昔語り 1
「ご苦労だったな、二人とも」
谷底の戦闘から半刻ほどが経って本隊に合流したアーデは、真っ先にユーリとリゼリアが休息を取る幕屋へと足を運んだ。
アーデが労いの言葉と共に入口の天幕を押し退けて中に入ると、野営用の折り畳み椅子に腰掛けて水袋に口を付けるユーリと、隅の方で毛布にくるまり眠りこけるリゼリアの姿が目に入った。
「なんだか誤解されそうな状況だな」
「それは冗談か?」
心底うんざりしたユーリの口調に、アーデは思わず笑いをこぼす。
無論まぁ冗談ではあるのだが、それも可愛い姪っ子が見たところ大きな怪我をしている風でもなく、安心したからこその戯言である。
顔に当てられた包帯がうっすらと血で滲んでいるのは気にかかったが、恐らくそれは“反動”によるものだろう。
夜を徹して山頂を制圧し、夜明けと共に谷を下っての大立ち回りだ。
あれだけクラウソラスの力を使った代償としては安い方だろうし、重なる疲労で泥のように眠ってしまうのも無理はない。
それで、とユーリはやけに神妙な声でアーデに向き直る。
「こいつは結局、何なんだ」
獲物の心臓を一撃で貫くような単純明快にして核心を突く問いに、アーデは思わず苦笑いする。
少女はリゼリア=フェル=オスターク。
オスタリカ皇国を統べる直系皇族、オスターク家の最後の生き残り。
そして皇竜騎クラウソラスを受け継いだ、当代の竜狩り姫。
だが重要なのはそんな体面的な事柄ではない。
つまりそれは。
「なぜ竜の力が使えるのか、だな」
話を察したアーデの答えに、ユーリは頷く。
なぜ大皇の直系、しかもこんな年端もいかない少女が、命を危険に晒して竜の力を手に入れたのか。
アーデはひとつ小さな溜息を漏らすと、幕屋の隅で寝息を立てるリゼリアへと視線を移す。
「そうだな、お前には話しておいても、いいかもしれん」
そう言って彼女は立ち上がり、着いて来いとばかりに幕屋の外へと足を向ける。
ユーリも腰を上げ、それに続いた。
*****
「十五年ほど前の反乱は知っているか」
人気のない斜面の中ほどで適当な岩に腰を下ろすと、アーデはそんな風に切り出した。
ユーリはその問いに、あぁ、とだけ短く答える。
オスタリカ国内で起こった大規模な反乱。
それは数日で鎮圧されたものの、周到かつ念入りに計画され甚大な被害をもたらしたこの反乱は当時、遠くアヴァロン王国近辺にいたユーリの耳にも届くほどの大事だった。
なにせ反乱軍の手によって、当時の大皇であったアーデの実兄、マクシミリアン皇が殺害されたのだ。
しかも、事はそれだけに止まらない。
各地に散らばる皇族たちが女子供に至るまで片っ端から暗殺され、オスタリカ皇国は反乱軍によって乗っ取られかけたのだった。
反乱の首謀者はカルナカン=イーザリット。
紅竜騎士団の元副長で、当時は齢八十にして中央議会の最高議長を務めていた男だ。
権謀術数に長けた人物だとアーデは評しており、利害が一致している限りは頼もしい味方だと言っていたのを、昔どこかでユーリも聞いたことがあった。
大方、反乱の理由はその辺りで、つまりはその利害とやらが一致しなくなったということなのだろう。
国を、盗る。
それは強大な権力に魅入られた人間だけが抱え得る妄執に過ぎないのだろうが、その妄執によってオスタリカは滅びかけた。
とにかく、カルナカンの狂気は皇族すべてに遍く向けられた。
まだ生まれて間もなかったリゼリアに対しても、一切の容赦なく。
「で、その話が竜の力とどう繋がるんだ」
「そう焦るなよ。危険を察したマクシミリアン皇は自分の妻、つまり私の義理の姉だが、彼女と娘のリゼリアを国外に逃がそうとしたんだ」
皇妃アリアンヌは、マクシミリアン皇の二番目の妻だった。
最初の妻はお産に失敗し、赤子もろとも命を落とした。
それ以来、新しく妻を娶ることなく治世に全力を注いだ大皇だったが、六十を過ぎてヴァルツヘイム諸侯の娘であったアリアンヌと出会い、彼女を二番目の妻として迎え入れた。
それは傍から見れば明らかな政略結婚であったが、それでも、兄であるマクシミリアンが本当に彼女を愛していたことを、アーデは知っている。
だからこそ、自分を守るための親衛隊を護衛に付け、彼女と一人娘であるリゼリアを逃がしたのだ。
結果として、大皇自身は反乱軍の凶刃に倒れることになった。
王としてはこれ以上ないほどの失策だが、それでも、アーデはそんな兄を今でも誇りに思っている。
そこまで話して、アーデは懐から金属製の小箱を取り出し、開く。
中には薬草を乾燥させて作った煙草が何本か入っており、そのうち一本を口に咥えると、簡易の発火装置で火を着けた。
先端が赤く光り、みるみるうちに灰になっていく。
そうして一息に吸った煙を吐き出すと、紫煙が少し香ばしい匂いを残して寒空の中へと拡散していった。
「問題はその後だ」
指先でとんとん、と煙草の灰を落としながら、アーデが続ける。
当然、そこで皇妃とリゼリアが無事に逃げおおせていれば、こんなことにはなっていない。
「アリアンヌ妃とリゼリアを乗せた馬車は、親衛隊の竜騎兵に守られながら真夜中に国境を越えて同盟国であるヴァルツヘイムを目指した。正確にはヴァルツヘイムの属国であるグルドア辺境領だが、とにかくそこは彼女の実父であるアウギュスト伯が治める領地のひとつだ。間違いなく庇護は受けられるはずだった」
そのはずだった。
無事に辿り着いていれば。
そう言ってアーデは再び煙を口に含み、ゆっくりと吐き出す。
「道中でな、馬車が崖から落ちたのさ」
現皇妃と大皇の一人娘などという最重要人物をみすみす逃がすほど、反乱軍も間抜けではない。
追手の竜騎兵は山岳地帯で彼女たちを執拗に追い回し、闇夜を全速力で駆けていた馬車は大岩に車輪を取られ、崖下へと真っ逆さまに落ちていったのだ。
「私が反乱を鎮圧して皇妃を探し出したのは、それから五日も後のことだった。崖下には粉々になった馬車の残骸が散らばっていて、皇妃はそこで亡くなっていたよ。だが――」
リゼリアは、そこにはいなかった。
無論、死んでなどいないことは、幕屋で眠りこけている本人が証明している。
しかし、彼女が再びアーデの前に姿を現すのは、それから十年も先のことだった。
「もったいつけるな、結論を言ってくれ」
しびれを切らせたユーリがそう促すと、少しの間を置いて、アーデは口を開いた。
「あの子はな、竜域の民に育てられたんだよ」
竜域の民。
帰る場所を失くし、竜の住処で生きることを余儀なくされた流浪の者たち。
過酷な環境で生きるため、そのすべてが命を賭して竜核を体に埋め込むという戦闘集団の中で、リゼリアは十年間を生き抜いたのだった。




