不吉な羽音
訪れる一瞬の静寂。
生臭い黒煙を上げて倒れ伏した石鱗竜から、外殻を砕かれた寄生竜が離れ、後方の樹木の幹へと跳び移る。
バンカーの炎で内側から焼き尽くされた石鱗竜の肉体は、急速に腐敗したように溶け始めていた。
恐らく高熱で竜核が崩壊したのだろう。それは竜としての完全な死を意味する。
崩れ始めた石鱗竜の体は、取り付いた寄生竜にとってもはや無用の長物であり、ただの重い枷でしかなくなってしまったというわけだ。
逃がすものか。
ユーリは空になったカノンの弾倉を足元へ落とすと、自騎の腰に巻かれた収納バッグから予備の弾倉を取り出し、素早く装填を終えた。
ごきり、という重い金属音と共に空の薬莢が排出され、まだ熱いそれは、朝露で湿った地面に落ちて湯気を上げ始める。
寄生竜は相変わらず太い木の幹にしがみついたまま動こうともしない。砕けた外殻から粘つく体液を滴らせながらも、以前ユーリを串刺しにした二本の触覚を細かく振動させ、小型甲虫の羽音に似た不快な音を立て始めた。
その奇怪な音に、カーラ、サイラス共にバンカーの炸薬を再装填して警戒態勢を取る。
相手は何をしでかすかわからない。迂闊には飛び込めない。
後退を続けていたオーダン隊はやっとのことで距離を取り、少し離れた大木の陰で行動不能となった仲間の救助を続けている。
少々の時間を稼いだとはいえ、石鱗竜の神経毒にやられた体はまだ自由に動かせるほどではないだろう。
戦力としてはあまり期待できそうもない。
しかし不利というほどのものではない。
こちらの戦力は竜騎兵が四騎。
そして相手は被弾により傷付いた虫竜が一匹だ。
と、そこへ、遠方より響き渡る砲撃の音がカーラたちの耳に届いた。
一発、二発、そして三発。断続的に響く砲音は、音だけが大きく響くように作られた特殊な砲弾によって増幅され、森の奥でも鮮明に聴き取ることができた。
等間隔の砲音が三発。それは本陣からの撤退の合図である。
潮時。その場にいた誰もがそう考えた。
どのみち行動不能の小隊を置いて先へは進めず、かといってこの場で回復を待ちつつ戦線を維持するというのも、いつ包囲されるか知れたものではない危険な行為だ。
故に、撤退しろというのであれば是非もない。
が、問題なのは、今まさに目の前にいる寄生竜。
一匹は最初の砲撃で吹き飛ばされ微動だにしないが、もう一匹は生きて、そして触覚を震わせ不気味な音を立て続けている。
石鱗竜から離れた寄生竜が発する音が何なのか、それがわからないのもそうだが、単純な話、再び襲いかかってくる可能性が無くならない以上はこれに背を向けて撤退することはできない。背後から襲われて真っ二つなどという事態は避けるべきだ。
ならばどうするか。
取れる行動はさして多くはない。
追い払うか、それとも殺すか。
カーラ騎が、足元に転がったオーダン隊の大盾を拾い上げ、前方に構えつつ寄生竜との距離を詰める。
石鱗竜の死骸から立ち上る、腐肉と硫黄を煮詰めたような凄まじい悪臭が鼻をつく。防塵布が無ければ、集中を要する竜騎兵の操作に支障をきたしていたかもしれない。
『アーベル、ユーリ、ここで仕留める。逃がすんじゃな――』
そこまで言った、カーラの声が途切れる。
一瞬の出来事だった。
空気が振動し、森の奥から突風が吹いたかと思うと、気が付けばカーラ騎が宙高く吹き飛ばされ、密生した木々の枝をへし折りながら地面へと落下していた。
突風――のようにカーラは感じたが、当然そんなもので重装甲の竜騎兵が吹き飛ぶことなどありえない。
カーラは自分の左腕に痛みを感じる。
どうやら自騎の左腕が損傷しているらしい。
偶然にも構えていた大盾のおかげで頭部や胴体にはさしたる外傷はないものの、盾を持っていた衝撃をまともに受け、左腕は関節が本来の可動方向とは逆側に曲がっている。
カーラが自騎の左腕を確認すると、折れた骨組織が内側から肉を突き破り、肘の辺りから尖った先端を覗かせていた。
竜騎兵の肉体は生命体としての活動を維持しているため、多少の傷であれば自然治癒してしまう。
しかし、ここまで大きく損傷した場合は、技師による修理を受けない限りは再び動かすことはできない。人間の骨折と同じく、骨組織が再生するまでに時間もかかる。
カーラ騎は残った右腕でバンカーを構えつつ、周囲の様子を窺う。
突風でないのなら、まず間違いなく敵。
であれば、必ずまた襲ってくる。
『お前ら気を付けろ! 何かいるぞ!』
振り絞るようにカーラは叫ぶが、正直なところ状況はかなりまずい。
普段なら竜核から痛覚を受け取ることは無いのだが、以前ユーリが腕を切断された時もそうであったように、神経が錯誤を起こしたのだ。
こういった現象は、操縦者が竜騎兵を自分の肉体でないと強く認識することで容易に防げるものなのだが、逆に言えば操縦者の注意力が低下している時や、不意の一撃を受けてしまった時などは、自分の肉体が傷付いたのと同じ程度に痛みを感じてしまうことが多々ある。
カーラは額に汗を浮かべつつも、できるだけ痛みを無視して周囲に注意を払う。
何かいる、とは言ったものの、その正体はわからない。
『カーラ、大丈夫か』
気が付けば、傍らにはサイラスの駆るグラディウスが駆け寄り、カーラ騎の左、腕を損傷した側で自騎のアクスバンカーを構えていた。
『左腕をやられちまったよ。バンカーの再装填ができない』
カーラがそう答えると同時に、砲撃の音が一発、木々の間に響き渡る。
音の出所はユーリ騎のカノン。
謎の音を立て続ける寄生竜を狙ったその砲弾は、割れた赤い外殻の隙間に直撃し、八本足の不気味な虫竜は原形を留めないほど派手に四散する。
続いてもう一発、今度は倒れて動かない方の寄生竜を狙って砲弾が撃ち込まれる。
こちらもそのまま微動だにせず、外殻の薄い裏側へまともに砲撃を受け、壁に叩きつけられた果実のように液体を撒き散らしながら弾け飛ぶ。
カーラが受けた一撃がこれらの寄生竜によるものか、それはわからない。
しかし、これで周囲の見える範囲には竜騎兵と人間以外は、存在しなくなったはず。
ユーリたち四人は散開して動きを止め、周囲の気配に集中する。
遠くから聞こえるバンカーの炸裂音。
地鳴り。
金属音。
風が吹き抜ける音。
木立がざわめく音。
そして、羽音。
次の瞬間、ユーリの背筋にぞくりと悪寒が走る。
かすかに聞こえる羽音がにわかに激しく響き、ユーリ騎の装甲が細かく振動していた。
正体不明の危険を感じたユーリは、咄嗟に自騎を側面に跳躍させて回避行動を取る。
それと同時に、今までユーリが立っていた場所が砲撃でも受けたように轟音を立てて窪む。
何かが撃ち込まれたのは間違いない。
しかし、ユーリの目は飛来した物体を捉えることができなかった。
恐らく、先ほどカーラ騎を襲ったのもこの攻撃だろう。
サーペント級竜騎兵が重盾を構えてなお吹き飛ばされ、腕まで折られるほどの威力。
まともに喰らえば一撃で戦闘不能に陥ることは容易に想像できる。
体制を立て直したユーリ騎の装甲が、またも不自然に震え始めた。
もう一発、来る。
ユーリは再び自騎を跳躍させつつ、今度は着弾点と予想される自分のいた場所を注視した。
そして轟音。衝撃を受けて、湿った土とそこに生える草花が宙に舞い上がる。
その舞い上がる方向を、ユーリは見ていた。
見えていようがいまいが、それが指向性のある攻撃である限り、飛来した方向と同じ向きに激しく土が飛ぶはず。
その逆方向に敵がいる。
土は先ほどまでユーリが向いていたのと同じ方向に大きく飛び散っていた。
つまり、ユーリは背面から攻撃されたことになる。
すかさず後ろを振り向き目を凝らすと、視界の端、木々の間に何か赤いものが見えた。
それは寄生竜に似た姿をしており、恐らくは同種と思われるが、今まで目にした個体とは明らかに違う特徴を持っている。
頭部は矢尻のように鋭く尖り、体はやや細め。
尻の部分はサソリのような尻尾ではなく、ハチに似た太い器官となっている。
そして最大の違いは、その背中に生えた昆虫のような羽。
謎の虫竜は、その羽を高速で羽ばたかせ、空中で静止していた。
『面倒な相手だ』
軽い舌打ちと共にユーリが呟く。
飛行する虫竜。
実際のところ、面倒な相手で片付けるには、あまりにも分が悪い。
『クソったれめ、仲間呼んでやがったのか』
ユーリの視線の先に気付いたアーベルが、誰にともなく言う。
石鱗竜に取り付いていた個体が出していた謎の音。
あれがこの飛行型を呼び寄せたというのは憶測でしかないが、十分に有り得る話だ。
だが、今はそんな事はどうでもいい。
最大の問題は、相手が飛んでいるという事実だ。
当然ながら、竜騎兵には飛行能力などない。
相手が飛んでいるということは、間合いがこちらで選べず、つまりは必殺の威力を持つ近距離兵器のバンカーがほぼ通用しないということと同義だ。
頼みの綱はバリスタと、ユーリ騎が持つカノン。
それも相手が高速で動いている場合は、命中率が著しく下がる。
行動不能のオーダン隊、飛行する敵、見えない攻撃。
どうする。
焦りを感じ始めたユーリの耳に、またも小さな金属の振動音が響いてきた。




