真竜 2
『誰がアホだこの野郎!』
そう怒鳴り返すと同時に、クラウソラスの両翼がさらに輝きを増し、装甲の内側で素体が紅い燐光を放ち始める。
それはクラウソラスの内部で発せられた生体光であり、翼の器官で乱反射し増幅された光が、紅玉のように透き通った真紅の骨格内を駆け巡っている証だ。
あらゆる人間が日常的に光を目にするが、しかしその本質を知るものは少ない。
例えば太陽光のように、なにか明るくて、なにか暖かいもの、程度の認識である。
しかし、その太陽光ですら鏡面を利用して一点に集めれば、鉄を焦がすほどの高熱を発生させるのだ。
では、もっと強い光であればどうか。
その答えは、次の瞬間には現実の光景として示されていた。
腰を落とし両足を開いて、クラウソラスの頭部、その口元が威嚇するように開く。
その姿は獲物に向かって吼える翼竜そのものだ。
しかし、口腔内から発せられたのは咆哮などという生易しいものではなかった。
強烈な耳鳴りのような音と共に、紅い光の激流が戦場を切り裂く。
それは直線状に存在するあらゆる物体を瞬時に灼き尽くし、超高温で灰すらも残さず蒸発させる破壊の光。
クラウソラスの体内で極限にまで増幅された光は、喉の奥にあるレンズ状の器官で収束され、外界へと吐き出される。
リゼリアがそのままクラウソラスの頭部を左から右へ振ると、光の帯もそれに追従し、薙ぎ払うように前方の肢竜を消し飛ばしていく。
まるで紙に描かれた絵画を、ある位置からナイフで一直線に切り裂いたような光景だった。
草も木も消し飛び、残されたのは肢竜の腕や脚など末端の残骸のみ。
切断と同時に断面が一瞬で炭化して燃え上がり、一滴の血すら零さないそれらは、どこか不自然で作り物めいた雰囲気を漂わせていた。
*****
ひとしきり光が戦場を撫で、クラウソラスが元の姿勢に戻る頃には、あれだけ押し込んでいた肢竜の半数以上がまともな形状を保っていなかった。
高熱に煽られてガラス化した土砂が日光を反射して美しく煌めく中、惨たらしく竜の死骸が散乱している様は、質の悪い冗談のようだ。
凄まじい熱風が肌をちりちりと焦がし、その痛みで誰もが我に返る。
時間さえも燃え尽きたかのように、何もかもが停止していた。
呆気に取られたアヴァロン軍は勿論のこと、残った肢竜の群れもまた状況を把握できないのか、その動きを止めていた。
その中で、クラウソラスただ一騎のみが悠々と佇み、手にしたキャリバーを地面に突き立てて高らかに声を上げる。
『アヴァロン軍に告ぐ! こちらはオスタリカ軍所属、紅竜騎士団が団長、リゼリア=フェル=オスタークである!』
カレンに勝るとも劣らない声量、しかしどこか真っ直ぐに飛び行く砲弾を思わせるような力強い声が、沈黙した谷間に響き渡る。
『これより我が皇竜騎クラウソラスをもって貴軍へ加勢に入る! 消耗した兵は下がるがいい! 戦える者は我に続け!』
リゼリアがそう言い終えると同時に、割れんばかりの歓声が周囲に沸き起こった。
誰もが再び武器を構え、クラウソラスを中心として陣形を立て直し始める。
『おおおぉぉぉ! 竜狩り姫だ! 竜狩り姫が援軍に来たぞ!』
『まじかよ本物のお姫様だぜ!』
そのお姫様の口汚い第一声は多分、先の一撃で完全に忘れ去られたのだろう。
アヴァロン兵の異様な盛り上がりに、当のリゼリアでさえ気圧されそうになる。
だが、泥のように沈んでいた彼らの士気を再び燃え上がらせたのは他でもない、先代アーデレードが築き上げた“竜狩り姫”という名のカリスマ性だ。
その事実が、リゼリアの心をほんの少し苛立たせる。
要するに、このクラウソラスに乗って竜狩り姫を名乗っていれば、誰でもよいのではないか。
そんな風に考えてしまう。
自分は何なのか。
自分は誰なのか。
それが時々、ひどくあやふやになる。
お前は、俺たちのお姫様だからな。
そう言ってくれた奴らがいた。
今はもういない。
じゃあ、いまだに姫と呼ばれるあたしは、いったい誰のお姫様なんだろうか。
*****
約半数が消し炭となった肢竜に対し、士気を取り戻したアヴァロン軍が徐々に戦線を押し上げ始める。
その段になって、ようやく斜面を下り切ったユーリが前線へと合流した。
ここまでの戦闘ですっかり弾切れとなったファランクスとカノンを放り出し、騎体背面に装着した重心調整用の追加装甲を外すと、ブリューナクは本来の細くしなやかな立ち姿となる。
『遅いぞ竜殺し!』
不意に大声で呼ばれ振り返ると、そこには血塗れのキャリバーを抱えたクラウソラスの姿があった。
『で、これからどうするんだ。大口を叩いたからには何か策があるんだろうな』
『そう焦るなよ。大人の戦いには準備がいるんだ』
お前も見た目はガキだろうが、と小声で漏らすリゼリアをよそに、ユーリは周囲の兵に何事かを尋ね始める。
と、そこへさらに二騎の竜騎兵が近付いてきた。
熊のような黒毛の竜騎兵、第三騎士団の団長カークスが駆るガラティーンと、やや軽装のエストックである。
『騎上にて失礼。アヴァロン軍第三騎士団の団長、カークス=モルゴースと申します。竜狩り姫リゼリア殿下、並びに竜殺し殿、ご助力に感謝いたします』
『へぇ、オスタリカの紅玉竜に竜殺しの白竜とは、これはまた豪華な取り合わせだね』
略式ながら礼と共に謝意を述べるカークスとは対照的に、棒立ちのままのエストックから能天気な声が響く。
『おい、なんなんだこの妙に馴れ馴れしい奴は……』
リゼリアが訝しむように問いかけるが。
『あぁ、僕のことはお気になさらず。なんて言うか、そう、予備兵ってところだね』
エストックの乗り手、レオンはそう言って適当に誤魔化す。
隣で聞いているカークスも、完全に呆れているのか訂正する様子もない。
実はこいつがアヴァロン軍の総指揮官でカリバーンの騎士です、などと言ったところで話がややこしくなるだけだ。
『まぁいい、それより何をするつもりだ竜殺し』
相変わらずの苛立った様子で、再びリゼリアが問う。
ユーリの言う通り、脚元にはまだ多数の肢竜が潜んでいるらしく、斬り込んだエストックが何騎も不意打ちを喰らって損傷している。
このままではせっかく吹き飛ばした半数もすぐに補充され、先程までと同様にじりじりと戦力を消耗させられていくだけだろう。
兵も弾も無限ではないのだから、長期戦の不利は火を見るよりも明らかだ。
この状況を打破するには地下の肢竜を一斉に撃退、または殺す必要がある。
しかし、クラウソラスの攻撃では地面を抉ることはできず、オスタリカ軍の迫撃砲が次々と撃ち下す榴弾もまた、地表ならともかく土に隠れた相手には大きな効果を得ることはできない。
そもそも、肢竜がどれほどの数いるのかすら、定かではないのだ。
しかし、ユーリはさして慌てる様子もなく、ブリューナクの腰部に装着されたハンドショットに弾を詰めながら淡々と説明を始める。
『なに、そう大した話でもないさ。あんたらには少し仕込みを手伝ってもらえればいい』
と、そう告げて大盾の壁に押し寄せる肢竜を指差した。
『あいつらをよく見てみろ。そう頭の回る種じゃない、外部の刺激に反応して襲い掛かってくるだけの単純な習性だ』
確かに、眼も鼻も無い頭でどのように獲物の位置を把握しているのかは謎だが、その行動原理は単純そのものに見える。
特に、自らを攻撃してくる対象には敏感に反応するようだ。
『だったら、引きずり出すのはそう難しいことじゃない』
そう言いながら、手にしたハンドショットを頭上に向け、引き金を引く。
小さめの発射音と共に天高く撃ち上げられたのは、赤い煙を噴き出しながらゆっくりと上昇していく信号弾だ。
続いて白、青と数発の信号弾が、同じように朝日が照らす空へと上がる。
その信号を見て驚いたのは、山頂で迫撃砲部隊を指揮していたアルベルトだった。
『竜殺しのユーリからですか。いや、しかしそれはどう考えても有効な攻撃では……』
ぶつぶつと何事かを呟いてみたものの、総指揮官であるアーデからの厳命を思い出して即座に頭を切り替える。
竜殺しの要請には、可能な限り応えよ、だ。
『全砲門、撃ち方やめ! 砲弾を鋼針弾に変更! 急げ!』
谷底での戦闘が始まって既に半刻。
クラウソラスの一撃から始まった連合軍の反撃により、戦況は大きな変化を見せようとしていた。




