第12話
ガチガチに緊張していた。洋菓子店「チェスナッツ」の窓際の席、目の前に座るのは、岩月さん。ああ、なんて素晴らしい日なんだろう。放課後のひと時をこうして、彼女と過ごせるなんて。ギターの練習なんてしている暇はない。それは、モチのロンよ……、古いだろうか、僕の言葉のチョイスは? ああ、しかし本当に素晴らしいひと時になってもおかしくないのだ……、僕の横に座る松本がいなければな……!!
残念な事に、今日は僕と岩月さんの二人きり、と言うワケではない。僕の隣にはイケメン(殺意だけで人が殺せるのなら、僕はイケメンを皆殺しにする自信があるね)、そして、岩月さんの隣には宮下さん。
そう、あれから宮下さんの誘いに乗り、僕もケーキショップなどの専門店巡りに参加する事になった。今月金欠になる事は確定だけれど、せっかくのチャンスだ。無駄にはしたくない。少しでもいい、岩月さんとの距離を縮めたい……、心の中だけでも、「雪菜」って呼び捨てにしたいな。心の中だけでも呼び捨てにするなど、まったく自信がないね。
どうでもいいけど、最近ではケーキショップなどと言わずにスイーツショップだとか、パティシエールなどと店名につけているところもあるという。よく分からない。何がどう違うのか? まあ、美味しければ何でもいいのだ。
「いやあ、やっぱりこのお店を今日最後のお店にしてよかった!! 最後にこの美味しいチーズケーキを食べられる幸せ……!!」
宮下さんは、本当によく喋り、よく食べる子だ。まあ、でも、こんなに快活な彼女は見た事がない。もちろん、そこまで親しくない僕が絶対にそうだ、と断言はできないけれど。
「しっかし、宮下オススメの店は外れがなかったな。今日は付き合えて良かったぜ。いや、本当は結構こういうお店、興味があるんだけどな。野郎一人じゃ入れないし、野郎二人とかでもそれはそれで入り辛いからなあ」
松本が嘆息と共に、言葉を吐きだした。それには、僕も同意見だ。意味は違うけれど。お前の場合は一人で入っても絵になるからいいんだよ。店内の女の子の視線がケーキではなく、お前に向かう可能性が高いからなあ、居辛いだろうよ。僕の場合は、「何コイツ、ボッチ?」トカ「リア充のテリトリーに入ってくんなよ、ボッチが」なんて視線が突き刺さってくるんだぜ? まあ、大半は僕の被害妄想だろうけどな。
「放課後だけで、チーズケーキ五個に、チョコレートケーキ五個だなんて……」
「なあに悲しそうな声を出しているの、雪菜? いいじゃない、こんなに美味しいんだから……」
「太りそう……」
「はうあ!!」
岩月さんの悲しげな声に、胸をおさえて肩を落とす宮下さん。いや、それは確かに女の子だけでなく、男だって気になるよ。僕だって太りたくないからなあ。しかし、よく分からない悲鳴を出すなあ。
「んだよ、気にすんなよ。運動すればいいだけじゃねえか」
「運動は好きじゃないんだよね。雪菜は弓道部だからまだ、少しは運動をするだろうけどね」
どうやら、宮下さんはそこまで運動が得意な方ではないようだ。どこに出しても恥ずかしくない、否、どこに出しても恥ずかしい帰宅部である僕としては、親近感がわ……
「じゃあ、俺と一緒に運動するかい?」
「え、いいの?」
一緒にジョギングとか、軽いスポーツをしようぜ、とでも言われているのだと思ったのだろうか? 宮下さんが嬉しそうな顔を松本に向ける。しかし、その嬉しそうな声も、すぐに変わるだろう。
「ただし、ベッドの上で」
「え? え?」
「かなり、カロリー消費すると思うぜ? どう?」
こんな下ネタ満載のセリフを軽々しく言えるのも、イケメンだからこそ。僕が言っていたら、きっと、汚物を見る目で見下されていたに違いない。何故か、近くの席に座っていたOL風の女性が、「私でよければ、ベッドの上での運動、大歓迎だけどねえ……」などと呟いていた。おいおい、欲求不満かい、あんたは?
そして、松本が話した言葉の意味が理解できたのだろう、岩月さんが宮下さんの横で顔を真っ赤にしていた。
「べ、ベッドの上での運動なんて、き、きっと、アレだよね……」
何でそんなにテンパっているのだろう? もしかして、岩月さんほどの美人でもそんな経験はないのかもしれない。ああ、僕も岩月さんとベッドの上で運動をしたい。そうなりゃ、きっと、カロリーだって千キロ単位で減らせる自信があるね。どのくらい運動をすれば千キロカロリー以上消費するかなんて、知らないけどね。
僕が岩月さんに僕たちも、ベッドの上で運動をしませんか、と問いかけるべきかどうか悩んでいるうちに、宮下さんが答えを出したみたいだ。
「そ、そうだね……、お、お願いしていいかな……?」
これが、イケメンパワーか? なんていう事だ。学園祭を機に付き合う男女が増える事もあるとは聞いていたが、学園祭を前にして、既に一人陥落しやがった。何故、何故だ? 何故僕はイケメンに生まれ落ちなかったのだ? 世界は、やはり僕に優しくないのだろうか?
僕が世の中のイケメンに殺意を抱いている時、隣からは恐ろしい言葉が発せられた。
「そうか、じゃあ、頑張るか、枕投げ」
「へ?」
「え?」
宮下さんだけでなく、岩月さんからも間の抜けた声が聞こえてきた。やはり、想像していたのと、答えが違っていたのだろう。僕も、たぶん二人と同じ事を考えていたけれど。
「バーカ、そんな大事な事、こんなドサクサ紛れで言うワケねえだろ? 少なくともそんなダイエットしようぜみたいに告白なんてしねえよ、俺は」
流石に少し恥ずかしくなったのか、頬をポリポリ掻きだす松本。
「そ、そうなんだ、そうだよね……」
きっと、何かしら期待していたのだろう、宮下さんは少しがっかりした声をしていたように感じた。
近くの席から、「おい、何勘違いしているんだよ。普通、ベッドの上での運動なんて、枕投げしかねえだろうが」というOL風の女性の声が聞こえていた。貴女こそ、普通ではないと思いますよ。
「ま、まあ、でも、ここのケーキは本当美味しかったよ。奏オススメなだけはあるよ。ね、そうだよね、神代君」
きっと、場の空気に耐えきれなくなったのだろう。岩月さんが僕に急遽話題を振って来た。
「そ、そうだね、ダイエットには枕投げが有効だよ、きっと」
まさか、そこで話を振られるとは思ってもいなかったので、変てこな回答をしてしまった。
「神代君? いったい、何を考えているのかな?」
岩月さんにジト目で見つめられてしまった。嗚呼、僕のバカ!! 近くの席のOL風の女性が、「あんたとじゃ、枕投げしたくないね」との声が聞こえてきた。あんたには言ってねえよ!! イケメンじゃなきゃ、許されないのか!?
「じょ、ジョークだよ、場を和ませるためのジョーク!!」
嗚呼、苦しい。あまりにもこの言い訳は苦しい。誰か、助けてくれ!!
「ま、まあ、でも、アレだね。そろそろ、出ようか? あんまり遅くなってもダメだからね」
岩月さんが僕の思いに気付いたのかどうかは分からないが、変な空気になりかけたところで、話を強引に変えてくれた。
僕は岩月さんの助け舟に乗る事にした。
「ああ、そうだね……。よし、松本、もう日が暮れた。宮下さんを送っていけよ」
僕は、岩月さんを送っていくからさ。それは、もちろん口にしない。松本は僕の考えを読んでくれるだろうか?
「そうだな。ま、悪いな。変な事言って。じゃあ、出ようか」
そんな事を言いながら、レシートをとり、颯爽とレジに向かう松本。僕の分まで奢ってくれるなんて、マジイケメン。「私の分まで奢ってくれないかなあ。そうしたら、心から尊敬しちゃう」、……ねえ、貴女いったい何モノ?
そして、松本以外、出口へと向かう。向かう、が、僕だけがっしりと腕をつかまれた。
「お前、自分の分は自分で払えよ」
……イケメンは、敵だ!!
渋々、僕は自分の分を払いにレジへと向かった。レジの向こう側のお姉さんの笑顔は、きっと、可哀相な僕を見て、面白くなって零した笑みに違いない。
そんな時、奥の厨房から「ザリガニケーキこそ、我が青春ッ!!」「人様が食えるモノを作れと言っているだろうがッ!!」という、言いあいが聞こえてきた。作っている人、いるんだ……。
なんて事だ。きっと、松本の事だ。
岩月さんと宮下さんを誘って三人で帰ったに違いない。
僕はイケメンに対する殺意を増大させたまま、洋菓子店「チェスナッツ」を後にした。
僕は、涙が落ちぬよう夜空を見上げた。
「ああ、月が出ている」
「そうだね……」
声の方に視線を向けると、岩月さんが一人で立っていた。
「奏は松本君が送っていくってさ」
「そう……なんだ」
あいつ、もしかして気をきかせてくれたのかな?
「岩月さん……送っていこうか?」
「ふふ、よろしくお願いします」
彼女の微笑は、まるで闇夜を照らす月のようだ。でも、きっと、本当は彼女の微笑が差し込んだのは、僕の心の闇だ。
そんな事をつい、考えてしまった。ポエマーになれるかもしれないな、僕は。
ああ、叶う事なら、この幸せな時が出来るだけ長く続きますように。
僕は、信じてもいない神様に、願いたくなった。




