旅路
それから、いくつかの季節が過ぎ去って。
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春の日差しが降り注ぐベルカイン城塞の演習場に、凄まじい地響きと歓声が響き渡る。
まるで城壁のように円形に組まれた人垣の中心では、オスタリカ皇国の主力竜騎兵であるパルチザンが二騎、格闘戦を繰り広げていた。
一方は両手に持った模擬戦用の片手剣を巧みに振り回し、もう一方が長柄の金属棒でそれを防ぎ続ける。
が、それも長くはもたず、防御が崩れ始めたところで二刀を構えた方が不意を突いて足払いを繰り出し、一瞬でバランスを崩された相手は呆気なく地面へと倒れ伏した。
「それまで! 勝者、アーデレード姫!」
そんな台詞を受け、胸部装甲を開いて顔を出したアーデが、観衆に向かって手を振る。
「だいぶ練度も上がってきたな。少し前とはまるで比べ物にならない」
パルチザンを跪かせ、地面へと降り立ったアーデはそんな感想を告げる。
「いえ、まだまだです」
アーデの声に答えたのは、後頭部で黒髪をまとめ上げた妙齢の女性。
顔の半分を覆う傷跡を隠しもせず、癖のある黒髪を掻き上げながら、カーラは続ける。
「足元への攻撃など初歩の初歩。そんなものをまともに喰らうようでは、まだ実戦には耐えられないでしょう」
と、言いながら、倒れたパルチザンから抜け出してきた若い騎士を睨みつける。
騎士はカーラの視線に気づくと、緊張した面持ちで姿勢を正し、直立した。
「あぁ……まぁなんと言うか、ほどほどにな」
と、その様子を見たアーデは、苦笑いを浮かべながら言う。
寄生竜の一件以来、アーデは紅竜騎士団の練度向上に注力していた。
カーラはそのために呼ばれた特別教官、というわけだ。
「すまないな、せっかくのんびりと暮らせるはずだったのに」
そんな風にアーデは言うのだが、カーラにしてみれば願ってもない話である。
彼女はもう戦うことはできない。
体は不自由でも竜騎兵を動かすことはできるのだが、不自由になった部位を擬似的に自由に動かすことは、精神に大きな負荷をかけるためだ。
例えば四肢を損じた人間が竜騎兵の四肢を自由に動かし続けると、もはや存在しないはずの部位が痛む幻肢痛などの症状が高確率で現れる。
酷い場合には、また自由を失う恐怖で錯乱状態になり、最終的には精神に異常をきたすこともある。
そんな状態になっても、まだ竜騎兵の近くで生きている。
結局、カーラもまたそれ以外の生き方を知らないのだ。
アーベルやサイラスも似たようなものだった。
「どこまでいっても、結局はこいつから離れられないね」
そう言ってカーラは、膝立ちになったパルチザンを見上げる。
「あいつに馬鹿野郎なんて言ったのに、あたしだって何も変わらないじゃないか」
あの日、泣きそうな顔で「さよなら」と言った少年の顔を思い出し、自然とはにかんだような笑顔が漏れる。
今頃、どこで何をしているんだろうな、とアーデは空を見上げて言う。
それにカーラは答えを返さなかった。
あいつがどこで何をしているのかなんて、そんなもの、決まっているじゃないか。
*****
ラムセスカ大陸の北東部にある小国、クリシア自治領は竜騎兵の見本市と化していた。
近隣の山岳地帯に大型の竜が棲みついたからだ。
放置すれば間違いなく国が滅ぶため、領主は大枚をはたいて多数の竜騎兵乗りを雇い入れた。
その結果が、この状態である。
そうなれば、必然的に竜騎兵乗り以外の者たちも集まってくる。
必要なのは食糧、酒、女。
そして武器を売る商人と、修理を担う技師だ。
ライラもまた、そうして集まってきた技師の一人だ。
二十歳を越えたばかりの若さで女だてらに、と言えば聞こえがいいが、基本的に男の職場である鍛冶場で女が生きるのは容易なことではない。
いわれもなく技術が足らないと偏見の目で見られることなど日常茶飯事で、やっと雇われたと思えば彼女の技術以外が目的だった、などということも多い。
背が高く、髪を短く切り揃えても、整った顔立ちは隠せるものではない。
もっとも、そういった輩に対して片っ端からハンマーで骨をへし折るという対応を繰り返したお陰で、さらに客足が遠のいてしまったのも事実ではあるが。
ライラは何十騎もの竜騎兵が立ち並ぶ広場を歩き回り、傭兵たちを見て回る。
こういった突発的な戦場で商売をする相手は、誰でもいいというわけではない。
まず報酬を受け取れるほどの働きができるか。
代金を踏み倒したりしないか。
それから最も重要なことが、生きて戻ってこれそうか、である。
前払いならともかく、そんな金を持っている奴の方が少ない。
そして、死人は金を払わない。
こいつは駄目だ、完全にビビってる。
装甲の補修をケチっている、こいつも駄目。
そんな風に値踏みをして回るライラの目に、奇妙な竜騎兵が飛び込んできた。
なんだこりゃ?
と、彼女が奇異の目を向けるのも無理はない。
その竜騎兵は、異常なまでの重装甲で全身を固めていたからだ。
それに、関節を覆い隠すようにして、防塵布のような布が巻き付けられている。
正直言って、まともに動作するとは考えにくい。
確かに装甲を厚くすれば攻撃は防げるかもしれないが、それも限度があるだろう。
移動も回避もままならないのであれば、生存率は逆に下がると考えるのが普通だ。
あぁ、こいつはカモかもしれない。
明らかに素人の発想だ、大方どこかの金持ちが道楽でやっているのだろう。
それに、ここまで重装甲にするなら、それなりに金は持っているはず。
ならば先払いの交渉だって充分に可能だ。
そう考えてふと、その竜騎兵を見上げると、開いた胸部装甲の辺りから持ち主と思われる人物の脚先だけが覗いていた。
「ねぇ、あんた」
と、ライラは何の気なしに声をかける。
「この竜騎兵はあんたのかい? 装甲が一部ガタついてるけど、あたしが見てやろうか」
技術には自信がある、下手に出ることはない。
彼女はいつもこうして、やや上からの物言いで声をかける。
経験上、その方が成功率が高い。
だが、頭上から降ってきた返答は、実にそっけないものだった。
「技師なら間に合ってる。他を当たってくれ」
若い男の声だ。
いや、若すぎると言っていい。
やっぱりこいつは金持ちの息子か何か、下手をすれば貴族の血縁かもしれない。
そう判断したライラは、さらに食い下がる。
「まぁそう言うなよ。ほら、この辺なんか今にも外れそうだろう」
言いながら、手の甲で脚部装甲をごつりと叩く。
瞬間、ライラの表情が真剣なものへと変わった。
彼女の手と耳が、明らかな違和感を感じ取ったからだ。
金属装甲の内側から聞こえる音の響き、それから振動の伝わりが普通ではない。
端的に言って、この竜騎兵を二重の装甲板が覆っているのだ。
そんな馬鹿なことがあるものかと、今度は装甲板に耳を当てて、手持ちのハンマーで軽く何回も叩き、音を聞く。
やはり内部で何度も反響している。
それに、彼女の耳がおかしくなったのでなければ、この竜騎兵の騎体は細すぎる。
そんな騎体にこれほどの重装甲を積めば、普通なら一歩動いただけで脚部関節が砕けてしまうだろう。
だが、現にこの騎体は歩いてこの場に辿り着いている。
つまりこの竜騎兵は、尋常ではない骨格強度と、筋力を兼ね備えていることになるのだ。
「おい、あんたこの騎体――」
と言った瞬間に、目の前に赤い何かが降って落ちてきた。
それが燃えるように赤い髪に覆われた少年の頭だと気付いたのは、彼がその手でライラの襟元を掴み上げてからだった。
歳の頃は十五、六といったところか。
夜空に浮かぶ満月のような、黄金に輝く不思議な眼をした少年だった。
「こいつに、勝手に触るな」
年相応とは言い難い、凄みの効いた視線が真っ直ぐにライラを突き刺す。
大方、これまで声をかけてきた連中にも同じような対応をしたのだろう。
だが、そんなものにいちいち震え上がっているようでは、女の身でこの世界では生きていけない。
「へぇ、じゃあ教えてよ。この安物の装甲の下に何を隠してんのか」
「もう一度だけ言う。技師なら間に合ってる、他を当たれ」
「……わかったよ」
少年の手を振り払い、首元を正しながらライラは笑う。
「じゃあ、あたしは酒場にでも行こうかね。仕事が無けりゃ酒飲むくらいしかやることないしさ。でも酔っ払ったら、うっかり仕事仲間にこの竜騎兵のことを話しちゃうかもなぁ」
おどけたようなそう言った瞬間、少年の顔が強張ったのを見逃さなかった。
「……何が目的だ」
うんざりしたような顔で少年が尋ねる。
こういう場合は大抵、金銭を要求すれば法外な額でない限りは通ってしまう。
だが、ライラの目的は既にそんなことではなかった。
「この竜騎兵、あたしに弄らせてよ。報酬はあんたが決めればいい」
そう、金よりも何よりも。
こんな面白そうな騎体に触れるチャンスを逃したくない。
「ふざけるな、こいつは誰にも触らせない」
「おーい! こいつの竜騎兵――」
いきなり大声で叫び出したライラを、少年が慌てて取り押さえる。
「やめろ馬鹿!」
「じゃあ交渉成立か?」
勝ち誇ったような笑みを浮かべた彼女に、少年は心の底から嫌そうな顔で答える。
「今回だけだぞ」
「毎度あり。私はライラだ、あんたは?」
「俺は――」
*****
俺は自分が何者なのか、それが知りたいんだ。
戦って、戦って、戦い尽くして。
そうして最後に、自分の中に何が残るのかを知りたい。
だからカーラ、俺は行くよ。
ありがとう。
さよなら。




