シガイア城塞防衛戦 1
爆音がひとつ響くたびに、南門の壁上に殺到する肢竜が一匹ずつ切断されていく。
『すげぇ! あれが女将さんの言ってた“竜殺し”っすか!』
「いいや、こいつは違うね」
黒い竜の情報をあいつに渡したなら即座にすっ飛んで来るだろうが、さすがに文字通り空を飛んで来るほど常識外れでもなかったはずだ。
というより、この紅い竜騎兵は間違いなくオスタリカの紅玉竜、クラウソラスだ。
だったら、乗っているのは竜殺しではない。
老婆は抱えていた迫撃砲の砲弾をゆっくり足元に下ろすと、クラウソラスへと大声で問いかける。
「助勢に感謝する! あんたオスタリカの竜狩り姫だろう!」
オスタリカの竜狩り姫。
皇竜騎クラウソラスを駆れるのは、その名を持つ者だけだ。
現在、竜狩り姫の名を継いだのは、前大皇の実子であるリゼリア=フェル=オスターク姫のはず。
『いかにも、こちらはオスタリカ軍、紅竜騎士団の団長リゼリアである! ケラート候はおられるか!』
壁上を埋め尽くす肢竜の残骸を次々に蹴り落としながら、リゼリアは大声を上げる。
『現時点をもって三国の盟約に従い、オスタリカ、アヴァロンの両国は貴国と共に同盟軍となる! ケラート候も残存兵力と共に我らの指揮下に入られよ!』
高らかに宣言しながら、壁下から新たに顔を覗かせた一匹をキャリバーの腹で叩き潰す。
死骸はそのまま壁の外へと転がり落ち、まだ生きている肢竜が即座にそれに飛びついて、不快な音を立てながら貪り始めた。
やはりこいつらは食欲の塊だな、と胸糞の悪い食事風景を見下ろしながら、リゼリアは爆炎筒を数本まとめて肢竜の群れへと投げ込んだ。
金属製の筒が城壁の表面に当たり、かつんと小気味の良い音を立てる。
その音に反応した個体が数匹、餌だと思ったのか落下する爆炎筒に飛び掛かり、一口に飲み込んだ。
ばーか。
と、リゼリアが小さく呟いたと同時に、派手な爆音を鳴らして爆炎筒が弾ける。
それを飲み込んだ個体は当然ながら内部から破裂し、心なしか薄汚れたように見える炎を体中から噴き出して、周囲を巻き込みながら粉々に吹き飛んだ。
「あー、盛り上がってるところ申し訳ないが、ケラート候は留守だよ」
首に手を当て、ばきばきと音を鳴らしながら老婆が答える。
『はぁ? どういうことだ』
先程まで纏っていた威厳を忘れ、思わずリゼリアが頓狂な声を上げた。
この非常事態に城主が不在とは、一体どういうことだ?
「いや、国境線近くで迫撃砲の音がしたってんで、あんたらだと思って迎えに出て行ったきりさ。その様子だと合流できなかったみたいだけどね。どっかその辺に転がってなかったかい?」
『あぁ……まぁ、それっぽいものは見たな』
つまり、ここに来る途中でリゼリアたちが見た第四剣狼騎士団の残骸のうち、どれかが誉れ高き猛将ケラート候、その人なのだろう。
なんとも間の抜けた話だ。
「止めたんだがね。昔気質の騎士道精神ってやつに押し切られちまった。遠く同盟国から援軍が来たってのに、自分だけ安全な場所に籠ってられなかったんだろうさ」
それで味方や城塞を危機に晒しているのだから世話は無い。
リゼリアには、一片すらも理解のできない世界の理屈だった。
『馬鹿じゃないのか』
「あぁ、馬鹿だねまったく」
リゼリアも老婆も同じように言うが、周囲の人間には、二人の言葉はまったく違うものに聞こえた。
で、とリゼリアは、クラウソラスの腕で脇に転がるファランクスを拾い上げながら続ける。
『お前は一体、誰なんだ。どこかの騎士か?』
今更ながらにもっともな質問を老婆に投げかける。
どうも軍属ではなさそうな気がするが、自国の大皇や自分自身、あとはヘズ辺りの立ち居振る舞いを考えるに、見た目や態度で判断はできない。
「あたしが騎士に見えるかい? そんな大層なもんじゃない、ただの技師屋さ」
いやいや待て待て、とリゼリアは眉根を寄せる。
『なんでただの技師屋が、騎士団の指揮なんか執ってるんだ』
当然の疑問を口にしたと同時に、脚元の壁をまた一匹、肢竜が登り切って顔を覗かせた。
クラウソラスはリゼリアの反射神経に即座に応え、片腕でファランクスの砲口を眼鼻の無い不気味な顔に向け、一呼吸も置かずに引き金を引き絞る。
がきん、と硬い音がしてファランクスの内部機構が動作する。
しかし、その砲口は沈黙したままで、弾頭が発射されることはなかった。
それは細切れにされたハルベルトが落とした、弾詰まりした一丁だった。
『あれ?』
一瞬、思考に空白が生まれる。
それを知ってか知らずか、肢竜がファランクスごとクラウソラスの腕を飲み込もうと大口を開けた。
やばい――そう思うよりも先に。
『でぇりゃああああっ!』
裂帛の気合いが、リゼリアの腹の底から自然と飛び出した。
咄嗟にファランクスを持った右腕を振り上げ、そのまま鋼鉄製の砲身を無防備な肢竜の頭に向かって、一直線に振り下ろす。
重量で言えば、両手持ちの大剣であるキャリバーとそう大差ない代物だ。
ましてやそれが皇竜騎の出鱈目な膂力で叩き付けられるのだから、破壊力は推して知るべしといった感じである。
落とした果実が砕けるような音と共に何やら黒い肉塊のようなものが四方へ飛び散り、肢竜の頭は綺麗さっぱりこの世から消え失せた。
整備がなってないな、とリゼリアは舌打ちをし、砲身のへし曲がったファランクスを壁の内側へと放り捨てる。
直後、壁の下から情けない悲鳴が上がった。
『どわぁぁぁっ! 危なっ! でもって生臭っ!』
捨てられたファランクスはノックスのハルベルトの僅か一歩ぶんの距離に落下し、花崗岩の石畳を粉々に砕いた。
肢竜の体液やら何やらがべっとり貼り付いた砲身からは、魚類のような強烈な生臭さが立ち昇ってくる。
『ちょっと何するんすか! 危ないでしょうが!』
『あぁすまん、居たのか』
憤慨するノックスとは対照的に、リゼリアはさも興味なさげに適当な謝罪を返す。
『で、結局お前は何者だ。いい加減に名前くらい名乗れ』
左腕のキャリバー、その切っ先を老婆に向けながら問う。
答えなければ殺す、という訳でもないが、一向に進展しない会話に少々飽きてきたのも事実だ。
『知らないならこの俺が教えてあげましょう。何を隠そうこのお方こそヴァルツヘイムの――』
「ノックス! お前は余計なこと言ってないで黙って扉押さえてな!」
大声で叱責されたノックスが、へい、としおらしく答える。
「隠すほどのことでもないんだが、一応いろいろと面倒臭くてな。だがまぁ、私自身が話すのは問題ないだろう」
老婆は腕を組んだまま、背筋を伸ばして名乗る。
「私はライラ。ライラ=スレーゲン。王都で工房開いてる技師屋で、一応これでもヴァルツヘイム軍の技術顧問だ。ここに来たのは、昔馴染みの知り合いに会うためさ」
『ますますもってわからん話だ。なんで技術顧問様が指揮なんか執ってる。そもそもお前、指揮権持ってるのか?』
話を聞くに、軍と関わりがあるとはいえ民間人だ。
竜騎兵の扱いには長けているのだろうが、それも工房の中の話だろう。
しかしライラはまったく動じることもなく、リゼリアの問いを笑い飛ばす。
「はっ、この状況で指揮権なんて関係ないさ。それに指揮ってのはな、一番肝が据わってる奴が執るもんだ」
無茶苦茶な暴論だが、妙な説得力がある。
結局のところ、土壇場でものを言うのは実戦経験なのだ。
この異様なまでの落ち着きぶりを見るに、ライラのそれは城塞に残った誰をも上回っているのだろう。
「さて、今度は私からも質問だ」
ライラは逆にリゼリアへ問いかける。
『何だ? 援軍ならあと一刻は来ないぞ』
「一刻? えらく先行して来たもんだね。そんなんで連携取れんのかい?」
『余計なお世話だ。あんまりトロくさいから置いてきたんだよ』
少々ばつの悪そうな返事と共に、リゼリアがキャリバーの刃を下ろす。
「まぁいい。で、お前さんとこに竜殺しのユーリはちゃんと来てんだろうね」
竜殺し。
また竜殺しかよ、と小さく呟く。
なんだかここ最近、どいつもこいつもあいつの話をしている気がする。
『来てるよ。今頃たぶん森を突っ切ってる最中じゃないか』
心なしか不機嫌そうに聞こえたその答えに、ライラは「そうか」と笑った。
「だったら後は時間の問題だな。おいお前ら! もうちょっとの辛抱だ! あと一刻もたせろ!」
周囲の兵に号令をかけつつ、別の門を守る部隊に伝令を走らせる。
あと一刻で、あいつが来る。
となれば、この絶望的な状況を切り抜けられる目も出てきたというものだ。




