昔語り 2
目の前に、女の子が立っている。
あたしはその子を、ぼんやりと眺めている。
わかってる。
こんなもの、ただの夢だ。
どうしようもなくクソったれなこの世界が、今より少しだけマシだった頃の、つまらない夢だ。
*****
「待ちやがれ! テオバルド!」
自分の身長ほどもある長剣を抱えた少女が、集落の出口に向かう竜騎兵の前に立ちふさがる。
必死で走ってきたのか、短く切った黄金の髪は乱れに乱れ、美しい翠の瞳にはうっすらと涙が浮かび、開きっぱなしの口からはぜぇぜぇと荒い息が垂れ流しになっている。
『おいおい、危ねぇだろ。踏み潰すとこだったぞ』
と、テオバルドと呼ばれた竜騎兵乗りの男が自騎の片脚を持ち上げてふざけたように笑う。
ダークと呼ばれる夜行性の獣竜を素体にした黒毛の竜騎兵は、そのまま脚を下ろして少女の前に跪く。
極めて隠密性の高い騎体特性ゆえか、それとも金属製ではなく巨獣の革を繋いで作った装甲のお陰か、その動きはおよそ竜騎兵のものとは思えないほど静かで柔らかく、接地の瞬間でさえ地響きひとつ立てることはなかった。
『直々のお見送り、勿体なき光栄にございます、お姫様』
「ふざけんな! てめー今度はあたしも連れてってくれるって言っただろうが!」
十歳そこらの少女とは思えない悪態ぶりに、テオバルドも思わず苦笑いを浮かべる。
『そりゃおめぇ勘違いだぜ。俺は竜騎兵で戦えるようになったら、って言ったんだ』
「動かせるようになっただろうが!」
『材木運びと狩りを一緒にするんじゃねぇよ』
「獣だって追えるぞ!」
『逃げた山羊だったろう、ありゃ』
少女はぐっと唇を噛むが、それでもまったく引き下がる様子はない。
そんな彼らの横を、テオバルドのものと同じダークが数騎、さして気に留める様子もなく歩いていく。
「何が駄目なんだよ!」
『ガキだから』
『そうだな、ガキだ』
『ガキにはまだ早ぇ』
テオバルドだけでなく、通りすがりの竜騎兵乗りが笑いながら口々に答える。
駄目だろう。
そりゃあ駄目だろうさ。
だってお前、戦うことがどんなに怖いのか、ぜんぜんわかってないじゃないか。
お前の抱えてるその剣が獲物の頭を叩き割った時に、一体どんな有様になるのか、知りもしないじゃないか。
*****
ぼうっとそんな考えを巡らせていると、気が付けばそこは簡素な木造りの小屋の中だった。
少し鼻を衝く薬品の香り。
そして雑多な物に埋もれるようにして薬の調合をする、初老の男性。
周囲にはわけのわからない器具や干した薬草、それから医術に関する分厚い本が乱雑に積み上げられていた。
「こら、落ち着きなさい。あと机に足を乗せるのもやめなさい」
「なんだよ先生はテオバルドの味方するのかよ! あの甲斐性なし、ぜんぜん約束守らねーんだぞ!」
相も変わらず粗野な口調で喚き散らす少女に、ウルは溜息と共にぼさぼさの白髪頭を掻く。
「まったく、酷い言葉遣いだ。テオバルドの奴、どんな育て方をしているのやら」
「だからこうやって先生に色々教えてもらってんだろうが。あいつバカだし、何も教えてくれねーし」
「こら、曲がりなりにも自分の親をバカなんて言うもんじゃない」
そう、優しく諭すように言い、頭を撫でる。
ウルはこの集落のどの大人とも違う、優しくて、穏やかで、理知的な人だった。
これがテオバルドだったら、有無を言わさず拳骨が飛んでいただろう。
先生はそういう暴力的なことがまったくの苦手だった。
その代わりに、どの大人よりも遥かに深い知恵を持っている。
だから強い者が称賛されるこの集落の中でも、先生を馬鹿にする奴は誰もいなかった。
彼の言うことはまったくの正論だった。
だが、それは子供にとってはまだ難しく、少し腹立たしいものでもある。
不貞腐れた少女は、ふんっと鼻息を鳴らして先生の手を振りほどくと、出入り口の扉へと駆けて行く。
と、彼女が取っ手に触れようとした矢先。
少女の小さな手が触れるよりも前に、軋んだ音を立てて扉が開く。
瞬間――息が止まった。
視界に飛び込んできたその姿を見て、全身の血が一気に凍りつく。
細く折れてしまいそうな体。
雪のように白い肌。
銀色に光る髪。
まるで陶器でできた作り物のような少年が、そこに立っていた。
だが、少年には、顔が無かった。
怪我や何かで失われたとか、そういう事ではない。
真っ黒なもやが顔面に纏わりついて、感情はおろか人相もわからない状態だ。
思い出せない。
彼の顔を、思い出すことができない。
だからこんな風に歪な見え方をしているんだ。
「おっと、びっくりした」
顔の無い少年は、ちょっと気弱そうな声で言う。
「ごめん、驚かせちゃったね、レーナ」
まったく表情のわからない彼が、あたしの名を呼ぶ。
彼はたぶん笑っていた。
そんな気がする。
これは夢だ。
なんの意味もない、くだらない、ただの夢。
けれど、もう沢山だ、やめてくれと願っても夢から抜け出すことはできない。
自分を痛めつけて目を覚まそうにも、体が無くちゃどうしようもない。
きっとこの顛末を見届けるまで、許しちゃくれないんだろう。
許してくれない? 誰が? 誰を?
決まっている。
この、顔の無い少年が、あたしをだ。
イスマ。
あたしが殺した、ただ一人の人間。
呟くようにその名を呼んだが、肉体の無いあたしの言葉は声にならず、夢の中へと溶けていくだけだった。




