夜明け 1
肢竜の襲撃をどうにか切り抜け、リゼリア率いるオスタリカ軍の先遣隊はようやく山頂付近まで到達していた。
そこには、数騎の竜騎兵が難なく入り込めるほどの洞穴がいくつも口を開けている。
ユーリが軽く意識を集中すると、穴の奥から微かに竜核の律動が感じられた。
つまり、この穴のひとつひとつが、恐るべき敏捷性を誇る鳥竜の一種、歌鳥竜の寝床というわけなのだ。
それも一匹や二匹ではなく、何十という数の。
歌鳥竜はその名のごとく鳥に似た極めて小型の竜で、人類にとっては海と並んで自由のきかない空を、縦横無尽に飛び回る厄介な相手だ。
しかも、さらに面倒なことに、この竜の鳴き声には獲物の感覚を狂わせる効果がある。
竜学者たちによる最新の研究によると、鳴き声で頭蓋骨や脳を振動させることによって平衡感覚を奪う、ということらしい。
その歌鳥竜の群れを相手にしようというのだから、真正面から突撃というわけには当然いかない。
仮にユーリがブリューナクの力を振るったところで、空中の相手には触れることすらできないし、それ以前に音など回避のしようがない。
いくら特異な体とはいえ、ユーリだって頭を強く打てば脳震盪も起こせば気絶もする。
つまりは歌鳥竜の声をまともに聞けば、普通の人間と同じく前後不覚に陥るということだ。
数匹ならば、寝込みに襲いかかって声を上げる間もなく殺してしまえばよい。
だが、この数ではそうもいかない。
少しでも攻撃のタイミングが遅れれば生き残った歌鳥竜が眼を覚まし、早朝のニワトリよろしく鳴きわめくだろう。
そうなれば、後は地面を這い回る酔っ払いの集団が、仲良く殺されるのを待つばかりというわけだ。
*****
という苦戦を覚悟していたユーリだったが。
山頂で彼が目にしたのは、呆気なく燃やされて炭になっていく歌鳥竜の群れだった。
オスタリカ軍の兵卒が使用する竜騎兵、グレイブ。
その特筆すべき点のない極めて平均的な性能の竜騎兵が、恐るべき歌鳥竜の巣穴に数騎で挑み、ことごとくを燃やし尽くしていく。
無論、グレイブやその乗り手の特殊な能力などではない。
彼らが使用している兵器が生み出した結果だ。
それは銃器のようで、一見してカノンのようにも見えるが、砲弾を撃ち出すにはやけに銃身が短い。
そして弾倉のようなものも装着されておらず、代わりに巨大な金属製の容器が、細い管で繋がれていた。
その奇妙な兵器が、火竜のごとく凄まじい炎を吐き出し、巣穴の内部を逃げ場のない灼熱地獄へと変える。
「なぁに、簡単な原理さ」
と、聞いてもいないのに複座席のアーデが得意そうに語り出す。
「ガス圧で油を噴射して、そいつに着火しただけだ。油は混ぜ物をして粘度を上げてあるから、付着したらちょっとやそっとでは取れないし消えない」
油をかけて火を付けるというのは、竜相手の戦い方では古典的な部類に入るものだ。
だが、それもここまで徹底的に、そして大規模にやれば話は違ってくる。
「穴の中の空気は炎で燃やし尽くされる。歌鳥竜が鳴き声を上げようと空気を吸い込めば、熱風が発声器官を焼いてしまうってわけだ」
穴の中では声も上げられない。
外に飛び出そうにも羽が燃えて飛び立てない。
農夫が畑を焼くの同じような、一方的な虐殺だ。
「えげつないな」
「否定はせんよ」
そう答えたアーデの声は、何故か少し物憂げに聞こえた。
ユーリの知る限り、彼女はいたって善い人間だ。
けれども、こんなにも簡単に敵を殺せる兵器は、いつだって彼女のような善良な人間の、誰かを守りたいという願いから生まれるのだ。
彼女も、自分でそれを理解しているのかもしれない。
*****
歌鳥竜の駆除がほぼ終わろうという頃。
リゼリアは自騎クラウソラスの操縦席を開け放ち、ヴァルツヘイムの山々を吹き抜ける氷のように冷たい夜風に当たっていた。
最悪の気分だ。
止まらない脂汗、ひどい頭痛、それから動悸。
理由はわかっている。
目の前で躍り狂う炎が、彼女の心の深い部分をじりじりと焦がすのだ。
あの夜も、こんなだった。
星々を火刑に処すかのごとく、天高く燃え上がる炎。
それが、何もかもを灰にしてしまった。
彼女が大切にしていたものも、彼女が大好きだった人々も、何もかもすべて。
――おいおい、どうしたお姫様、シケた顔しやがって。
炎の中から、声が聞こえたような気がした。
野太く乱暴で、少し掠れた、懐かしい彼の声。
勿論、こんなものは幻聴だと知っている。
みんな死んでしまった。
生きているのは、自分だけだ。
うるさいな、黙って死んでろよ。
誰にともなくそう呟きながら、リゼリアは陰鬱な気分で夜空を見上げた。
と、同時に、方々からいくつもの爆発音が響き渡る。
巣穴の内部を焼き尽くし、駄目押しに入口を爆破して封鎖したのだ。
「リゼリア様、巣穴の処理が完了しました」
クラウソラスの元へ駆け込んできた伝令が、そう告げる。
「わかった。ではアルベルト隊は合図と共に山頂で砲撃部隊の展開、ヘズ隊は散開して周囲の警戒を行えと伝えろ」
了解です、という返事を残して、伝令が再び走り去る。
リゼリアは深呼吸を繰り返し、無理矢理に平静を取り戻す。
声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
*****
山頂の向こう側から、照明弾がいくつも上がる。
巣穴の処理が反対側でも完了したという合図だ。
「ユーリ、周囲の様子はどうだ」
「何も感じない。ほとんどすべて死んだか、死にかけているかだ」
「よし、照明弾を上げてくれ」
言われてユーリはブリューナクに持たせたハンドショットを空へ向け、トリガーを引く。
やや軽い音と共に撃ち上げられた小さな弾頭は、ある程度の高さまで上昇すると、急激に赤い光を発してゆっくりと落下を始めた。
進軍の合図。
それを受けたオスタリカ軍先遣隊は、一気に山頂を目指す。
気が付けば、夜明け前の空が徐々に白み始めている。
あと一刻もしないうちに太陽が昇って朝が来るだろう。




