許されざる者たち 1
陰鬱な曇り空の下、集落跡の広場に全員が並べられる。
まるで処刑を待つ囚人のように。
まるで屠られるのを待つ家畜のように。
後ろ手を鉄の枷で縛られ、冷たい地面に膝をつき、寒さに震えながら等しく死が配られるのを待っている。
太陽の光と共に、希望さえも厚い雲に遮られているようだった。
そして哀れな虜囚を睥睨するのは、ヴァルツヘイム候王ただ一人に忠誠を誓い、候王に仇なすものは人であれ竜であれ一切を滅ぼす忠実なる狂犬、黒騎士ヴァナルガンド卿である。
この男――正確には男か女かすら定かではないが――は、少なくとも二百年もの昔から歴代ヴァルツヘイム候王に仕え続け、老いることもなく、どのような方法をもってしても決して殺すことはできないとまで噂されいてる人物だった。
おまけに周囲にはヴァルツヘイム軍の竜騎兵ハルベルトが数騎、こちらに砲口を向けた状態で待機しており、対するテオバルドたちは全くの丸腰だ。
まともに戦って勝てる状況ではない。
広場を凍り付いたような沈黙が包み込む。
そして、ふわりと白い欠片が一つ、空から舞い落ちてきた。
静かに、静かに、雪が降り始めていた。
「野良犬の始末に来たつもりが、随分と面白いものに出くわしたものだ」
黒騎士はそう言い、部下の一人へと指示を送る。
「ヒルダ、この娘を本国へ連れ帰る。枷を解いて、くれぐれも丁重に扱え」
「了解」
答えたのは、黒髪をやけに短く切った長身の女だった。
ヒルダと呼ばれた彼女は、レーナの元へと歩み寄り、その脇を抱えて立たせようとする。
状況を飲み込めないレーナよりも先に抵抗したのは、テオバルドだった。
「おいてめぇら! 俺の娘に触るんじゃねぇ!」
獣が敵を威嚇するように歯を剥き、敵意を込めて叫びながら立ち上がって黒騎士に飛び掛かろうとする。
だが、所詮は両手の自由を奪われた丸腰の抵抗だ。
ひゅん、と風を裂く音がした。
同時に、テオバルドが地面へと倒れ込む。
一瞬、時間が止まったように静まり返り、次いで苦悶に満ちた叫び声が上がった。
叫んでいるのはテオバルドで、倒れた彼の周囲には、おびただしい鮮血が広がり始めている。
その段になって、ようやく誰もが黒騎士の手に握られた片刃の剣に気付いた。
あまりにも自然で、まったく気配すら感じさせない瞬速の斬撃。
切っ先には一滴の血すら付いていない。
テオバルドは出足を深く切り裂かれ、立ち上がることができなくなっていた。
「娘だと? お前の娘だと言うのか?」
ゆっくりとした動きで剣を鞘へと収めつつ、黒騎士は言う。
その口調は相も変わらず平坦なものだったが、どこか嘲笑うかのような雰囲気を感じさせた。
「貴様は状況がまったく理解できていないようだな。哀れなものだ」
「うるせぇぞ……この犬野郎……!」
なおも地面を這ってレーナの元へと向かおうとするテオバルドの頭を、黒騎士の足が強く踏み付ける。
「では聞くが――」
じりじりと足に力を込めつつ黒騎士が言い放った一言に、テオバルドは心臓を針で刺されたような感覚をおぼえた。
――貴様、この娘をどこで拾った。
*****
真夜中の渓谷にて。
激しい雷雨が巻き起こす滝のような轟音に紛れて、赤子の泣き声が耳に届いた。
ダークの鋭敏な聴覚が無ければ、間違いなく聞き逃していたような小さな声だ。
カンテラの小さな明かりを頼りに、周囲を見渡す。
すると、馬車の残骸のようなものに混じって、やや大きめの箱のようなものが見えた。
泣き声は、その箱から聞こえていた。
ダークの腕で箱を掘り起こし、力任せに開く。
やたらと頑丈な箱だったが、竜騎兵の力で開けないはずもない。
「おいおい……マジかよ」
中には、衰弱した赤子が一人、体を丸めて入れられていた。
「駄目だテオバルド、それはもう助からねぇよ」
同行していた仲間がそう言うが、テオバルドは再び箱を閉じ、ダークの操縦席へと仕舞い込む。
「連れて帰る。先生に見せればまだ助かるかもしれねぇ」
なぜそう思ったのか、後になって何度か考えてみたものの、一向にわからなかった。
ただ、その子が少しずつ成長していくにつれて、理由などどうでもよいことだと、そう思うようになった。
*****
「十年ほど前、オスタリカ皇国内で大規模な反乱があった。その際に、前大皇マクシミリアンの血を引く唯一の赤子が、行方知れずとなった」
呆然とするテオバルドに対し、黒騎士は静かに語る。
「赤子の母親は我らヴァルツヘイムの一角を治めるアウギュスト家の長女、アリアンヌ様。つまり、この箱の持ち主だ」
言いながら、アウギュスト家の紋章が入った箱を彼らの前に放り投げた。
ここまでくれば、もう黒騎士が何を言いたいのかは、誰もが理解できていた。
そしてもう一つ、と黒騎士が続ける。
「亡きマクシミリアン皇は、絹のような黄金の髪と、世にも珍しい翠の瞳を併せ持っていたそうだ」
黙って聞いていたテオバルドが、ウルが、イスマが、その場にいた全員がレーナの方へと視線を移す。
短く切った黄金の髪を風に揺らし、レーナはその美しい翠の目で、呆然としたように彼らを見つめ返していた。
「それでは、我らが王都までご同行願います、リゼリア=フェル=オスターク姫殿下」
*****
「嫌だ……」
初めて、この段になって初めて、レーナの口から否定の言葉が漏れ出た。
当たり前だ、こんな馬鹿な話があってたまるものか。
マクシミリアン? アリアンヌ? リゼリア?
そんな奴ら知らない、聞いたこともない。
「何なんだよテメーら、頭いかれてんじゃないか……?」
精一杯、威勢を張ったつもりだったが、その声はまるっきり子供のそれに過ぎなかった。
黒騎士はレーナの方へと向き直り、無慈悲なまでに冷静に言葉を返す。
「至って正気にございます。それに――」
と、歪んだ声音が切っ先のような鋭さを纏う。
「もし人違いとなれば、貴女様も含めてこの場にいる全員、生かしておく意味が無くなりますが」
迂遠な言い回しだが、要するに、抵抗すれば殺すと言っているのはレーナにも理解はできた。
違うと言えば、全員が死ぬ。
だが、逆にそうだと言えば。
彼らに従えば。
「あたしが行けば……みんな助けてくれるのか……?」
震える声で問うレーナに黒騎士が答える。
「我々にとっては他の者など、どうでもよいことです」
その一言で、レーナの迷いは消え失せた。
*****
あたしが行けば、みんな助かる。
親だと思っていたテオバルドが、親じゃなかったとか。
本当はどこか知らない国のお姫様だったとか。
確かに衝撃的で、荒唐無稽で、信じられない馬鹿話にひどく混乱していたるれど。
そんなこと、どうでもよかった。
ただ、みんなが殺されないようにするために、必死だった。
お連れしろ、と黒騎士が言うのが聞こえた。
もう抵抗はしなかった。
あたしがいなくなれば、それで全部終わりだ。
手を引かれ、テオバルドたちに背を向けて歩き出す。
これからどんな場所へ行くのか、どうなるのか、これっぽっちもわからないけれど。
それでも、みんなどこかで生きていると思うだけで、ほんの少し不安が和らぐ。
最後に、もう一度だけテオバルドの顔が見たかった。
ウル先生も、イスマも。
一言、さよならを言いたかった。
そして振り返ったあたしが見たものは――
倒れたテオバルドに剣を突き立てる、黒騎士の姿だった。




