくないのだろうと思っている。
こうして部室に行かず、話の主導権をミノリン先輩が握っている内は、俺に部を辞める話をさせないことができる。
だから彼女は、アレコレと話題を変えて、ずっと話し続けているのだろう。
今は彼女の思惑に乗って流されていよう。
そんなことを考えながらミノリン先輩の話に相槌を打っていると、彼女の携帯電話が着信を知らせた。
ミノリン先輩はガラケーを使っている。どうやらメールのようだ。
彼女はそれを確認すると、『よし』と小さく言って、俺に『急いで部室行こう。早く来いって催促が来ちゃった』と、前に見せたテヘペロの顔をしながら俺におどけて見せた。
俺は両手が塞がってるし、ノリ先輩みたいに気易く先輩の頭にチョップを落とすことはできないです。
先輩のキーボードをエッチラ、オッチラ持ちながら部室へ向かう。
部室の前に辿りつくと、ミノリン先輩が『ちょっと待ってて』と俺を引きとめた。
俺は言われた通りに呼ばれるまで待つ。俺も少し時間稼ぎがしたいのだろうな。昨日、駅前のガストで、みんなと書いた退部届は折りたたんで胸ポケットに入っている。
「いいよ。タク君、入って」
少しトーンを落としたミノリン先輩の声が、俺の心に突き刺さったように感じる。
俺は先輩のキーボードを大事に抱え直して、先輩が開けて待っている扉を潜って、部室の中に入った。
真っ暗だった。
暗幕が閉じられていて、昨日換気した空気も少し籠っていた間に濁ったような気もする。
廊下から入り込む光で、入口付近の感覚は分かるし、奥の方もぼんやりと認識できるけど、詳しいことは分からない。
ミノリン先輩が部室の扉を後ろ手に閉めると、ついに部屋は真っ暗になった。
真っ暗な中で男女が二人きりなんて、そんなダメですよ先輩。そういうのは愛が無いと、というか順序って物があるじゃないですか。
僕達はまだ恋人にもなっていないですし……って、さっき先輩は部の誰かから怒られたとメールを見ながら言っていたじゃないか。じゃあ、なぜこんな真っ暗にしているのだろう。
俺が疑問に思いながら手探りで視聴覚室の真ん中まで辿りつくと、突然に視界をまぶしい光が照らし出した。
一瞬、何も見えなくなるが、暗い所から明るいところを見るくらいなら、わりとすぐに視界は回復する。
見えるようになった目の先には、視聴覚室のプロジェクターを使って大きなホワイトスクリーンに映し出されている手書きの文字と、机に並べられたお菓子やケーキがあった。
『茅原拓海くん 歓迎会 & 送迎会』
こう書かれていた。俺はそれを見て涙が出そうだった。
この人達は勝手に入って、勝手に出て行く俺を許してくれるのだと分かったからだ。
そして、おそらくそれ以上にショッキングな内容が涙を誘う主な理由だ。
書かれている文字は『茅原拓海くん 歓迎会 & 送迎会』の下にも一行あった。
『軽音部 解散会』
きっと、俺のせいだ。
理由を問いただした『俺が原因なんでしょ!?』って。先輩達は何も答えなかった。でも、なんとなく俺自身も少し予想が付く。
先輩達が黙っているなら良い。俺が思い付く限りの予想を勝手に喋ってやる。
俺が仮入部期間に暫定入部を決めた軽音部のメンバーは、ミノリン先輩、ノリ先輩、レイジ先輩、カズ先輩の四人だけだった。
そして、俺が入部を決めた時に『これで廃部にならずに済むよ!』とミノリン先輩が言っていた。
つまり、この部活は仮入部期間中に部員を五人以上に出来なければ廃部が決まっていたのだろう。俺が入部を決めた時に、やたら歓迎されて、可愛がられたのはそういう経緯があったようだ。
本来なら、期の途中で部活が廃部になることはない。学校にも予算という物があり、その配分は仮入部期間終了後すぐに決定される。一度分配された部費を学校が取り上げるようなことは無いからだ。
だから、軽音部のメンバーは仮入部期間に一人以上獲得することで、今年度の部存続を計ったのである。
しかし、この学校も甘くは無い。俺は初めて野沢香苗と会話した時の内容を思い出していた。
『最初だけ水増しして申請すれば良いじゃん』
『最初はアタシ達もそうしようとしたわよ。知り合いに頼んで興味が無くても名前貸しして貰って水増しもしたんだけど、実際に活動報告する時にバレたら大変なことになるって言われて実数で申請するしかなくなったのよ』
水増しした部員だとバレたら大変なことになる。それは強制的な部の廃部を意味していたのかもしれない。
そして今回、ニコニコ動画部が正式に部として認められた。その構成部員の名前に、今回存続を決定したばかりの軽音部に所属する俺の名前があったということだ。
きっと、教師たちは軽音部の先輩たちが水増し要因として、俺を部員として取り込んだのだろうと判断したのだろう。実際に部の活動をしていたと言っても、たったの三週間だ。カモフラージュとして部に参加していたと思われても不思議じゃないし、この部に席を置くことになった時からすでにニコニコ動画部の初期メンバーに俺の名前は含まれていたのだから、状況証拠として完全に疑われてしまっても仕方がない状況だ。
俺が勝手にならべる予想は、概ね間違っていなかったらしく、ノリ先輩が観念したように補足を入れた。
「最近、オレたちが部に参加できなかったのは委員会とか、そういうのじゃなくて部員探しに走り回ってたんだよ。レイジは先生達に呼ばれて事情を説明したりな……」
ただ、そんな簡単に部員が見つかるわけが無い。ニコニコ動画部も水面下で部員募集活動をしていたとは言え、仮入部期間も使って部員を探していたのに、見つかったのはつい先日だ。すでに部活に所属して二週間がたち、馴染んでしまったような状況じゃ、簡単に部を離れることもできないだろう。一部の部活では用具を買い揃えたところもあるだろうしな。
「タク君にオレ達がそのことについて話をしなかったのは、暫定入部で良いと言った手前、残って欲しいとも言えないしな。それに責任を感じて欲しく無かったってのもある。お前は悪くない。気にするな」
「ホント、気にしなくて良いから、考えが浅かった私達が悪いのよ。タク君が入って二週間以上延命できたのに、タク君が暫定で入ってくれたことも知ってたのに……部員探しをしなかった私達にツケが回って来ただけ」
ミノリン先輩は申し訳なさそうに言った。
気にしないわけ無いじゃないか。
先輩達は歓迎会と送迎会をしてくれている。それは正式な部員として認めてくれて、そして勝手に出て行く俺を認めてくれてるってことだ。
何もかも自分の勝手な言い分で振る舞っている新入生に、先輩達は自分たちの部が潰れることも二の次にして、俺が気にしなくて良いように気を使ってくれているんだ。
俺は無理と分かっていても軽音部を存続するために何かがしたくて、視聴覚室を飛び出した。