第6話
電車の中、少なくとも同じ車両の中には彼の姿はなかった。
生徒会長だからって、まあ、始業時間よりかなり早く学校についていないといけないなんて決まりはない。
だからこそ、今日は少し、待ってみようかな、彼を。神代直斗を。
なんだか、昨夜茜に言われた事が、頭の中を占めている。
「雪菜が恋をしているかどうかは知らないけど、少なくとも彼が雪菜の中で大きなウェィトをしめだしているわね」
どうだろう? でも、彼と話をするのは、私としては悪くない。
だから、そう、待ってみよう。彼はいつも、学校に来る時はほとんど遅刻ギリギリだ。
次の次、それまでに彼がこのホームに降りなければ、登校をすればいいだけだ。
通学カバンの中には、二日前に彼から借りたCD。そう、べ、別に彼を待っているわけじゃないんだから。彼がどんなCDを貸してくれるか、気になっているだけなんだから。
……言い訳としては、弱いだろうか?
私はベンチに腰をおろして、参考書を開いた。次の電車が来るまで、まだ時間がある。生徒会長たるもの、勉強をおろそかには出来ないよね。……こんな所で勉強せず、学校で勉強しろよ。そんな声が聞こえてきた気がした。空耳だろうか? それとも、私の心の声だろうか?
――――※※※――――
やはり、遅刻ギリギリの電車で来るのはやめた方がいいのだろうか? でも、そんなに朝早くは起きられないからなあ。
今朝は、岩月さんに貸す約束をしたCDを通学カバンの中に入れるという、いつもの朝より緊張したミッションをこなしたばかりだ。教科書やノート? そんなモノは学校に放置だ。ああ、喜んでくれるといいんだけどなあ。好きな音楽とか、好きなミュージシャンが一緒だったりすると、結構話が合うからなあ。好みが違う場合も結構話は弾むんだろうけど、それは僕が話し上手な場合に限るだろう。
通学ラッシュに揉まれながら駅のホームに降りたった僕を出迎えたのは、異様な空気だった。何だろう、もう秋も深まりつつあるのに、そこには熱気が立ち込めていた。降りる駅を間違えたのだろうか?
こんな熱気あふれる場所にいつまでもいるのは御免こうむる。そう言うわけで自動改札まで歩こうとした僕に、声がかけられた。
「あ、神代君。よかった、この時間だったんだね。一緒に学校まで行こうよ!!」
参考書か何かを通学カバンの中にしまった彼女は、軽く僕に手を振りながら僕の横に並んで、歩き出した。
「お、おはよう。今日はどうしたの? いつも、あと一つか二つ前の電車に乗っていた気がするんだけど……」
少しだけ、ほんの少しだけ岩月さんの顔に朱がさした気がした。気のせいだろうか?
「お、おはよう。え、ええと……、そう、神代君が貸してくれるっていうCDが凄く気になってね。どうせなら、学校に着くまでに貸してもらえないかなって思っちゃってさ。べ、別に神代君を待っていたわけじゃないんだよ? 神代君が貸してくれるCDを待っていただけなんだからね!!」
CDを待っていてくれただけなのかな? それとも、これが伝説のツンデレってヤツなのだろうか? 理解に苦しむ。流石にここで、「岩月さんのツンデレ、頂きました」なんて、言えないからなあ。
「ツ、ツンデレ……」
「生徒会長のツンデレ……」
「あの、岩月雪菜がツンデレ……?」
などと、周りからの声が聞こえてきた。心なしか先ほどより顔が赤い彼女の耳に、周りの声は聞こえていないようだった。
そうか、ホームに降りた時に感じた異様な熱気は岩月さんがホームで誰かを待っているような雰囲気を出していたからだな。で、岩月雪菜非公認ファンクラブの連中は彼女に声をかける事が出来なかった、という事か。……僕はいつか、ファンクラブの連中に刺されたりしないだろうな?
「ふふふ、今日はポータブルCDプレイヤーも持ってきたんだから。ちゃんと、コンビニで電池も買ったし。さ、貸して、神代君オススメのCD。もちろん、借りてたCDは返すね、はい、コレ」
よっぽどCDへの期待値が高いのかなあ? それとも、恥ずかしさを紛らわせるために早口で言っただけなのだろうか?
CDを受け取り、彼女へCDを貸そうと通学カバンを開けた瞬間だった。
「ほう、全くと言っていい程教科書類が入っていないな。勉強を全くしていないと見える。今日は私の授業は……なかったな。他の教科の先生に頼んで今日は神代に問題を解きまくってもらおう。もちろん、私の前でイチャイチャした罰だ」
後ろから僕の通学カバンを覗き込みながら、近藤先生が僕らに話しかけてきた。僕だけに罰を与えるような感じで。
「お、おはようございます。い、イチャイチャなんて、していませんよ。ただ、CDの貸し借りをしただけです」
「何分間ホームで待っていたのかな? いつもの岩月ならとっくに教室に入っている時間帯だよなあ。青春だなあ。それに比べて私は昨日も独り酒。哀しいなあ。寂しいなあ。そんな私はお前たちに八つ当たり。オェッ」
なんか、酒臭いな、この副担任。そして、酒臭い副担任に詰め寄られ、顔を赤くする岩月さん。本当に待っていてくれたとするなら、僕か、CD、どちらを待っていたのだろう、岩月さんは。気になるッ!!
「まあまあ、雪菜も恋に恋する年頃なんですよ、近藤先生。許してあげてください」
そんな僕と岩月さんの二人に近藤先生が絡んでいるところに、救世主が現れた。岩月さんの親友にして、去年の僕のクラスメイトである江藤茜だ。眼鏡の似合う、ショートカットの美少女だ。ちなみに、岩月さんが生徒会長の仕事が忙しくなった為退いた女子弓道部の部長である。
男子の弓道部の部長? 知らんな。確か、“弓道の貴公子”の二つ名を持つ男は東桜高校にはいなかった気がする。まあ、どうでもいい事だ。
「おやおや、弓道部部長様は、元部長の肩を持つのか。私の味方はいないのか?」
酒がまだ抜けていないのか? まあ、だからこそ電車で来たのだろう。酒癖の悪さも生徒の間では有名なのだが、何故か保護者にその話は伝わっていない。最近東桜高校の七不思議に数えられるようになったとのもっぱらの噂だ。
「それで、何のCD借りたんだ? 私にも教えろよ。近頃の若者の流行の歌は、何なんだ? 年が近い分、話が合わないだけでオバサン扱いされる可哀相な私に教えてくれよ」
そう言いながら、岩月さんが僕に返したCDを僕の通学カバンから近藤先生は抜き取った。そして、それを見て僕に一言。
「お前、マジか……?」
「何が悪いんすか」
「お前世代でも、聞くんだ……。私よりも上の世代のストライクゾーンだぞ、このバンド……。よし、私も聞いてみよう。よって、没収」
そう言って、近藤先生は自分のカバンに今僕が岩月さんから返してもらったCDを入れたのだった。
「まあ、CDの貸し借りくらいで私は文句を言わんぞ、神代。お前が勉強をしさえすればの話だ」
いつの間にか、四人揃って改札を抜け、駅から出ていた。
「おっと、これ以上遅くなるわけにはいかんな。タクシーで行こう、この後は。よし、岩月、江藤、ガールズトークと洒落こむぞ。さあ、乗った乗った」
そう言いながらタクシー乗り場にちょうどいたタクシーに岩月さんと江藤さんを押し込み、近藤先生はタクシーで東桜高校へと向かった。僕もタクシーに乗せてもらおうと思ったのだが……。
「もちろん、お前は歩きな。頑張れ、男の子」
凄くイイ笑顔だった。そして、僕は岩月さんにCDを貸す事が出来ないまま、失意の中学校へ向けて歩き出したのだった。
どうして、こうなったのだろう?
答えは風の中にでもあるのだろうか? 僕にはもちろん感じる事は出来なかった。
何だろう、希望溢れる陽光溢れる春の木漏れ日の中で眠っていたのに、いつの間にか北風に吹き飛ばされた気分だ。
何人かの岩月雪菜非公認ファンクラブの連中が、僕を指さし笑いながら追い抜いていった。