竜殺し 1
誰かに名を呼ばれ、眼を覚ます。
そしてすぐに、自分が泣いていることに気付いた。
どうして泣いているのか、理由を思い出すことはできないけれども。
なぜだかとても、とても大切なものを失くしたような。
そんな喪失感だけが、胸の奥に残されていた。
*****
全力で後退するクラウソラスとサイラス騎を、爆音と熱風が追い越して行く。
アーベルが即席で作った爆薬が、上手く点火したらしい。
予備弾薬のひとつひとつに含まれる炸薬の量はさほどではないが、数を集めればそれなりの威力が生じるものだ。
それでも、重装甲を誇るバルディッシュには時間稼ぎ程度の効果しかないだろうが。
『アーベル、大丈夫か』
自騎の左腕部にしがみ付いているアーベルに、アーデは呼び掛けた。
「あぁ畜生、ヒゲが焦げちまったよ」
竜騎兵が走行する振動で舌を噛みそうになりながら、アーベルは大声で答える。
冗談が言えるのは無事な証拠、と思いたいが、この男は死に瀕した危機的状況でも平然と軽口を叩くので判断に困る。
が、とにかく意識を失ったりといった状態ではなさそうだ。
と、後方から地鳴りのような音と、金属が何かにぶつかる音が混ざり合って聞こえてくる。
予想外に速く、バルディッシュが迫ってきている。
重装甲で動きは鈍いはずだが、どうやら竜騎兵としての性能はあてにはならないらしい。
アーデは相手の動きを人間が操作する竜騎兵と同じに考えていたが、どうやらそれは間違いだったようだ。
操作しているのは、人間ではなく寄生竜なのだ。
ユーリが見せたような竜騎兵に眠る本来の力を、あれら異形の生命体が引き出せるとしても不思議はない。
いや、どちらかと言えば、まだその方が自然の摂理に沿った現象に思える。
その音を聞いたアーベルが、クラウソラスの装甲板を何度も蹴り付けながら、叫ぶ。
「おいおいおい! 後ろ来てるぜ!」
『わかったから蹴るな!』
答えつつ、速度を上げる。
もうじき、出口が見えてくるはずだ。
*****
採掘場の入口から、脱兎の勢いでサイラス騎が飛び出してくる。
慣性を殺し切れずに、やや滑り込むような形で無理矢理に停止させ、そのまま振り返って入口へとバリスタを向けた。
それに続いて。
『アーベル! 降りろ!』
同じく入口から飛び出してきたクラウソラスから、アーデの声が響く。
サイラス騎と同じように勢いに任せて跳んだクラウソラスだったが、こちらは騎体の運動性か操縦者の腕か、着地と同時に脚元の滑りを利用して反転し、そのまま膝立ちになって姿勢を低くする。
左腕部のアーベルは、すぐさま体を固定していたロープを切断し、クラウソラスの外部装甲を伝って地面へと飛び下りた。
アーベルが離れたのを確認すると、アーデは両手でバンカーを構え直し、追撃者が現れるのを待ちかまえる。
だが、ぐるりと周囲を確認して、思わず絶句してしまった。
ここで待機させていた三騎のパルチザン。
それらがすべて倒れ伏している。
加えて、やや離れた場所に見える二騎の竜騎兵。
後ろ姿しか見えないが、真珠のごとき純白の装甲を持つそれは間違いなくブリューナクだ。
そしてブリューナクが両腕で締め上げるように捕まえているパルチザン。
左腕を大きく損傷したその騎体もまた、死んだように動きを止めている。
なぜここに四騎目のパルチザンがいる?
疑問を感じたアーデだったが、一瞬の後に洞穴から聞こえてきた轟音が、そんな考えをすべて吹き飛ばす。
振り返れば、そこには目と鼻の先まで迫るバルディッシュの姿があった。
次の瞬間、大質量の金属塊がぶつかる音が、軽い衝撃波となって周囲の木々の葉を揺らす。
予想外の素早さで巨体を真っ直ぐに走らせ、体当たりをかけてきたバルディッシュの装甲が、サイラス騎の放った小型バリスタの鉄矢を弾き飛ばした音だ。
やはり対竜騎兵戦を想定した重装甲には、この程度の火力は通用しないらしい。
回避できないと判断したアーデは、同じくクラウソラスを肩口からぶつけるような姿勢で、これを迎え撃った。
いくら膂力で勝るとはいえ、勢い付いたバルディッシュの巨体を下手に止めようとすれば、関節部に大きな負荷がかかるだろう。
天から落ちてくる鉄球を、腕の筋力だけで受け止めようとすればどうなるか、そんなものは想像するまでもない。
吹き飛ばされたり、引き倒されたりしないよう、クラウソラスの両脚を踏ん張らせる。
しかしバルディッシュの突進は止まる気配もなく、クラウソラスは柔らかい地面を抉りながら滑るように後方へと押されていく。
一体なぜこのような攻撃をしてくるのかは、おそらくバルディッシュの素体となる竜が影響しているのだろう。
寒冷地に住む全身が毛に覆われた二本角の獣竜、角獣竜という竜がバルディッシュの素体になっているのだが、この竜は敵を認識するとその巨体で突進し、角で突き殺すのだという。
竜騎兵として生まれ変わったその騎体に本能というものが残っているのかは疑問だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
いつまでもこのままでは、脚部がいかれる。
側面に跳んで回避するか、それとも姿勢をさらに落として脚元をすくうか。
そんなことを考えていた矢先に、アーデは一瞬、脚元に違和感を覚えた。
ふわりと、体が浮くような感覚。
しまった――
と口に出す暇もなく、クラウソラスの巨体が空中に舞い上がる。
岩か、木か、とにかく脚元にあった何かに乗り上げて、体が浮いてしまったのだ。
同時に、脚部の支えを失ったクラウソラスは、突進の勢いを空中でまともに受け止めてしまい、大きく後方へと跳ね飛ばされる。
この状態で転倒するのは、まずい。
とにかく着地だけは上手くやらなければ、今度は受け止める暇すらなく超重量の巨体に踏み潰されるだろう。
だが、瞬間的に飛ばされた状態で、自分が天地のどちらを向いているのかすら把握できない。
視界の中には、木々の葉と木漏れ日が作り出すまだら模様だけが、高速で流れていく。
あぁ、これは駄目だ。
柄にもなく、そんな弱気が脳裏を掠めた。
いくら竜騎兵が強かろうが、扱うのが人間である以上、その限界は人間に準ずる。
例えば自分に猫のような身のこなしができたなら、この状況もどうにかなったかもしれないが。
こうなれば後はもう、やぶれかぶれで着地を試みるしかないだろう。
そう考えた矢先。
アーデの神経は、はまたもや妙な感覚を捉える。
落下する勢いが止まり、空中でさらに浮き上がるような感覚。
続いて、いくつかの金属音。
何が起こっているのか理解する間もなく、アーデを乗せたクラウソラスの騎体は重い衝撃と共に地上へと落ちた。
しかし、それは自由落下したような衝撃ではない。
何かに、空中で受け止められ、そのまま地面へと降ろされたような感じだ。
アーデは、やや呆然としつつ前方を確認する。
そこには、バルディッシュとの間に立ち塞がるように、白い竜騎兵の姿があった。




