寄生種
「やぁ、こいつは凄まじいな」
アテ村の集会所へと足を踏み入れた白髪の男は、髭だらけの口元をにやりと歪めながらそんな感想を口にした。
「俺とサイラスのぶんは残ってるかな?」
「遅かったなジーク、もう少しで全部食ってしまうところだったぞ」
冗談めかしたジークの言葉に、アーデは笑いながら答える。
長机に所狭しと並べられた料理はあらかた食べ尽くされ、皿の上にはもうほとんど何も残っていない状態だ。とても四人で平らげたとは思えない。
続いてサイラスが短く刈った頭を屈めて扉をくぐる。筋骨隆々なその巨体は一見してどこかの傭兵のような威圧感があるが、人の良さそうな糸目の顔がどこか柔らかい雰囲気を漂わせていた。
「まぁそう心配するな、お前たちのぶんはちゃんと別にとってある。ほらユーリ口を開けろ」
「それを聞いて安心しました。ところでユーリ、お前は何をしとるんだ」
「見ればわかるだろう」
気だるい声のユーリは、アーデの手で目の前に差し出された骨付き肉を齧る。
「お姫様に餌付けされてるのさ」
一度は止めたカーラも、腹の虫を鳴らしながら我慢し続けるユーリ、そしてなおも彼に食事を与えようと恨めしげな目を向けるアーデに根負けしたのか首を縦に振り、それ以上は何も言わなかった。
「まったく、お前もいい身分になったもんだな」
手近な席に着いたジークはそんな風に茶化しながら、給仕の娘に差し出されたリンゴ酒入りのジョッキを受け取る。サイラスもまたジョッキを片手に、無言でユーリとアーデの様子を眺めて笑った。
*****
「さて、これでやっと役者が揃ったというわけだな」
ひとしきりユーリをいじり倒した後、集会所に揃ったジーク率いる竜騎兵団の面々を見まわしたアーデは、改まった様子で話を切り出す。
「まずはここにいる全員に、我が父オスターク皇に代わって礼を言わせてもらう。あの森の竜は、元はといえば我ら紅竜騎士団が討つべき相手だった。お前たち市井の者が命を賭けずともよいようにな」
先ほどまでの明るさとは一変し、アーデは真面目な様子で語る。
「はっはっは、それなら気に病むことはありませんぞ。我々とて善意で竜を狩っているわけではありません。アテ村の長老が用意した報酬のためです」
「うむ、それでもだ」
笑いながら返すジークに、アーデは微笑みながら話を続ける。
「このアテ村からはな、竜退治の依頼が何度も届いていたんだ。もちろん放っておいたわけではないが、皇国内の各地から同じような依頼が騎士団に数多く寄せられていてな。結局は後手に回らざるを得ない状況なのだ。その上、出撃するたびにやれ議会の承認だの出兵手続きだのと煩くてな。頭にきてクラウソラスを勝手に持ち出してきたんだが、そこでお前たちと鉢合わせしたというわけだ」
そんな風なことをさらりと言うのだが、聞いているジークたちはあまりの無茶ぶりに閉口するしかなかった。それも当然のことである。
皇竜騎といえば一国の至宝ともいうべき竜騎兵。それを勝手に持ち出し、あまつさえ実戦に投入しようなど、手近なところにあるからといって王冠で敵をぶん殴るような行為だ。正気の沙汰ではない。
「あんた無茶苦茶するな……」
若干引きつった顔でユーリが呟く。だがアーデは少しも悪びれる様子もない。
「何を言うか。国の宝だなんだと言ったって、結局のところ竜騎兵は竜を狩るための兵器だ。この人手が足らない時に、宝物庫で眠らせておく方がおかしいだろう。傷が付いたら直せばよいだけのことだが、地虫竜に食い荒らされた森は十年やそこらでは蘇らないぞ」
それは完膚無きまでの暴論だが、アーデが言うと妙に説得力がある。
「確かに。まぁ経緯はともかく、おかげで我々も命拾いしたことですし、報酬さえきちんと頂けるならば、こちらとしては何も問題はありませんな」
そう、報酬だ。
ジークたちは各地を放浪する流しの竜騎兵団である。
各地でこのように依頼を受けて竜を狩り、その報酬で食い繋ぐ毎日を送っている。
だがそれは時に様々な理由、大抵は難癖に近いものだが、そういった要因で報酬が無くなったり目減りしたりすることがある。
装備も弾薬も無料ではない。そうなれば死活問題だ。
例えばここでアーデのような地位のある者が、助けてやったから、などと言い出して報酬の引き渡しを拒否した場合、再度の交渉は難しいものとなるだろう。
死にかけた挙句にタダ働きでしたという事態だけは、なんとしても避けねばならない。
だが、アーデの思惑は全く逆のものだった。
「あぁ、その件だがな。今回のことはオスタリカの守護を預かる我ら紅竜騎士団の落ち度だ。これでアテ村に金銭的な負担までかけては面目も立たんのでな、報酬や損害の補填はこちらで用意させてもらおうと思っている」
「それは願ったり叶ったりですな。アテの長老は値切りの交渉が上手くて困っていたところですよ」
実際、アテの長老から報酬として提示されていた金額は、逗留中の宿泊費や食費などを差し引いた額に、織物などそれなりの値が付きそうな物品による現物支給を合わせたような程度だった。
さらに今回はユーリのグラディウスが両腕を切断されるというアクシデントもあり、正直その額ではまったく割が合わず、駄目で元々の増額交渉を切り出そうとしていたのだった。
「ユーリが乗っていたグラディウスタイプ、あれはもう使い物にならないのだろう。だったら代わりの竜騎兵を我が騎士団から進呈しよう。パルチザンタイプ、サーペント級の竜騎兵だ」
アーデの言葉を聞いた瞬間、リンゴ酒に口をつけていたアーベルが派手にむせ込んだ。
「パ、パルチザンだって?」
アーベルが驚くのも無理はない。サーペント級といえばユーリたちが扱うリザード級よりも一つ上の等級だが、金額にしてその価値は数十倍にもなる。最初にアテの長老から提示された額からすると、下手をすれば百倍近い報酬額だった。
平静を装っているカーラですら目が泳いでいる。
「なんだアーベル、不満か?」
「いやいやいや、滅相もない!」
全力で首を振るアーベル。使えなくなった一騎の補充をどうするか悩んでいたところへ、より上位の竜騎兵を提供されるのだ。不満などあろうはずもない。
「一応言っておくが、私の金銭感覚がおかしいわけではないぞ。これだけの報酬を出すのだからな、こちらからも一つ条件を出させてもらう」
「と、申されますと?」
思わせぶりなアーデの言葉に、ジークが怪訝そうな声で尋ね返す。
それでなくとも破格の報酬内容だ。どんな理不尽な話が飛び出すのか、わかったものではない。
「今このオスタリカでは竜の被害が急増している。原因は恐らく、あの赤いクモのような虫竜だろう。しかし、先ほども言ったように、我ら騎士団の力だけではどうにも対処しきれないのが実情でな」
なるほど、とジークは思う。話が読めてきた。
「そこで我々のような民間の竜騎兵団を雇って、一時的な戦力の増強を行いたいと。達人と名剣一本きりで戦争はできませんからな」
「そういうことだ、話が早くて助かる。もちろん住む場所も食事も提供するし、多くの竜を討ち取れば追加で報酬も出そう。どうだ、悪い話ではないと思うが」
「ふむ、確かに」
「悪くないな」
横からカーラも口を挟む。ジークがいない時のまとめ役であり、実戦における指揮官でもあるカーラの一言は、団長であるジーク同様に重みがある。
アーベルやサイラスも、カーラとは長い付き合いだ。彼女が首を縦に振ったのなら、それは二人の意見も考慮に入れてのことである。
残るは若年のユーリのみだが、彼は報酬だなんだといった話にはとんと無頓着で、平たく言ってしまえば『竜と戦えればそれでいい』というスタンスである。
つまり、条件については満場一致というわけだ。
しかし、気になる点はある。奇妙な虫竜のことだ。
「あの赤い虫竜、あれは一体なんだ」
ユーリはアーデに対して単刀直入に尋ねるものの、彼女は明確な答えを持ち合わせてはいなかった。
「情けない話だが、本当にわからないんだ。どこから来たのか、何匹いるのか皆目見当もつかない。わかっているのはあれが竜核を持つ竜の一種であるということと、必ず何匹かの群れで行動する習性を持っていること。そして、どうやら他の竜に寄生して操っているらしい、ということだけだ」
首を横に振り、アーデは言った。
「ガルシカバチ」
唐突に、それまで無言だったサイラスが奇妙な言葉を口にした。
「ガルシ……なんだって?」
横で聞いていたアーベルが聞き返す。
「ガルシカ地方南部の熱帯域に生息するハチの一種だ。幼生期に大型の甲殻種などに寄生して宿主を意のままに操り、身を守りながらその体を食い荒らし成長する」
竜とは恐るべき早さで進化する生命体だ。そのように進化した種がいても不思議ではない。
「そうだな。多分サイラスが言うような寄生種であろうと我々も推測している。まぁ、そう強い種でなければ放っておいて他の竜を食い荒らしてもらうところだが、お前たちも見た通りあれは危険な種だ。それに、数が増えるとさらに厄介な事になるかもしれん」
まだ何かあるのかと、若干うんざりしながらジークたちはアーデの話に聞き入る。
「先日、我々の部隊が北方の森に派遣された際、やはりあの虫竜に襲われたらしく、数騎が倒された。私は無事に逃げ帰った者たちと再びその場所を訪れたのだが……」
そこまで言って、アーデは言葉を切る。
何かとても醜悪なものを見たような、沈んだ表情だった。
「だが、なんだよ」
焦れたユーリが続きを促すと、アーデは小さく一つ息を吐き、続けた。
「だがな、そこに倒れていたはずの竜騎兵は、一騎残らず消えていた。残っていたのは倒れた自騎から脱出しようとして虫竜に殺された乗員の死体だけだったよ」
忽然と消えた竜騎兵。
その話を聞いた瞬間、ユーリはある事実に気付いて背筋に悪寒を感じた。
虫竜は、恐らく竜核を通じて竜の肉体を操ることができる。
それはサイラスが話した寄生バチのように相手が生体である必要もなく、竜核が残り生命活動が維持されていれば良いのだろう。
そして、同じような要領で竜の肉体を利用する生物が、この地上にはもう一種いる。
「あの虫竜は恐らく、人間と同じように竜騎兵を操ることができるんだよ」
それは、考えうる限り最悪の習性だ。
倒れた戦力が敵として蘇る、まるで駒取りゲームのような話。
しかも相手は放っておけば勝手に手駒を増やしてゆく。
長期戦になれば明らかに不利である。
「最強の対竜兵器が最強の敵になるかもしれない事実を、議会の連中は甘く見過ぎている。あれは早急に滅ぼさなくてはならないんだ。頼むジーク、お前たちの力を貸してくれ」