竜殺し 2
人はその命を終える時、己の人生を夢として顧みるのだという。
その男の人生は、竜と共にあった。
卓越した技術と執念で、何十、何百という竜を狩り殺し。
もっと沢山の何かを失くしながら、ずっとずっと、血と黒煙の中を歩き続けてきた。
故郷を。
家族を。
仲間を。
そして最後には自分自身すらも失いながら、それでもなお――
*****
ひゅうひゅうと、掠れた音が聞こえる。
それから、生々しい血の匂い。
竜のものではない、人間の血だ。
「目が覚めたのか、ユーリ」
どこからか、聞き覚えのある声が響いてくる。
「ジーク、あんた――」
声を出して答えたものの、吐き出した空気が喉の奥で絡まり、むせ込んでしまった。
まるで砂漠で迷い続け、数日ぶりに水を飲んだ時のように、体が上手く機能していない感じだ。
それを聞いたジークは、くくっと小さな笑いを漏らした。
「どうだ、数日ぶりに吸った空気は美味いか?」
やけに落ち着いた口調で、そんな風に茶化して見せるが、その声はひどく弱々しい。
言っている内容も、普通の人間には理解不能な話だ。
数日も、肺が空になった状態で生きていられるわけがない。
だが、ユーリには自分が“死んでいた”という感覚が残っていた。
ぼんやりと、水の底に沈んだような感覚。
その中で感じた、いくつかの出来事。
夢、幻覚、記憶の渦。
完全に目覚めた今となっては、ぼんやりとしか思い出せないけれども。
それでも確かに、自分は死んでいたのだと、はっきりと感じ取れる。
「なぁユーリ」
ひゅうひゅうという音が、相変わらず小さく聞こえてくる。
「俺はもう助からん」
恐らく、呼吸器系に傷を受けたのだろう。
ユーリは、同じような音を立てて死んでいった人間を、何人も見てきた。
いや、それ以前に。
ジークが致命傷を受けたその感覚を、同時に感じ取っていた。
もう助からないという彼の言葉が、本当なのだと知っている。
「だからひとつ、俺の頼みを聞いてはくれないか」
先ほどよりも、ほんの少し弱々しくなった声で、ジークは言った。
その頼みごとの内容すらも、ユーリにはもう、わかっているのだが。
竜を。
竜を殺してくれ。
無限竜を、いつか、完全に。
ジークは静かに、そう言った。
それが、何十年も竜と戦い続けてきた男が、願い続けてきたことだ。
「わかった」
とだけ、ユーリは短く答える。
考えてみれば、断られるはずがないのだ。
なぜなら、この少年はもとより、すべての竜を狩り殺すつもりなのだから。
たとえ相手が、何千、何万いようとも。
「呆れた奴だ」
本当に、呆れ果てたようにジークは笑う。
「だったら、お前は今日から“竜殺し”を名乗れ」
それがこの依頼の報酬だと、ジークは言った。
竜殺しとは、ジークが各地で名乗り続けてきた通り名だ。
その名を受け継ぐということは、何も名声だけの話ではない。
竜殺しの名の元に作り上げられた、無限竜出現の予兆を知らせる、広大な情報網。
それを引き継ぐということに他ならない。
軍隊、商人、傭兵、民衆。
貴賎を問わず構築されたそれは、まさにジークが歩んできた道そのものだ。
「竜狩りの猟犬を探している、それが合言葉だ。あとは好きに使え――」
そこまで話して、ジークは激しく咳き込んだ。
もうあまり時間がないことは、二人とも理解している。
「ジーク、あんたにひとつ、礼を言わなきゃいけない」
そう言ったユーリに対し、ジークは鼻で笑いを返した。
「よしてくれ。お前を拾って育てたのは、お前のためじゃない」
ジークがユリンガルドで赤子だったユーリを拾った時、始めは近隣の村にでも預けて行くつもりだった。
そうしなかったのは、彼の秘密を知ったからだ。
「家族だと言ったのも、ただの方便だ。俺の家族は、とうの昔に死んだよ」
あの時に誓ったのだ、二度と家族など持たないと。
「だから、お前に礼など言われることなど何も……」
「ジーク」
遮るように、ユーリが名を呼ぶ。
「俺はあのまま、ブリューナクの一部になってもよかったんだ」
それはジークにとって、予想外の言葉だった。
「どのみち結果は変わらない。俺の力を誰が使うのか、誰が竜を殺すのか、その違いだけだ」
そうならなかったのは、単に運がどちらへ傾いたのか、という程度のことでしかない。
「だから俺は、あんたに利用されるなら、それでもよかった」
馬鹿な、と吐き捨てるようにジークが言う。
「仲間だからか? それとも、この期に及んで家族だとでも?」
違う、とユーリは答える。
もっともっと単純で、大事なこと。
それは――
「あんたとユリアナが、俺に名前をくれたからだ」
そしてユーリは思い浮かべる。
花の香り。
柔らかい風。
優しく笑う女性。
彼女が言いかけた言葉。
今はもう失われてしまった、遠い遠い、誰かの記憶。
*****
男の子だったら、どうしようかしら?
そうね、男の子だったら私の名前からとって、ユーリって名前はどう?
素敵な名前だと思うけど。
きっと貴方みたいに強くて、優しい子になるわ。
*****
ありがとう、と言ったユーリの言葉に、返事はなかった。
ジークは何度か小さくユリアナの名を呟いたが、それを最後に、彼の声は聞こえなくなってしまった。
ほんの少しの沈黙を挟んで、ユーリは再び操縦席へと身を預ける。
激しくぶつかり合う金属が上げる甲高い嬌声が、周囲に響き渡っている。
つまりここは戦場のど真ん中ということだ。
誰かを弔うのは、戦いが終わった後にするしかない。
さもなければ、自分も弔われる側になってしまう。
カーラは恐らく気絶しているだけだろう。
ぎりぎりで意識を取り戻し、放電を加減できたのは運がよかったとしか言いようがない。
アーベルとサイラスはどうなった?
それから、あの危なっかしいお姫様だ。
やるべきことは、まだ山のようにある。
竜核に、意識を集中する。
やがて自分の肉体を明確に認識できなくなり、代わりに巨大な竜の体から生々しい感覚が流れ込んできた。
そしてブリューナクと完全に同調した瞬間。
どこからか、ほんの僅か、花の香りが流れ込んできた。
そんな気がした。




