覚醒 2
波のような熱を感じる。
それはユーリがこれまで感じてきたような類の熱さではない。
焼けるようではなく、むしろ心地よい温もりのようで。
それでいて強く、野生的な律動。
例えるならば、見えない場所にいる相手の鼓動を、直に肌で感じるような感覚だ。
上手く言葉で言い表せるものではない。
だがその熱い拍動を、確かにこの肌で感じている。
それは目の前の竜騎兵、バルディッシュからではない。
むしろその奥、ぽっかりと口を開けた洞穴の中から感じる。
厳密に言えば、バルディッシュからも“それ”を感じ取ることはできるのだが。
しかし、穴の奥から迫って来るものに比べれば、ひどく弱々しいものに過ぎない。
確かに、目の前の敵は強い。
生命力に溢れ、規格外の怪力を振るい、しかも怒り狂ったように獰猛だ。
ひとたびその腕に捕まれば、そのまま五体を引き千切られるかもしれない。
けれど不思議なことに、ユーリはこの相手に対し、恐れをまったく感じていなかった。
こいつは、恐ろしくない。
理由は簡単だ。
こいつは、この生物は。
俺より弱い。
それがわかる。
*****
大気そのものを震わせるような咆哮をひとつ上げて、ブリューナクが躍りかかった。
真っ直ぐバルディッシュに向かって一息に跳躍し、右脚で蹴りを放つ。
およそ常人の目では反応しきれない速度で繰り出される蹴りは、バルディッシュの頭部を正確に捉え、他の部分に比べればいくらか薄い頭部装甲を歪に変形させる。
無論、その程度で倒せる相手ではない。
頭部をほぼ粉砕されながらも、バルディッシュはその剛腕でブリューナクの右脚を掴む。
重装甲に包まれた丸太のような腕からは、想像もできないほどの俊敏さだ。
放っておけば、そのまま足首を握り潰されかねない。
だが、それでもユーリは冷静そのものだった。
精神を集中し、ある感覚を呼び覚ます。
それはおよそ常人には理解のできない、不思議な感覚だ。
同時に、ブリューナクの全身が蒼く発光し、掴まれた脚の辺りには青白い火花のようなものが散った。
そして次の瞬間には、鋼鉄の砲弾すら握り潰さんばかりのバルディッシュの手から易々と脚を引き抜き、そのまま左足でもう一度バルディッシュの肩口を蹴り飛ばす。
反動でブリューナクの騎体は後方へと跳び、やや距離を開けて着地した。
そこまでの攻防を、ユーリは当たり前のように行えていた。
ごく自然に、生まれてからずっとそうだったように、その力を使える。
アーデとの演習で振るったという力。
うっすらと記憶に残る、幾多の竜を殺戮した力。
それが自在に使えるという現実に、驚くよりもむしろ、ずっと胸の奥で引っ掛かっていたものが綺麗に消え去ったような開放感さえ感じる。
そして――ひどく愉快だ。
これは愉悦と言ってもいいと、ユーリは思う。
この強大な力を自在に振るって竜を戦うのは、楽しい。
単純に、自分よりも弱いものを殺戮するのは、楽しい。
狂っている、と自分でも感じながら、思わず口元が歪む。
もっと竜と戦いたい。
もっとこの力を試したい。
叩き潰し、引き千切り、噛み砕いて。
もっと竜を殺したい。
胸の奥で燻るように燃え続けていた炎が、一気に体中へと巡る。
*****
雷鳴と共に、濁流のような激しい雨が降り始めた。
水滴が木々の葉を叩く音が耳を塞ぎ、降り注ぐ大量の雨粒が視界を遮る。
『さすがに潮時だぜ!』
と、アーベルが叫んだ。
確かにその通りだとアーデは考える。
もはや戦闘を継続できる状況ではない。
すぐ近くにいるはずの彼の声でさえ、この雑音の中では辛うじて届く程度なのだ。
雨音にかき消されて声による意思の伝達は困難。
そして視界も悪い。
今この場に、人間にとって有利な要素など何ひとつありはしない。
けれども――
『アーベル! サイラス! お前たちは負傷者を連れて先に戻れ!』
そう告げたアーデに対し、おいおいおい何言ってんだ? とアーベルが声を上げる。
『護衛が雇い主より先に逃げてどうすんだよ!』
『いいから行け。雨で狼煙が消えた。援軍をこの場所まで誘導してくれ。真っ直ぐに本陣へ向かえば合流できるはずだ』
チッ、と軽い舌打ちが聞こえた気がした。
恐らく、彼らの誇りとか、矜持とか、そんなものを傷付けたのだろう。
水滴が装甲板を叩く音が、そんな風に聞こえただけかもしれないが。
彼らは、この国の人間ではない。
仕事として請けたからといって、ここまでの危険を背負う義務などないのだ。
もうひとつ、この場に残る理由がある。
ブリューナクだ。
確かにこいつは、先ほど自分を助けてくれた。
誰かれ構わずに襲ってきた時とは、明らかに雰囲気が違う。
乗っているのは恐らく、ジークとユーリだろう。
暴れていたのが陽性敗竜症のジークなのか、自制心を失ったユーリなのかは不明だが。
どちらにせよ、放っては行けない。
*****
闇の中で蠢く、小さな影がある。
強靭な肉体も堅い外殻も持たないそれは、腐肉と粘液にまみれた暗闇の中を、ただずるずると這い回るのみ。
脆弱で、矮小で、どうしようもなく弱々しく。
それは何かを呼び求めるかのように、小さくひとつ鳴き声を上げ、震え続ける。




