第10話 類は友を
俺が軽音部に入部してから、『あっ』と言う間に仮入部期間は終了して二週間がたった。
キーボードの練習については何とか指一本で『猫踏んじゃった』が弾けるようになったけど、凄くゆっくり猫を踏みつけた曲になっている。そんなにゆっくりなら、さすがに猫も逃げるだろう。
ミノリン先輩からは『楽しさを感じながら練習できれば良い』と言われていた。たしかに、先輩の胸の柔らかさを腕や背中に感じながら教えてもられるキーボードは格別に楽しい時間だ。
指一本でも弾けるというのも、それなりに達成感もあったし俺としては充実した二週間だったと思える。
ニコニコ動画部については、全く進捗していなかった。
先輩達に話を聴きながら企画書を書いて提出をしてみたりもしたのだが、帰ってくる返答は却下ばかりだ。
生徒会の目安箱に頼ってもみたのだが、その返答は一週間以上たった今でも返ってくる気配が無い。イタズラとして処理されてしまったのだろうか。
二年前に部として新たに認められた『水辺の生物研究部』という部があるのだけど、部が作られた経緯を伊沢先輩がヒアリングに行く予定だと言っていた。
何か収穫があれば良いのだが、実際には望み薄だろうと思う。
当時、一年生だった現在の三年生がどれほど覚えているかというところだ。『俺達が新しく作った部活だぜ!』と後輩たちに自慢しまくっているような先輩達なら聞いているかもしれないけど、あまり期待は出来ないな。
現在、俺はこの二週間の活動内容を世間話として野沢香苗に話している。
「たしかに、水辺の生物研究部の三年生も当時は一年生で、入部したタイミングによっては既に部活が出来ていたところに入部しただけの可能性があるわよね」
「うん。そうなると、当時のことを覚えている人間は、この学校にはいないことになっちゃうと思うんだ。当時の顧問の先生が定年で辞めちゃってたのは大きいよ」
野沢香苗とは、たまに放課後の少しの時間だが、こうして話をする時間を意識して作るようにしていた。
俺も元カノがいた人間だ。こうして少しの時間でも顔を合わせている時間を作ることの重要性は理解しているつもりだ。
彼女がいる間は忘れていた知識だけどね。今となっては後の祭りだけど、新しい彼女を作るための知識としてフル活用しなくては。
「あ、もうこんな時間ね。さすがに情報処理部の方へ顔出さなくちゃ。アンタが頑張って作品作りのスキル上げてるの聞いてたら、アタシも少し燃えてきたわ」
「スキルっても、小学生が弾くピアノよりもレベル低いけどね」
「良いじゃない。誰でも最初からできないものでしょ、そのまま続けていけば『演ってみた』の方でも動画投稿できるかもね」
「いや~さすがにそれは……でも、頑張るよ。野沢さんも頑張って」
「もちろんよ」
彼女は『誰に言ってるの?』とでも言いたそうな自信に満ちた笑顔で振り返ると、軽く手を振って教室を出て行った。ちくしょう、様になってるじゃないか。
俺も荷物を持って、軽音部の部室である視聴覚室へ向かう。ゆっくりし過ぎて、あまり遅くなるのも良くないからな。
練習用にミノリン先輩から借りているキーボードは、視聴覚室の準備室に備えられた軽音部用の荷物置き場に、先輩達の楽器達と一緒に保管されている。だから今は通学用のスクールバックだけだ。
ホームルームが終わって三〇分ほどがたった一般棟は、だいぶ人が減っていて廊下も歩き易い状況になっている。
ホームルームが終わった直後は、無駄話をするために集まった生徒や、部活へ急ぐ生徒たちでゴッタ返していて、歩くのが面倒になるレベルだ。
だから今の時間は良い。人は全くいないわけじゃないけど、少ないし急かされることもないから、ゆっくり歩ける。
今日は軽音部の先輩達が委員会の集まりがあるから少し遅れるということで、かなりゆっくりと部活へ向かっている。
全員がいないということで、あまり早く行っても部室が開いていない。
一度視聴覚室の扉の前に行ったが、まだ扉の鍵は開いていなかった。ここの鍵を持っているのはレイジ先輩とミノリン先輩だ。
二人に用事がある時は、同じ学年の誰かに鍵を渡して視聴覚室へ入れるようにしてくれるのだけど、今日は全員で委員会の集まりだったらしい。
新入部員に鍵を預けるほどには、まだ信用もされていないのだろう。高価な器材もあるし、簡単には信用できない。もちろん何もしないけどさ。だから、俺も気にしてない。
俺はなんとなく部屋の前で待っていても、寂しそうに見られてしまいそうだし、窓際で外を見ているのも黄昏てると言われそうで嫌だから夕陽を見ながらボーッとするのもダメだ。
ということで、少し特別棟を散歩してみることにした。仮入部期間にザッと一度見て回ったがそれっきりだ。普通の活動時はどういう活動をしているのかも、少し興味がある。
誠が入部したマン研に顔を出してみるのも悪くないだろう。そう考えると、俺は足を三階にあるマン研へ向けて歩き出した。
二階から三階へ向かう階段を見上げると、踊り場の窓から外を見ている女の子がいた。まさに黄昏ている。窓から吹き込む優しい風が、彼女の肩口まで伸ばされた黒い髪をサラサラと撫でている。
以前の俺なら気にもせずに通り過ぎただろう。というか普段の俺でも通り過ぎたと思う。
彼女の前を通り過ぎる時に俺の耳には、彼女が口ずさんでいる歌が聞こえてきた。その歌は、あのホコリっぽい教室で野沢香苗が見せてくれたボカロが歌うダンスミュージックだった。
気付くと、一瞬上がったテンションに任せて、彼女に話しかけていた。
「ボカロ、好きなんですか?」
「……っ!?」
彼女は俺の気配にも気付いていなかったと言わんばかりに肩を跳ねあげて驚いていた。
碌に顔も見ずに声を掛けてしまったけど、彼女は……可愛かった。
前髪は眉毛を隠すくらいでキレイに揃えて切られている。前髪以外は肩口で切り揃えれられていて、いわゆるボブカットというのだっけ? 日本人形の少し髪が短いバージョンと言えば良いのだろうか。
背は小さく一五〇センチ前後で、小さい女の子はずんぐりとした印象になりがちだけど、ほっそりとしている。服の上からだけど、胸も控えめを通り越してペッタンコと言っても差支えが無いと思う。幼児体型という奴だろう。
「突然声かけてゴメン。驚かせちゃったかな」
「だ、だ、大丈夫で、あります」
彼女は未だに驚いた様子のままだけど、その場を取りつくろうためにだろうか、少し無理をして応えてくれた。
しかし、何も考えずに声を掛けてしまったけど、これって間違いなくナンパだよな。
元カノに振られて随分と女の子にガッツクようになってしまったようだ。
声を掛けた以上は仲良くなるように努力しよう。ここで引き返す会話術も分からないからな。
「さっきのってボカロの曲だよね?」
「え? うー、あー、な、なんのことでありますかぁ~」
とぼけ方がヘタ過ぎる。
ここはこのリアクションを無視して、こっちのペースで話を進めて見た方が良さそうだな。
「あの曲良いよね。初めて聞いたボカロの曲があの曲だったんだけど、未だに一番良い曲だと思ってるよ」
「ボカロ、聴くのですか?」
さっきは必死にとぼけようとしてたのに、普通に食いついてきたな。
「最近聴き始めたばかりなんだけどね。何かお勧めの曲とかあったら教えてほしいな」
「『夜空に咲く』、『最後のコーヒータイム』、『メープル』、『月光』、『サガ』!」
なんだろうか、八坂誠と知り合ってからこういう人間に出くわす確率が異常に高くなってしまっている気がする。