覚醒 1
それは、まったくの偶然だった。
ブリューナクが咆哮を上げると同時に、それまで晴れ渡っていた空を徐々に雲が覆い、やがて湿った空気が風に乗って運ばれてくる。
ここオスタリカではさほど珍しくもない、局所的な降雨だ。
竜騎兵の戦闘において、雨はあまり好ましいものではない。
バンカーやバリスタなど、主流となっている武器の破壊力を生み出す力は、ほぼすべて火薬の爆発によって生み出されるものだからだ。
シリンダー内の火薬が爆発する瞬間に生まれる、空気やガスの急激な膨張による圧力。
それがバンカーの鉄杭を凄まじい威力で押し出し、人間用の数十倍はあろうかという鉄矢を超高速で飛ばす力となる。
逆に言えば、火薬に点火されない限り、力は生まれない。
戦闘中に湿気を含んだ弾薬が不発となれば、当然それらの兵装は機能しないのだ。
実際、河川や豪雨の中での戦闘において、肝心な時に弾薬が不発を起こしたせいで死んでいった者など、腐るほどいる。
もちろんすべての弾薬が駄目になるわけではないが、実戦において信頼性が低下するのは致命傷になりかねない重大事である。
この場合、選択肢はふたつ。
本格的に雨が降り出す前に決着を付けるか。
それとも、残った弾薬を使って撤退戦に移行するか。
アーデが反射的に選んだ答えは、後者だった。
なぜなら、あとどれだけの敵が現れるのか、まったく予測がつかないからだ。
仮に坑道の入口を崩落させるなどで後続の敵を絶ったとしても、もとよりここは国境線に近い危険地帯なのだ。
どこに何が潜んでいて、いつ襲ってくるとも知れない。
おまけに、こちらはもう武装が尽きかけている。
ならば、少数の敵を相手しながら撤退し、本陣からこちらへ向かっているはずの援軍と合流するべきだろう。
動けない竜騎兵は捨てて、乗員を保護。
しかる後、追手を牽制しながら後退。
非常に冷静かつ合理的な答えだ。
しかし、それとはまったく逆のことを考える者がいる。
理ではなく、もっと原始的な行動原理で動く者が。
*****
真っ直ぐに突進してくるバルディッシュに対し、ブリューナクは正面から跳躍して躍りかかる。
両騎の体格差は人間で例えるならば、子供と大人というより、一般的な成人男性と鍛え抜かれた巨漢の傭兵といったところだろう。
真正面から組み合って格闘戦を挑むのは皇竜騎といえども危険だということは、先ほどアーデが操るクラウソラスが証明した通りだ。
ただし、それはあくまで真っ当な竜騎兵ならば、という話である。
アーデが見る限り、ブリューナクには二つの強力な武器がある。
まず誰もが気付くのは、両肩に生えた二本の副腕。
太さは主腕とほぼ同じであり、機能的にも主腕とほぼ同等と思われるそれは、近接格闘戦においては攻撃、防御の両面において確実に有利となる。
さらにこの副腕は武器も使用できるため、例えば両腕を使う大型バリスタを使いながら、副腕の盾で敵の攻撃を防ぐといった芸当も可能だろう。
もうひとつの大きな特性は、全身から発せられる雷撃だ。
触れるだけで相手を殺せるというのは、対竜戦闘でも対人戦闘でも、脅威と言う他にない。
なにせ現状では、これを防ぐ手段は存在しないのだ。
威力的には自然現象の雷とまではいかないものの、巨大な竜を感電死させる程度の威力は出せるようだ。
現に、もう何匹もの竜がこの雷撃を受けて、内側から焼き殺されている。
これを人間が乗った竜騎兵に使用すれば、竜騎兵より先に操縦者が死に至るだろう。
難点があるとすれば、現状で主流となっている炸薬式の兵器との相性が非常に悪いことだ。
もし弾倉に通電すれば、弾薬内部の火薬が発火して誘爆を起こす。
ただ、自分で使用する武器に関しては問題だが、逆に相手の武器を簡単に破壊できるという考え方もある。
一長一短ではあるものの、恐るべき能力であることには変わりない。
たぶん、勝ってしまうのだろうなと、アーデは思う。
このクラウソラスすら吹き飛ばすほどの相手を、たった一人、武器も持たずに。
それが人間にとって素晴らしいことなのだと、頭ではわかっているのだけれども。
アーデの心の片隅に、焦燥感にも似た、得体の知れない感情が巣食い始めていた。
『アーデ姫、何してる! ボーっとするな!』
不意に名前を呼ばれて、アーデは我に返る。
落下の衝撃で少し朦朧としていた意識がはっきりとする。
呼んだのはアーベルだ。
声の方へと視線を向けると、そこには倒れ伏していたはずの紅竜騎士団のパルチザンが一騎、小型バリスタを構えて立っている。
『悪いが緊急事態だ、借りるぜこの騎体』
『構わない、使ってくれ。乗員はどうした』
『たぶん生きてるが、意識がない。とりあえず空のポーチに放り込んである』
あまり安全とは言い難い運搬方法だが、こういった事態に備えてポーチの中は衝撃を吸収できるように柔らかな素材で作られているし、前衛を張るアーデやサイラスが運ぶよりは安全なはずだ。
『おい、この機体……』
今度は後方からサイラスの声が聞こえる。
ブリューナクと対峙していた、四騎目のパルチザンがいた方向からだ。
『おい! そいつカーラの騎体じゃねぇか!』
と、声を上げてアーベル騎が駆け寄る。
サイラスは自騎からカーラ騎へと飛び移り、操縦席を守る胸部装甲を外から開いた。
装甲の脇にあるハンドルを回すと、重い金属音と共に内部の留め金が外れて胸部装甲の一部が開く。
露わになった内部には、やはり予想通り、カーラが微動だにしない状態で倒れていた。
『サイラス! どうだ生きてるか!』
というアーベルの問いに、サイラスはすぐに答えを返すことはできなかった。
なぜなら、一見してカーラが生きている可能性は低いように思えたからだ。
彼女の全身には、至る所に火傷のような跡があった。
皮膚が裂けて出血している所もあれば、完全に焼けて炭化しかかっている所もある。
それらの傷は顔の左半分を覆い尽くし、閉じられた左目からは血が流れ出していた。
チッ、とひとつ舌打ちを鳴らして、サイラスは彼女の体を担ぎ上げた。
意識がない。
だが、その体はまだ温もりを保っていて、弱々しいものの呼吸をしているのも感じ取れる。
「まだ生きてるぞ! アーベル頼む!」
『あいよ!』
駆け寄ったアーベル騎が、空の弾倉ポーチにカーラの体を収める。
これで周囲の人間はすべて回収したはずだ。
あとは、あの白い竜騎兵、ブリューナクだ。
こちらに襲いかかってきたと思えば、今こうして自分たちを助けるような行動に出る。
まったく一貫性のないその行動原理によって、敵なのか味方なのか、この場の誰にも判断できないでいた。
そして、ぽつりと一滴、空から水がこぼれ落ちてくる。




