表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜騎兵物語 ~ドラグーンクロニクル~  作者: AK
統一歴518年 ヴァルツヘイム
67/70

許されざる者たち 2

 灰のように真っ白な世界の中に、真っ赤な血の華が咲き乱れる。

 誰かが剣を振るうたび、それは空中へと飛び散り、降りしきる雪に混じって地面へと落ちる。

 血だまりからは命の温もりが(うす)い湯気となって立ち昇っていたが、それも大粒の雪と混じり合い、あっという間に消え失せた。


 声にならない(かす)れた叫びがレーナの(のど)から漏れ出す。

 テオバルドの元へ駆けようとしても、ヒルダの腕に羽交い絞めにされて身動きができない。

 ありったけの力で全身を暴れさせて抵抗するが、たかが十歳程度の小娘の力でどうにかなるはずもなかった。

「離せ! 畜生!」

 やっとのことで出てきたのは、そんな愚にも付かない言葉だけだった。

 しかしヒルダは何も答えることなく、より一層、拘束する力を強めるだけだ。


「なんで殺すんだ! 助けてくるって言っただろうが!」

 これ以上ないほど両の目を見開き、獣のように歯を剥いてレーナは叫ぶ。

 この凄惨は光景を目の当たりにして、少女の胸の奥から湧き上がってきたのは、ありきたりな(なげ)きなどではなかった。

 目尻に浮かぶ涙は悲しみではなく、もっとどす黒く焦げ付いた匂いのする感情によるものだ。

 それは怒り。

 それは憎悪。

 それは殺意。

 少女はこの瞬間、初めてこれらの感情を認識した。

 誰に教えられたわけでもない。

 喜びや悲しみと同じく、怒りも憎しみもまた、人間に始めから備わっている機能なのだ。


 黒騎士は剣に付いたテオバルドの血を振り払いつつ、レーナに背を向ける。

「他の者はどうでもよい、と申し上げたまでです。しかし――」

 と、今度はすぐ近くで恐怖に震えているイスマに切っ先を向けて、言う。

「姫君を(さら)い隠した(ぞく)どもには、死んでもらわねばなりません。我々は、貴女様を、野蛮の手からお救い申し上げるのですから」


 黒騎士が何を言っているのか、レーナにはまったく理解ができなかった。

 自分は(さら)われたんじゃない。

 バカで大雑把だけど、テオバルドが悪い人間なわけがない。

 何でも教えてくれたウル先生が、優しかった集落のみんなが、(ぞく)なんて呼ばれるような人間なわけがない。

 病気がちで弱くて何もできないけれど、イスマだって殺される理由なんかない。


 だが、そんな彼女の思いなど届くはずもなく、広場の至る所で断末魔の叫びが上がる。

 ふと見れば、やや離れた血だまりの中に、ウル先生が倒れていた。

 彼は声を上げる間もなく、一刀の元に斬り伏せられていた。


 そして次に、黒騎士の片手が、か細いイスマの首を掴み、少しずつ持ち上げる。

 ()せて軽いとはいえ、首吊りのように全体重がかかれば首の骨などそう長くはもたない。

 イスマの首が(きし)みを上げ、その口から苦しそうな(うめ)き声が漏れる。

 後ろ手に縛られた腕は使い物にならず、ただ懸命に両足をばたつかせて黒騎士の体を蹴るが、さして体格が良いようにも見えない黒騎士はまったく動じることもなかった。


 殺される。

 イスマが殺される。


 そう考えただけで、レーナの体は再び出鱈目(でたらめ)に暴れ出す。

 女とは思えない力で抑え付けるヒルダの拘束に対し、それはまったく無駄な抵抗だった。


 しかし。


 一瞬、ヒルダの拘束が弱まった。

 何が起こったのかレーナには知る(よし)もなかったが、とにかく嘘のようにするりと体が自由になる。

 後方から咳き込む音が聞こえる。

 見れば、先程までとんでもない力でレーナを羽交い絞めにしていたヒルダが、焦点の合わない目を泳がせながらふらついていた。

 ふと、その腰に短剣の柄が伸びているのが目に入る。

 レーナは反射的にそれを手にすると、ヒルダの体を思い切り蹴り飛ばしながら一気に抜き取った。

 やや小ぶりな、何の変哲もない鋼鉄製の短剣。

 それを震える両手で強く掴みながら、レーナは黒騎士の方へと真っ直ぐに駆けだした。


 やめろ! と叫んだつもりだったが、その言葉はひどく不格好な唸り声にしかならなかった。

 短剣を腰だめに引き、全速力で黒騎士の背中へと突進していく。

 甲冑を着込んでいるわけでもないその背中は、子供の力でも十分に刺し通せるはずだ。


 殺せる。


 殺せる!


 殺してやる!


 頭の中が真っ赤になる。

 心臓は溶けた鉄が循環しているように熱を発し続け、体中の神経が一点に向かって研ぎ澄まされる。

 真っ直ぐに走り。

 真っ直ぐに突き込む。

 たったそれだけを考え、怒りと憎しみを(のど)の奥から(しぼ)り出しながら、少女は駆ける。


 ひどく長い一瞬だった。

 ふと気が付けば黒衣の背中は目の前にあり、奇妙に澄んだ意識の中で、両腕を全力で突き出していた。


 ずぶり、と嫌な感触が手の平に伝わってくる。

 大型の獣を解体する時に感じるような、肉が裂ける感触だ。

 次いで、生暖かい液体が刃先から流れ落ちてくる。

 大量の血液。

 手応えは十分にあった。


 けれども、レーナは目の前の光景に気付き、ほんの数瞬前の機敏な動きが嘘のように固まった。

 視界が真っ白に染まり、その中で血の赤だけがやけに鮮明に映る。

 異様なまでに白い肌は徐々に血の気を失って青白くなり、弱々しく震える薄い唇からは、大量の血が溢れ出していた。


 レーナは短剣を手放し、その場にへたり込む。

 彼女が目にしていたのは、短剣に刺し貫かれた黒騎士の背中ではない。


 鮮血で真っ赤に染まったのは、他でもない、イスマの背中だった。


「冗談が過ぎます、リゼリア姫。それは子供の玩具ではありません」

 盾にしたイスマの体を放り投げながら、黒騎士がまったく何でもない事のように言う。

 地面に放り出された彼の体は、まるっきり生命力を感じさせないぼろ切れのように転がる。

「ヒルダ、どうした」

「申し訳ありません、思いのほか早く戦闘薬が切れました」

 黒騎士の問いに、ようやく平静を取り戻したヒルダが答える。

 黒騎士はそうか、とだけ告げると、片手を振って彼女に新たな命を下した。

「火を放て。すべて燃やし尽くせ」

了解(ヤー)

 ほどなくして、集落跡のあちこちで大きな炎が上がり始めた。


 一方のレーナは、自分でもわかるほどの震えに襲われていた。

 全身の力が抜け、立つことはおろか、言葉を発することもできなかった。

 ただ、歯の根が立てるがちがちという音を感じながら、放心状態でイスマの方を見続ける。

 イスマの目は、どういうわけかレーナの方を向いていた。

 苦痛に歪むでもなく、怒りに震えるでもなく、ただ何の感情も込もらない瞳で、じっとレーナの目を見返していた。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 レーナは目に涙を溜め、言葉にならない声で繰り返しそう呟く。

 しかし、イスマの目は、そんな彼女にこう語りかけているように見えた。


 許さない――と。


 雪の中、燃え盛る炎に囲まれ、レーナの記憶はそこで完全に途切れた。


 *****


 ひとしきり話し終えると、アーデは再び煙草(たばこ)を口に含み、一息に吸い込んだ。

 その瞬間の彼女の目は、相変わらず美しい(すい)の光を放ちながらも、ユーリが今まで見たこともないほど悲しげな雰囲気を漂わせていた。


「初めて会った時、あの子はまるで野獣のような眼をしていたよ」

 どうしようもなく深い傷を抱えた彼女が会話できるようになるまで、二年の歳月を必要とした。

 名を呼んでも答えることもなく、自分では食事もろくに取ることもない。

 まるで殺気と敵意だけが詰め込まれた人形のようだった。


 だが、あるきっかけを境に、嘘のように正常に戻っていったとアーデは言った。

 それどころか、リゼリアは凄まじい勢いであらゆる知識、戦闘術を吸収していったのだった。


「何だ、そのきっかけってのは」

 ユーリが問うと、アーデはやや下方、自陣の竜騎兵が並ぶ場所を指差した。

 そこには、装甲を修復しているクラウソラスの姿があった。


「クラウソラスを見せた途端に、初めて口をきいたよ。“あの竜騎兵は黒騎士より強いのか”とな」


「おい、要するにそいつは……」

 いや、意味は聞かなくてもわかる。

 レーナが、リゼリアが求めていたのは優しさでも温もりでもない。

 戦うための、力だ。

 相手を確実に殺すための、圧倒的な力だ。

「それがいずれあの子の身を滅ぼすと、分かっている。でも、他にどうしようもなかったんだ。あの子に生きる気力を取り戻させる方法が、他に何も見つからなかったんだよ」

 珍しくか細い声で、アーデは言う。

 まるで何かに謝るように、深く、後悔の念を込めて。


 それだけではない。

 国を守るためには、より強い力が必要だった。

 老いたアーデの代わりに、クラウソラスの力を操る者が。


 リゼリアには、それができる。


 皇竜騎(アークドラグーン)クラウソラスの強大な力と、リゼリアの中に秘められた竜の力は、どうしようもなく引かれ合っていたのだ。

 運命という一言で片付けてしまうこともできる。

 けれども、しかし本当は、違うのだろう。

「私たち大人が、寄って(たか)ってあの子を“竜狩り姫”に仕立て上げてしまったんだ」

 なぁユーリ、とアーデは真っ直ぐに彼の黄金の眼を見据えて、言った。

「もしあの子が馬鹿な真似をしようとしたら、その時は――」

 と、何かを言おうとして飲み込み、再び口を開く。

「あの子を止めてやってくれ、頼む」

 アーデの真剣な願いに、ユーリはひとつ溜息を漏らし、谷底に座する不敗の紅玉竜へと視線を移した。

「あんたはいつも面倒な仕事ばかり持ってくるな」

 それは悪態のようでもあったが、アーデにとっては望ましい答えだった。

「面倒じゃなきゃ、お前に頼んだりしないさ」

 そう言って、アーデは少し寂し気に笑って見せた。


 *****


 吐き気と共に目を覚ましたリゼリアは、朦朧(もうろう)とする視界の隅に、何人かの人影を見た。


 ようお姫様と、誰かが笑う。

 まだ生きているのかと、誰かが(ねた)む。

 (かたき)を討てと、誰かが無言で訴えかける。

 そして、許さないと、顔の無い誰かが静かに(つぶや)く。


「うるせぇよ……!」

 うるせぇ、黙ってろ。

 黙って死んでろ。

 言われなくても、あたしはやるべき事を知っている。

 そのための力も手に入れた。


 心臓が、()けるように熱を帯びる。

 あの日、この胸に宿った感情は、まだ消えずに残っている。


 リゼリアは立ち上がり、幕屋の外へと歩み出していく。

 日は既に西へと傾き始め、戦闘準備を終えた兵たちが次の命令を待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ