一にして無限なるもの 1
弾かれるように突進してきた黒い翼竜を、クラウソラスの両腕が受け止める。
間一髪で操縦席へと滑り込んだリゼリアが、竜の眼で最初に見たものが空中を滑るように飛びかかって来る翼竜の姿だった。
反射的にそれを止めることができたのは、運が良かったとしか言いようがない。
『非戦闘員はタージェと共に後退! ヘズ! お前はベガルタでタージェを護れ!』
了解! と大きく返事をし、ヘズもまた自騎の元へと駆け出す。
彼女の竜騎兵、ワイバーン級ベガルタは、接近戦を得意とする乗り手に合わせて調整された格闘騎だ。
敵味方の入り乱れる混戦となったこの状況では、砲身が長く取り回しの悪い重火器より、バンカーやブレードといった格闘武器の方がよほど頼りになるだろう。
ヘズが走り去るのを見届けた後、リゼリアは組み合ったまま眼前の敵を見据えた。
『緊急事態だ、とっとと片付けさせてもらうぞ』
そう言って不敵に笑うと同時に、クラウソラスの素体が仄かに紅い光を発し始める。
*****
『待ちなさいヘズ!』
自騎の元へと走るヘズの前に、左肩を紅く染めた一騎の竜騎兵が立ちはだかる。
彼女と同じく副長の任を預かるアルベルト卿の騎体、ワイバーン級モラルタだ。
騎士団の双璧を成すベガルタとモラルタは、どちらも再活性化したスキアヴォーナタイプの竜騎兵をベースとする副長専用騎であり、皇竜騎であるクラウソラスを除けば騎士団で随一の性能を誇る騎体だ。
そしてモラルタは格闘型のベガルタとは逆に、射撃支援に特化した重装騎体となっている。
『近くに一匹います! 下がっていてください!』
アルベルトはそう告げると共に、モラルタが持つ重砲のレバーを引いて砲弾を装填する。
「ちょっとアルベルト! こんな近くで――」
ヘズが言い終える前に、腹の底を殴り付けるかのような爆音が一発鳴り響く。
大口径の榴弾を撃ち出すヘヴィカノンの発射音だ。
と、ほぼ同時に、歪で不快な鳴き声が上がる。
ヘズが耳を押さえながら砲口の先を見ると、盛大な爆煙と炎を上げ、左半身を吹き飛ばされた黒い翼竜がのたうち回っていた。
だが、そんな状態になってもまだ、残り半分の体を引きずって向かって来る。
先日から続く戦闘でその気味が悪いほどの生命力は目の当たりにしてきた彼らだったが、改めて間近で見ると、これらが生物としていかに出鱈目であるかを思い知らされる。
砕け、千切れて焼け焦げた破損部位からは、外殻や皮膚と同じ真っ黒な血液が噴き出しているが、そこから曝け出された胸や腹の内には、内臓と呼べるような器官がほとんど見当たらないのだ。
この生物の高い生命力は、単純極まりない体構造によるものだろう。
物でも生物でもシンプルなほど壊れにくい、というわけだ。
しかし。
『一斉射撃! 撃て!』
アルベルトの号令で、周囲の竜騎兵が手にした火器を一斉に浴びせかける。
いくら生命力が高かろうと、細切れの肉片か消し炭にでもしまえば無力化できる。
一歩間違えれば一方的で残虐にも見える光景だが、竜を相手に躊躇することなどあろうはずもない。
連携行動を徹底的に叩き込まれたオスタリカ軍の兵たちは、早くも冷静さを取り戻し、形勢を覆しつつあった。
*****
黒い生物の喉元を捉えたクラウソラスの右手が激しい光を発すると同時に、黒い生物の首は一気に膨張し破裂してしまった。
鋭い爪で引き裂いたわけでも、握力で握り潰したわけでもない。
凄まじい熱量によって一瞬で沸騰、蒸発し膨張した体液が、文字通り肉体を破り裂いて内側から噴き出したのだ。
そうして崩れ落ちた黒い生物を、とどめとばかりにクラウソラスが踏み潰す。
脚元には、同じように白煙を上げて無力化された黒い生物が数匹、小刻みに痙攣を繰り返しながら転がっていた。
『姫様! こちらをお使いください!』
味方の声に振り返ると、そこにはオスタリカ軍のサーペント級竜騎兵グレイブが二騎、ファランクスを始めとする武装を満載して立っていた。
『クラウソラスの結晶化が進んでいます。これ以上は危険です』
そう言われて自騎の腕を見ると、右手首と上腕部、左関節部などの素体表面が紅い宝石のような結晶へと変化していた。
確かに、このまま結晶化が進行すると騎体性能に影響が出そうではある。
竜の力というものは、何の代償もなしに使えるものではない。
強力な力の代償は、結晶化という形で現れる。
詳細な原理は不明だが、皇竜騎に限らず、竜の力を発現しすぎた騎体は一部が結晶となって崩れ落ちてしまうのだ。
もっとも、崩れた部分はしばらくすれば自然治癒するため、一気に使い過ぎなければ大きな問題は起こりにくいのだが。
結晶化が進めばいずれ騎体が崩壊してしまうであろうことは、想像に難くない。
『ファランクスを二丁。それから腰部のラックにハンドショットと片手剣を二本だ。ポーチには焼夷弾を積めるだけ積んでくれ』
指示を受けた二騎の竜騎兵が、言われた通りの武装をクラウソラスの騎体に装備していく。
ファランクスは通常の竜騎兵ならば両手で構えてやっと制御できる代物だが、クラウソラスほどの腕力があれば片手で運用することも可能だ。
片手持ちで銃身が不安定になるため、銃底部分から伸びるストラップバンドを肩部装甲に繋いで安定させる。
一騎がそうしてファランクスを固定している間に、もう一騎は腰部のラックに小型の銃器を取り付けていた。
ハンドショットと呼ばれるこの武器は、単発式の擲弾銃だ。
いちいち再装填が必要という不便さはあるが、中折れ式の銃身は同サイズの散弾や榴弾など様々な弾薬を扱うことが可能で、用途によって使い分けられるという大きな利点もある。
リゼリアが指定したのは、対象に火を放ち焼き尽くす焼夷弾頭だ。
見た所、黒い生物は生命力が高い割には高熱に対する耐性がほぼ無い。
そういう相手は、燃やしてしまうのが一番手っ取り早いのだ。
ものの数分でクラウソラスの換装が完了する。
『いいぞ、下がって引き続きタージェの護衛に付け』
了解しましたと短く返事をし、二騎のグレイブは後方へと戻って行った。
リゼリアは周囲に感覚を巡らせてみるが、やはり認識できるのは味方の竜騎兵のみ。
黒い生物には竜核が無いため、存在を感知できないのだ。
やはり通常の方法で策敵を行うしかないと諦め、前方に眼を向けた瞬間。
闇の中から、巨大な黒い影がずるりと這い出て来るのが見えた。
それはこれまでに見た個体よりも、数倍はあろうかという体を引きずるようにして蠢いていた。
いや、ただ大きいだけではない。
『なるほど、こういうことか』
納得するように呟いたリゼリアの背中を、冷たい刃物で撫でるような悪寒が走る。
眼も鼻もない黒い塊。
五本の腕。
三枚の翼。
四本の脚。
二つの頭部。
およそ真っ当ではない、生物のような何かが、そこにいた。




