白竜
兵器庫へ一歩足を踏み入れた瞬間に、ジークは驚きで思わず声を上げそうになった。
彼の眼前、扉のすぐ裏側には、一騎の竜騎兵が立っていたのだ。
それは巨大な鋼鉄の扉を固く閉ざすように、両の手でしっかりと押さえつける格好のまま硬直していた。
どうりでリザード級の竜騎兵では扉が開けられなかったはずだ。恐らく膂力においては旧式の竜騎兵など相手にもならないだろう。
純白の装甲に包まれたその竜騎兵は、ワイバーン級かそれ以上の上等な代物に見える。
白いのは外装だけではない。内側から覗く竜本体も同様に、真珠のごとく汚れない白一色の皮で覆われていた。
白い竜騎兵は微動だにしない。
この扉を封印しているのであれば、壁を破って侵入してきた者を無視するわけにはいかないはずである。竜騎兵がいかに強力な兵器であろうとも、それを操る人間に何かあれば無力化されてしまうからだ。
実際に国家間の戦場では、竜騎兵によじ登って装甲の隙間から攻撃してきた歩兵に搭乗者が倒されるという事態が稀に起こる。
この白い竜騎兵の搭乗者が生きているのであれば、いつ攻撃してきてもおかしくはない。
ジークはゆっくりと歩を進め、竜騎兵の裏側へと回る。
そこで彼は、目を疑うものを発見した。
背面にはバランス制御のための尻尾が残っているのだが、その付け根よりさらに上方、人間で言うところの肩甲骨のあたりに、何か細長いものが生えている。
(馬鹿な、四本腕だと?)
そこに生えているものは、紛れもなく一対の腕だった。
竜騎兵というものは、人間が乗り込んで動かすものである。
しかしこれらは機械仕掛けで動いているわけではない。
人間は、竜の肉体の中にある“竜核”に思念を送ることでこの兵器を動かす。
竜核とは竜の心臓であり、同時に脳でもある器官である。
人間の脳にも思考と運動を司る部分があるといわれるが、どうやら竜の脳にもその区分があり、しかもそれは人間を始めとする他の生物よりも、もっと明確に別々の部位として存在しているらしい。
その思考を司る器官が破壊されれば竜は活動を停止するのだが、竜核がある限りその肉体が滅ぶことはなく、生命活動は維持され続ける。
つまり竜とは、厳密にはその思考する部位を指すものであり、残りの肉体はそれらが進化する過程で得た外殻のようなものであるとも考えられる。何故そうなっているのかは定かではないが、その方が急激な進化に対応しやすいのではないかというのが一般的な推論だ。
人間と竜との思考にどのような共通点があるのかは不明だが、竜核は人間の意思を思考器官の命令として受け取り、動作として肉体に反映させることができる。それどころか、眼や耳が正常に機能していれば、逆に視覚や聴覚を人間側が感じ取ることすら可能だ。
しかし、ここで問題なのは、人間と竜との身体的構造の違いである。
平たく言ってしまえば、人間には人体の動かし方しか分からない。
分かりやすい例を挙げるならば、例えば素体となる竜に翼が付いていたところで人間にはそのような器官が存在しないため、自在に動かすことはできないのである。
例外として尻尾の存在があるが、人間にも臀部に尾骨という尻尾のような骨があり、それは遥か昔に人間が持っていた尻尾の名残りともいわれている。そのおかげで無意識に竜の尻尾を操ることができているのかもしれない。
そういった例外はあるものの、やはり基本的には竜騎兵の操縦において、人間に存在しない器官を操ることはできないというのが一般的な認識だ。
この白い竜騎兵のように腕が四本もあるというのは、つまり動かせない部位を無駄にぶら下げているだけに過ぎないのである。背面の敵に対して何らかの威嚇のために付けた、というのも考えにくい。
この竜騎兵には何かある。
ジークはそう直感し、その正体を見極めるべく調査を開始した。
ほとんどの竜騎兵は体の中央部に竜核を持ち、それに近い胸部に操縦席が設置されている。
そのため胸部は他の箇所よりも遥かに分厚い装甲で守られているものの、破壊することは不可能ではないが、そうした場合、同時に竜核をも破損してしまう危険が大きい。
竜核が破損すれば、竜も竜騎兵も組織崩壊を起こし、やがて腐敗して死に至る。
今回のように無傷で奪取したい場合は、できるだけ穏便に開かざるをえない。
ジークは竜騎兵の首筋の装甲にフック付きのワイヤーを引っ掛け、その体によじ登る。
実際に間近で触れて改めて実感するが、どこも装甲の隙間がほとんどない、極めて強固な作りになっていた。可動部位の装甲には見慣れない構造になっている箇所もあり、希なる手腕を持った技師の作品であることが見て取れる。
アーベルのように替えの竜騎兵を、などと言っている場合ではない。
胸部のあたりまで登ると、ジークは装甲板の各所を念入りに調べ始めた。
竜騎兵はすべからく、操縦席を外部から開くことができる構造になっている。
そうでなければ乗り込むことができないし、緊急時に助けを呼ぶこともできないからだ。
どこかに手をかけるためのハンドルがあるはずで、やがて首の付け根あたり、装甲の裏側にそれを見つけることができた。ハンドルの付いた円盤を回転させると、中でフックが外れて開くようになる仕組みだ。
ジークはハンドルを握り、回転させる。
手応えは重いものの、それは破損している様子もなく難なく動かすことができた。
フックが外れた胸部装甲は、大鐘を落としたような金属音と共に少しだけ隙間を作る。
あとはその隙間に手なり足なりを入れて力を込めれば、胸部装甲が前方に倒れて操縦席があらわになるはずだ。
だが、はやる気持ちを抑えてジークは腰にぶら下げた鋼の短刀を手にする。
この正体不明の竜騎兵には、誰が乗っているのか分からないのだ。
友好的な人物なのか、そうでないのかが分からない以上、蓋を開いた瞬間に切りかかられる可能性も考慮しなければならない。
ジークは覚悟を決めるように小さく息を吐き出すと、装甲板の隙間に足をかけて、前方に蹴り出すような形で一気に開いた。
胸部装甲が前面に勢いよく倒れ、人が一人入れるくらいにまで開いて止まる。
ジークは最悪、完全武装の兵士相手に立ち回りを演じるつもりでいたのだが、幸いにも中からは誰も出てこない。
代わりに、錆びた鉄のような匂いを含んだ、生臭い空気が立ち上ってくる。
それは戦場を渡り歩くジークにとって嗅ぎなれた匂い。
人間の血の匂いだ。
この状態になっても一切の動きを見せないということは、少なくとも中の人間は意識を失っているか、まともに動ける状態ではないのだろう。あるいは既に死んでいるのかもしれない。
ジークは油断なく警戒を続けつつ、ゆっくりと操縦席である胸部装甲の内側へと体を滑り込ませた。
白い竜騎兵の内部でジークが最初に見つけたものは、男の屍だった。
重厚な金属鎧を身に付け、肩にはユリンガルド騎士団の紋章である槍に貫かれた飛竜が刺繍された外套がかけられている。おそらくはユリンガルドの騎士だろう。
白髪の頭はところどころ乾いた血で赤黒く変色しており、額から頬を伝って流れ落ちたであろう血は、彼の足元に赤く大きな染みを作っていた。
頭部からの大量の出血。このぶんでは数日前にはもう死亡していたと思われる。
つまりはこういうことだ。
竜の大群に襲われ勝ち目がないと悟った男は、この白い竜騎兵を操って兵器庫へと逃げ込んだ。兵器庫は分厚い壁と鋼鉄の扉で守られているため、最も安全だと判断したのだろう。
しかし彼は、竜騎兵に乗る前に何らかの理由で頭部に怪我を負っていた。
首尾よく兵器庫まで逃げ込んだまでは良かったものの、扉を閉めた直後に出血のため気を失い、そのまま事切れた。
状況から察するに、大体そんなところであろうとジークは考える。
臆病風に吹かれたか、あるいは何か他の理由があったのか。
それは今となっては大した問題ではなかった。
重要なのは、この竜騎兵の持ち主は既にいないということだ。
この竜騎兵がまともに動くかは分からないが、もし動かなかったところで外にいる三騎の竜騎兵に牽引させればよい。
ぐずぐずしていると竜どころか、他の同業者がやって来るかもしれなかった。
お宝は見つけたのだから、長居は無用。調べるのは無事に持ち帰ってからでも遅くはない。
ジークは乾いた血の付いた操縦席から騎士の亡骸を下ろし、そこへ腰を下ろす。
傍に死体があるというのは良い気分ではないが、無下に放り出すのも躊躇われる。死体剥ぎのような真似をしておいて今さらだが、同じ竜騎兵乗りのよしみだ。どこか静かな場所に弔ってやるのがいいだろうとジークは思った。
さて、自分で竜騎兵を動かすのは久しぶりだが、上手く言うことを聞いてくれるか。
竜核は席の上部、ちょうど首の裏に当たるように据え付けられている。
赤い宝石のようなそれに自分のうなじを乗せ、ジークは意識を集中した。
その瞬間。
ジークの耳が奇妙な音を捉える。
それは何かの鳴き声だ。
始めは小さく、断続的に。次第にその声は大きくなっていき、狭い操縦席に響き渡る。
操縦席に座ったまま後ろを振り返ると、今まで気付かなかったが、そこには小さな伝声管の穴が空いていた。
猫でも迷い込んだか。いや、そうではない。
人間の本能に訴え掛けるようなその声は、紛れもなく赤子の泣き声だった。
ジークは急いで操縦席から降りると、先ほど潜り込んだ胸部装甲の隙間から外に這い出し、竜騎兵の首元へと登った。
伝声管を通した泣き声はまだ操縦席の側から響いてはいたが、同時に、微かながらうなじの装甲の内側からも聞こえてくる。
まさかと思いながらも、ジークの目はうなじの装甲板の裏側に、通常ならばそこにあるはずのないものを探す。
(あった……)
ジークが見つけたものは、首の正面側にあったそれと同じ、操縦席を開くためのハンドルだった。
複座式の双頭竜騎兵。
二対の腕を持つこの白い竜騎兵は、もとは恐らく二つの頭を持った竜だったのだろう。
それは竜たちの進化の過程で生まれた、異形の変異種。
長年、竜を狩り続けてきたジークですら見たことのない希少種だ。
ジークは息を飲み、ハンドルを回す。
重い金属音が響き、もう一つの操縦席を覆う装甲のロックが外れた。
重い装甲板の内側からは先ほどよりもはっきりと、何かを求め訴える泣き声が聞こえる。
胸部と同じく装甲板を蹴り開けると、そこにはやはりもう一つの操縦席、二本の複腕を操るための複座が存在した。
白い布にくるまれた赤子は、その操縦席の上で泣き喚いていた。
燃えるような赤毛の子。
何日もこの竜騎兵の中に閉じ込められ、衰弱しながらもなお、小さな手を懸命に伸ばして助けを求めている。
そうか、そういうことか。
騎士は逃げようとしたのではない。この子を守ろうとしたのだ。
全てを焼き尽くす灼熱地獄の中、自らも深手を負いながら、誰かがこの地を訪れることを願って。
ジークは二つ目の操縦席に降り立ち、赤子を抱き上げる。
名も知らぬ赤子はジークの腕に抱かれると、それまで大声で泣いていたのが嘘のように静かになり、蒼玉のような青い瞳で彼を見つめる。
死と破壊が吹き荒れた小さな国の、たった一人の生き残り。
ジークは何も言わずに赤子を抱え、再び胸部の操縦席へと潜り込む。
北の小国ユリンガルドが滅びてから数日後。
ある一日の出来事だった。