結晶
高所から落下したユーリ騎は、地面に伏したまま微動だにしない。
一方の羽虫は背部を外殻ごと噛み千切られて大きく損傷し、飛行能力こそ失ってはいるものの、まだ生きて動ける状態だ。
「まだ動けるのか、さすがにしぶといな」
カーラたちを引き連れ、落下地点へと馬で駆けつけたジークが呟く。
「お前たち、あれを片付けろ。俺はユーリを回収する」
後に続いたアーベル騎に対し指示を送るや、ジークはそのまま馬を降り、自分の足でユーリ騎へと向かって行った。
『おいジーク! 何考えてんだ、危ねぇぞ!』
まるで街中を歩くような平然とした姿に焦りを感じたアーベルだったが、ジークは片手を上げて応えるのみだった。
馬鹿げている。ユーリも、ジークも。
アーベルは軽い舌打ちと共に自騎の大型バリスタを羽虫へと向けると、トリガーを引き絞って巨大な鋼鉄の杭を撃ち放った。
炸薬が爆ぜる音と共に、羽虫の体が肉片となって周囲に飛び散る。
アーベル騎の放った鉄杭は羽虫の体を貫通し、左半身を吹き飛ばした。
『今だサイラス! やっちまえ!』
アーベルがそう叫ぶと同時に、サイラス騎が突進を始める。
その手に持ったアクスバンカーを大上段に構えて跳躍し、肉厚な鋼鉄製の刃に全重量を乗せた渾身の一撃を、羽虫の背に向けて振り下ろした。
翅も肢も失った羽虫に、最早それを避ける術は無い。
外殻を砕き、内臓組織を切り裂き、それでも勢いを失わない刃先はついに体の裏側へと抜けて、そのままの勢いで地面に突き刺さった。
まさに一刀両断と称されるべき斬撃。
しかし、まだ終わりではない。
体を両断されようが、血が全て流れ出ようが、竜核を破壊しない限り竜は死なない。
緑の生い茂った森の土に埋まったアクスバンカーを、サイラス騎が再び構える。
その穂先は、真っ二つになった羽虫の上半分を真っ直ぐに狙っていた。
そして、弾ける閃光と爆音。
一気にトリガーが引かれたアクスバンカーの先端から、炎と共に鉄杭が射出される。
何匹もの竜を貫いてきた灼熱の槍は羽虫の半身を裂き、同時に強装弾仕様で通常の倍近い炸薬が起こす巨大な爆炎が肉を焦がす。
それはまるで、火竜が吐き出す炎そのものだ。
サイラス騎が反動で地面にめり込んだ脚を再び踏み直す頃には、羽虫の上半身は超高温で瞬間的に気化した体液の圧力で内側から破壊され、全身からどす黒い煙を上げる肉塊と化していた。
ぱきり、とガラスが割れるような音がして、サイラス騎はようやく構えた武器を下ろす。
羽虫の竜核が砕けた。
それは即ち、羽虫の死を意味する。
焼け焦げた死骸はやがて組織崩壊を始めるだろう。
土にも還らず、何者の糧にもならず、ただ塵となって跡形もなく消え去るのみ。
サイラスは体の緊張を解くように、ゆっくりと大きく息を吐き出した。
終わった。
生き残った。
どんな歴戦の戦士でも、戦いの後には安堵を覚えるものだ。
そのわずかに弛緩したその心ゆえに、サイラスは見逃した。
もう一匹の存在を。
傍らに転がる羽虫の下半身、肥大化した腹を破って何かが飛び出す。
それは長い八本の脚でサイラス騎の背中を抱え込むように取り付き、わずか数瞬の後には長い尻尾で胴を締め上げ始めた。
寄生竜。
しかし、これまでのような赤い個体ではない。
透明な粘液に覆われた外殻は白く、体躯もやや小さい。
その姿は、サナギから孵化したばかりの甲虫を思わせる。
サイラスは自騎の腕を操り拘束を解こうとするが、締め付ける力は尋常ではなく、とても自力では引き剥がせそうになかった。
それに、やや騎体の反応が遅い。
麻痺している感覚とは少し違う。
自分の意思とは別の動きをしようとしている、そんな風にサイラスは感じた。
何が起こっているのか、それを考える前にサイラスの脳裏にはある言葉が浮かぶ。
“寄生竜は恐らく、人間と同じように竜騎兵を操る”
それはあくまでアーデの推論で、実際に竜騎兵が操られるところを見た者はいない。
だが、この状況になってその推論が正しいことを、サイラスは思い知った。
騎体が言うことをきかない。
最早、指の一本すらまともに動かせなくなったサイラスは、操作を諦めて自騎の竜核からうなじを離す。
『おいサイラス大丈夫か!』
状況を把握したアーベルはすぐさま予備の小型バリスタを手に取るが、撃てない。
まるで発作を起こしたように不規則に動くサイラス騎を狙えば、鉄矢が胸の装甲を貫通して中にいるサイラスさえも傷付ける可能性があるからだ。
『サイラス出ろ! 降りるんだ!』
後方に控えていたカーラが叫びつつ、無事な右腕に小型剣を持ってサイラス騎に駆け寄る。
彼女の騎体はサーペント級のパルチザン。
膂力はサイラス騎、リザード級のグラディウスよりも強い。
左腕が損傷してバンカーは使えないが、外殻の隙間を狙えれば、片腕でもある程度のダメージを与えることはできるだろう。
一方のサイラスは操縦席から脱出するべく胸部装甲の展開レバーを引くが、装甲は固く閉じたまま開かず、体重を乗せて全力で蹴りを入れてもびくともしない。
それもそのはず、サイラス騎の胸部は寄生竜の脚によってきつく拘束されており、人間の力では到底動かすことができない状態だった。
サイラス騎に接近するや、カーラは小型剣を背面の寄生竜に向かって振り下ろす。
が、その斬撃はあろうことかサイラス騎の腕によって止められた。
『何やってる! 離せ!』
『俺じゃない! 背中のこいつが動かしてるんだ!』
そうかい、だったら。
『揺れるぞサイラス!』
カーラ騎は腕を掴まれたままの状態で半身を引き、サイラス騎の脚を引っ掻けるようにして下段の蹴りを繰り出した。
竜騎兵の戦闘は、竜相手のものだけではない。
竜騎兵同士の戦い、例えば戦争や山賊まがいの連中を相手にする場合などを想定した、より生身の戦いに近い対竜騎兵用の格闘術もまた、竜騎兵乗りならば誰もが訓練している。
脚部を狙ってバランスを崩させる攻撃は、その常套手段のひとつだ。
片足を払われたサイラス騎は上体のバランスを大きく崩し、前のめりの態勢となる。
同時に、カーラ騎は掴まれた腕を素早く回転させ、サイラス騎の腕関節を背中側へと捻り上げる。
ごきり、と鈍い音がして、サイラス騎の肩関節はまるで手品のように容易く外された。
カーラの読み通り、操っているのがこの虫ならば、竜騎兵用の格闘術は素人も同然。
元より相手の意思に関係なく、条件反射や本能的な動きを逆手に取った技法であるが故に、あえて不自然な動きをする返し方を知らなければ対処は不可能だ。
竜騎兵を操る寄生竜に痛覚が伝わるのかは不明だが、ともかく構造的にはこれで手先に力が入らなくなる。
カーラはそのまま手に持った小型剣を、寄生竜の口元に向けて刺し込む。
『お前の相手なんかしてる暇はないんだよ』
とっとと死ね。
鋼鉄の刃先が寄生竜の口内を切り裂き、さらに奥へと突き込まれた。
紫色の体液を吐き散らし、苦痛に悶える寄生竜は、反撃に転じようとサイラス騎を拘束していた尻尾を解き始める。
しかし、それもまたカーラにとっては簡単に予測できる行動だった。
何重にも巻かれた尻尾が解かれるのを察知したカーラは、口内に刺し込んだ小型剣から手を離し、サイラス騎の背面へと回り込む。
続いて寄生竜の尻尾、その根元を掴むと、サイラス騎の腰部に片足を押しつけ、残る片足も宙に浮かせて背中から勢いよく倒れ込んだ。
同時に腰部に当てた脚を蹴り込むようにすることで、一瞬カーラ騎の全重量と蹴りの威力を合わせた力が尻尾の付け根にかかる形になる。
寄生竜がサイラス騎から離れるならよし、そうでなければ最大の武器である尻尾を破壊できるという二重の攻め手だ。
カーラ騎の動きに反応できなかったのか、凄まじい重量をかけられても寄生竜はサイラス騎から離れることはなかった。
重量に耐えきれなくなった筋組織が裂ける音と共に、寄生竜の尻尾はその根元から文字通り引き千切られる。
白兵戦での突破力はサイラスに及ばず、射撃ではアーベルに劣るカーラであったが、こと対竜騎兵格闘術においては両者の追随を許さない圧倒的な技量を誇り、寄生されたサイラス騎を完全に手玉に取っていた。
それでも寄生竜は倒れたカーラ騎に襲いかかろうと、サイラス騎を振り向かせて脚を踏み出す。
攻撃本能なのか、それとも怒りのようなものを感じているのか。
どちらにせよ寄生竜は尻尾を失っても、まだ戦いを続けるつもりらしい。
背中から着地したカーラ騎はその動きを察知すると、即座に自騎の右脚を振り抜いてサイラス騎の軸足を刈る。
バランスを完全に失ったサイラス騎はほんの一瞬だけ空中に停滞し、やがて見えない吊り糸が切れたように呆気なく転倒した。
『虫けら風情が、人間様の兵器を扱おうなんざ百年早いんだよ』
脚を振った反動を利用して素早く立ちあがったカーラ騎は、倒れ伏したサイラス騎へと歩み寄る。
最早その手には何の武器もないが、寄生竜は異様な威圧感を漂わせるカーラ騎に怯えるような鳴き声を上げると、ようやくサイラス騎から離れ、後方へと大きく跳躍して距離を開けた。
その姿を見て、カーラは子供の悪戯を見破ったように小さく笑いを漏らす。
『やっぱりただの虫か。間抜けもいいとこだ』
『だな』
と、それまで動きを見せなかったアーベルが相槌を返すや、小さな炸裂音が数度響き渡り、白い寄生竜の外殻が木端のごとく弾け飛んだ。
元より捉えきれないほどの動きではなく、今や身を守るための尻尾もない。
さらにサイラス騎から離れたことにより、撃てない理由もなくなった。
アーベルの放った小型バリスタの矢は一斉に寄生竜の体へと襲いかかり、赤い個体よりもやや強度の劣る外殻を貫通して内部組織を破壊する。
体のあちこちに無数の鉄矢が突き刺さった寄生竜は、細かく痙攣を繰り返しながら、小動物のような弱々しい声で鳴くばかりとなった。
再び寄生竜に歩み寄り、その姿を見降ろすカーラ騎が、ゆっくりと右脚を持ち上げる。
『いい加減に仕舞いにしてくれよ、畜生が』
そう言ったカーラの声に、長年付き合ってきたアーベルやサイラスでさえ、背筋に寒気を感じた。
それは死にゆく命への憐憫など微塵も感じさせない、まるで冬の風のように冷たく乾いた声だった。
やがて小さな地響きと共に、腐った果実が砕ける瞬間を連想させる湿った破裂音が鳴り。
直後に、竜核が砕ける音がひとつ、続いた。
*****
「これは……」
ジークはユーリ騎の胸部装甲を開いた瞬間、思わず自分の目を疑った。
いたる所に飛散した赤い血。
異常な高温。
操縦席に坐したまま、目を閉じて動かないユーリ。
その脇腹を、白い半透明の結晶体が覆っていた。
それらは一見すれば水晶か石英のようだったが、ある種の鉱物が暗闇で発生させる燐光のように、ぼんやりと弱い光を放っている。
革製の手袋をはめた指で触れてみると、火傷するほどではないものの、ぼんやり温かい熱が感じられた。
恐らく、操縦席内に充満する熱気の発生源はこの結晶体だろう。
薄く透けた結晶体の向こうに、大きな槍で貫かれたような生々しい傷が見える。
傷の位置からして、肺にダメージを受けているはずだ。
現に、呼吸が止まっている。
首筋に手を当ててみるが、脈も感じられない。
つまり心臓が停止しているということだ。
普通の人間なら疑いようもなく死んでいる状態。
だが、もし普通でないならば。
“あの男”の言った通りであるならば。
こいつは、呼吸や鼓動が止まった程度では、死なない。




